防災意識を育てるWEBマガジン「思則有備(しそくゆうび)」

防災意識を育てるWEBマガジン

森鴎外が箴言集『智恵袋』に記した格言(文豪)[今週の防災格言360]

time 2014/11/03

森鴎外が箴言集『智恵袋』に記した格言(文豪)[今週の防災格言360]


『 千金隣を買う(隣人のつきあいは大切なこと) 』

森 鴎外(1862〜1922 / 小説家・随筆家 陸軍軍医総監 医学博士・文学博士)

格言は箴言集『智恵袋』百八十二(出典は『森鴎外の智恵袋』(小堀桂一郎訳・解説 講談社学術文庫 1980年))より。

曰く―――。

《 家を買うためには千金の支出をするのは当然である。だがよき隣人を得るためにも千金の支出は敢て厭わぬものだと言う。これは昔の東洋に隣人を大切なものに思う習俗があったからこそ生じた表現である。現今の西洋では建物の棟を同じくする中に住みながら部屋が違うというだけで互に隣人の名も知らずに過ごしているのが大都会では一般の風習になっている。しかもそれが上流人士の風だとしている。別に隣人同士必ず交りを結べと言うのではない。もし交るに足る人が隣人として居を占めているならば、これ又一つの人生の怪事なりと言うだけのことである。 》

森鴎外(もり おうがい 本名:森林太郎)は、医学・文学の評論や小説・戯曲等の翻訳、ヨーロッパ文学の紹介などを行った明治期を代表する知識人。
石見国津和野藩(島根県鹿足郡津和野町)で代々藩主亀井家の典医を務める森家の長男として生まれる。6歳から論語を学び、11歳までに津和野藩の藩校「養老館」で漢学、父や師からオランダ文典を学ぶ。廃藩置県後の1872(明治5)年、父が藩主に従い侍医として東京に移ったのを機に、林太郎も上京し、ひとり東京神田の遠縁で陸軍大丞・宮内省侍読だった西周邸に寄寓、本郷進文学舎で学び、1874(明治7)年に東京医学校予科に最年少で入学。本科(東京大学医学部)へと進学し、1881(明治14)年に卒業すると陸軍軍医となった。1884(明治17)年からの軍の衛生学調査でドイツに5年間留学。帰国後は軍医のかたわら、1890(明治23)年に処女小説「舞姫」を発表。その後「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」、史伝「渋江抽斉」などを執筆。
1894(明治27)年の日清戦争と1904(明治37)年の日露戦争で出征。第二軍兵站医学部長として出征した日清戦争では、脚気の原因を「栄養」でなく「病原菌」とする東京大学の持説に固執し、麦を前線に送らず兵士に脚気が広がり三千人近い病死者を出した。1907 (明治40)年、陸軍軍医総監・陸軍省医務局長に就任し、1916(大正5)年まで務めた。陸軍を退職すると、帝室博物館総長(館長)兼図書頭や帝国美術院初代院長に就任、上野の帝室博物館や秋には奈良の正倉院に赴き亡くなる直前まで仕事を続けた。千駄木団子坂上(文京区)の自宅「観潮楼」に30年暮らし「青年」など数々の名作をここで執筆し1922(大正11)年7月9日、60歳で亡くなった。

実弟に劇評家の三木竹二(1867〜1908)、実妹に翻訳家・歌人の小金井喜美子(1871〜1956 / 作家・星新一の祖母)、実娘の森茉莉(1903〜1987 / エッセイスト)と小堀杏奴(1909〜1998 / 随筆家)など4人の子供たちはいずれも文筆家で知られる。

■「森鴎外」に関連する防災格言内の記事
佐野常民(2013.02.11 防災格言)
福沢諭吉(2010.09.20 防災格言)
大隈重信(2010.09.27 防災格言)
渋沢栄一(2013.03.18 防災格言)
鈴木三重吉(2011.02.21 防災格言)
芥川龍之介(2008.08.25 防災格言)
斉藤茂吉(2009.03.09 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
メルマガ登録バナー
E-mail
お名前
※メールアドレスと名前を入力し読者登録ボタンで購読

アーカイブ