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『私の歳月』に遺されていた植草甚一が関東大震災で得た格言[今週の防災格言237]

time 2012/06/25

『私の歳月』に遺されていた植草甚一が関東大震災で得た格言[今週の防災格言237]


『 電車が、ポン、ポン、ポーン、三度バウンドしました。 』

植草甚一(1908〜1979 / エッセイスト・評論家・編集者 愛称は「J・J」)

植草甚一(うえくさ じんいち)氏は、ジャズや映画評論、ミステリーや欧米文学の紹介などで活躍。特に昭和40年代、雑誌のエッセイなどで当時の若者たちからカリスマ的な人気を誇ったエッセイスト。主な著書に『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう(第32回日本推理作家協会賞)』『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』『ジャズと前衛と黒人たち』『ワンダー植草・甚一ランド』など多数。昭和54(1979)年12月2日、心筋梗塞により東京都世田谷区経堂の自宅で逝去。
東京下町(東京市日本橋区小網町(現中央区))の木綿問屋「松甚」の一人息子として生まれたが、三代目を他人に譲り、映画配給会社の宣伝部や調査部勤務を経てジャズや映画評論を生業とする。雑誌「キネマ旬報」「映画之友」「スクリーン」「スイングジャーナル」や若者向けの雑誌「平凡パンチデラックス」「ワンダーランド(後の宝島)」などに執筆、若者に欧米のサブカルチャーの魅力を紹介した。

生家は大正12(1923)年の関東大震災で罹災してから没落。自身も、渋谷から市電で帰る途上、茅場町の中外商業新報社(現在の日本経済新聞社)前で大きな揺れに見舞われた。格言はその時の様子を語ったもの。出典は池波正太郎著『私の歳月(講談社文庫 1984年)』収録の「下町ッ子座談会 地震・カミナリ・火事・オヤジ(初出:文藝春秋 1973年9月号)」より。

曰く――

『電車はひっくり返んないで線路からはずれた。ちょいと表を見ましたら、お風呂屋の表のガラスが全部とれて細い柱が揺れておりましたね。男湯のほうに三人客がいまして、(笑)一人は着物を着かけていましたが、一人はまだ板の間で白い手ぬぐいで一生懸命中腰でふいていました。(笑)』

震災直後の猛火の中の竜巻(火災旋風)により数万人が一度に焼死した本所被服廠(ひふくしょう)跡地(現・横網町公園(墨田区横網二丁目))では植草の親戚が巻き込まれたが奇跡的に助かったという。

『ぼくの親戚にも一人、その頃十五ぐらいの女の子がいまして、それが助かっているんです。トタンがあったんでしがみついていたら、トタンと一緒に遠くまで吹き飛ばされたというのです。それほど強い風でした。』

■「植草甚一」に関連する防災格言内の主な記事
作家・池波正太郎(2012.06.18 防災格言)
ジャーナリスト・清水幾太郎(2008.09.29 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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