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葛西善蔵が関東大震災の時に遺した格言(小説家)[今週の防災格言367]

time 2014/12/22

葛西善蔵が関東大震災の時に遺した格言(小説家)[今週の防災格言367]


『 何しろアッと云う間もないほどの早さだったからたまらなかった。 』

葛西善蔵(1887〜1928 / 小説家 代表作『子をつれて』など)

格言は大正関東大震災記「鎌倉の震災(一種の寂寞とした感じ―震災記)」より。

曰く―――。

《 僕なども部屋の後(うしろ)がすぐ高い岩の崖になっているので、崖崩れを恐れて、グラグラと来るとほとんど同時に机の前で顔を剃っていた剃刀(かみそり)を投り出して、玄関から五六間の距離を夢中で裸足で駆け出し、芍薬畑になっている僅かばかしの空地にしゃがんでヒョイと後ろをふりかえって見ると、もうつぶれていた。続いて別棟になっていた台所もつぶれ、しゃがんでいたすぐ前の井戸の屋根は柱や釣瓶縄を引ぱったまゝ崖下の方へ吹き飛ばされたように倒れて行った。別棟の小さな本堂だけは、後ろの大きな桧が途中から折れて屋根の上へ倒れかけて来たが、不思議のようにつぶれなかった。後ろの崖崩れは大したことはなかったが、横手の方は揺れ止んでからもひどい勢いで崩れていた。どれだけの時間だったのか、十分か十五分位の時間だったのか、その間すぐ下の建長寺の方の騒ぎは凄まじいものだった。崖崩れの音、建物の倒れる音、人々の叫び声、兎に角この世の騒ぎとは思われなかった。 》

葛西善蔵(かさい ぜんぞう)は、青森県中津軽郡弘前(現弘前市)出身の小説家。大正時代、自分や親戚、知人のことなど身の回りを題材とした私小説の本格派として活躍した。酒仙作家と言われるほどの大酒飲み、生活無能力者で、女性問題など周囲に迷惑ばかりをかけたものの、どこか憎めず、多くの人達を惹きつけた。
若い頃は、北海道で働きながら、文学を志し上京。舟木重雄や広津和郎たちと雑誌「奇蹟」を創刊。1912(大正元)年「哀しき父」で文壇にデビューして以降は、東京と故郷青森とを行き来する生活を送り、1919(大正8)年の創作集「子をつれて」で作家としての地位を確立。同年12月から持病の喘息の療養のため鎌倉の建長寺宝珠院の庫裏に入り、その後4年間を幕らした。この時に関東大震災(1923(大正12)年)で罹災し、その様子を「鎌倉の震災(一種の寂寞とした感じ―震災記)」に記している。その後も貧困と病苦を酒で紛らわせながら「遁走」「不能者」「湖畔手記」などを発表。晩年は東京世田谷区三宿へと移るが、アルコール依存症と肺病により喀血し、1928(昭和3)年7月23日に41歳で急死。戒名は「藝術院善巧酒仙居士」。墓は徳増寺(弘前市)と建長寺回春院(鎌倉市)にある。

■「葛西善蔵」に関連する防災格言内の記事
広津和郎 (作家 親友)(2012.07.23 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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