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横光利一が関東大震災の時に遺した格言(小説家)[今週の防災格言443]

time 2016/06/13

横光利一が関東大震災の時に遺した格言(小説家)[今週の防災格言443]


『 吾々を負かすものは地震ではない。
それは功利から産れた文化である。
我々の敵は国外にはない。
恐るべき敵は本能寺に潜んでいる。 』

横光利一(1898〜1947 / 小説家・評論家 代表作『機械(1931年)』)

格言は、関東大震災直後の大正12(1923)年11月に書かれた随筆『震災』より。(書籍「書方草紙(昭和6年)」集録)

横光は、大正12(1923)年9月1日の関東大震災では神田の東京堂(東京堂出版)で罹災。神田から駿河台方面を経て、小石川の下宿へと逃げ戻ったが家は全壊していた。震災後は、一時友人の家に身を寄せ、小石川餌差町の裏長屋に間借りしたという。震災に衝撃を受けた横光は、11月に「文藝春秋」にこの「震災」を発表することになる。

曰く―――。

《 地震があると等しく、直ちにこういう地震があって良いとか悪かったとか直ぐに云われた。あっていいとは云いたい人があっても云わぬがよい。この災厄に逢った人々に災難だと思ってあきらめるが良いと云うのは陳腐である。彼らは心に受けた恐怖に対して報酬を待っている。生涯を通じてこれが稀有な災厄であったそれだけに、何物かに報酬を求めねばいられないのだ。彼らは彼ら自身の恐怖を物語るとき、追想と共に生涯誇らかになるであろう。

東京附近に住んでいたものなら、こう云う地震がいづれ近々来るにちがいないとは、誰しも予想していたことと思われる。しかし人々は不思議にその災厄の予想については一様にぼんやりとしていた。地震に逢って初めて、こう云う地震はもう必ず来るに定まっていると思っていたと云い出し思い出した。それが皆尽(ことごと)く偽(いつわり)ならぬ心から云い出したそれほども、この地震の来るということが、ぼんやりとしながらも尚且つ明瞭に感じられた。それにも拘らず、なぜこの災害をこれほど大きくして了(しま)ったか。それは一口の平凡な言葉で云い切ることが出来る。

「人間はあまりに功利であったが故に。人々は大声を発して警告し合う暇を忘れていた。」と。

もし人々にしてその暇を有っていたものがあったとすれば、損をするものは同時にそのものであるのを忘れなかった。その暇に、地震が地下で着々と予感を報じながらその週期(原文ママ)を満していた。一度週期が満ちると同時に、人々は、恰(あたか)も次の週期に満足を与えんとするかのごとく、直ちに再びその上に来るべき災害の予約を建設し始めた。そうして、彼らは互に次の恐怖時代を云い合うとき、一様に彼らの口から流れる言葉は定まっていた。

「何(なあ)に、我々は最早やそのときは死んでいる。」と。

―――我らの民族の永久に繰り返して行く言葉は、この恐るべき功利の言葉に相違ない。そうして、この言葉が新鮮な力をもって繰り返されれば繰り返されるにしたがって、かく災害のを大ならしめた科学と、自然の闘いは益々猛烈になるであろう。吾々を負かすものは地震ではない。それは功利から産れた文化である。我々の敵は国外にはない。恐るべき敵は本能寺に潜んでいる。 》

横光利一(よこみつ りいち / 本名・としかず)は、昭和文学を代表する作家の一人。菊池寛に師事し、生涯の友となる川端康成や中河与一、片岡鉄兵、今東光らと「文芸時代」を創刊し、新感覚派の旗手として活躍した。戦前は「文学の神様」と称されるほど人気を得たが、敗戦後は戦犯文学者として非難された。

明治31(1898)年3月17日、福島県会津若松市の東山温泉で生まれる。6歳のとき、父親が軍事鉄道敷設工事で朝鮮に渡ることになり、母親の故郷・三重県阿山郡東柘植村(現伊賀市野村)へと移り、小学校時代の大半をここで過ごした。その後、滋賀県大津市へとわたり、明治44(1911)年、三重県第三中学校(現三重県立上野高等学校)に入学。国語教師に文才を認められ小説家を志望するようになり、大正5(1916)年、父の反対を押し切って早稲田大学高等予科文科に入学。東京府豊多摩郡戸塚村下戸塚の栄進館に下宿しながら文学に傾倒し、翌大正6(1917)年に大学を休学し、文芸雑誌に小説を投稿しはじめた。大正9(1920)年、級友の佐藤一英の紹介で菊池寛に師事し、大正12(1923)年に小説家として文壇にデビューすると、川端康成らと共に新感覚派運動を展開し、次いで新心理主義文学へと傾倒した。日本敗戦後、戦時協力をした文壇の戦犯として名指しで非難を受けると、昭和21(1946)年から病気がちとなり、昭和22(1947)年12月15日に胃潰瘍となり入院、12月30日に急性腹膜炎を併発し49歳で死去。

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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