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野上弥生子が著書『日記の中から』に記した格言(作家)[今週の防災格言392]

time 2015/06/22

野上弥生子が著書『日記の中から』に記した格言(作家)[今週の防災格言392]


『 人間はいよいよ恐ろしい瞬間にならなければ
自覚しえないほど鈍感に出来ている。 』

野上弥生子(1885〜1985 / 小説家 法政大学女子高等学校名誉校長)

格言は『日記の中から』(1931(昭和6)年頃)より。

野上弥生子(のがみやえこ)は、夏目漱石門下の小説家。他にも随筆、童話を書き「ハイヂ(アルプスの少女ハイジ)」や「ギリシアローマ神話」などの翻訳でも知られる。
弥生子は、大分県北海部郡臼杵(現大分県臼杵市)の調味料会社「フンドーキン醤油」創業家である代屋(しろや / 現小手川酒造)三代目の小手川角三郎とマサの四人兄弟の長女として臼杵に生まれる。幼少から国文、漢文、英語を習い、15歳のとき単身上京し、明治女学校普通科へ入学。キリスト教的文化主義の校風の中で6年間を学んだ。20歳のとき、同郷で夏目漱石門下の野上豊一郎(1883〜1950 / 英文学者 法政大学総長)と結婚。漱石の紹介で「ホトトギス」に「縁」を発表し文壇デビュー。以後、1985(昭和60)年3月30日に99歳で逝去するまで常に第一線の作家として活躍し、「海神丸」「真知子」「迷路」など多数の作品を発表した。1964(昭和39)年「秀吉と利休」で女流文学賞を受賞、1971(昭和46)年に文化勲章を受章。1972(昭和47)年、臼杵市名誉市民となる。

38歳のとき、1923(大正12)年の関東大震災で渡辺町(荒川区西日暮里四丁目)の自宅で罹災。近くの高台・道灌山(開成学園)に避難した。その時の様子を著書「野上弥生子日記 震災前後」で《火事で夜間は明るく灯が要らない位であった。今度こそ怖ろしいというものを感じ、見た。而してつくづく人間の無力を知った。心から自然に対してケンソンな気もちになり、神に祈った》と述べている。
1938(昭和13)年秋から翌1939(昭和14)年冬にかけて、文部省の日英交換教授として渡欧した夫に同行し、アジアやヨーロッパを外遊。このとき、第二次世界大戦の開戦を間近で体験した。スペインではスペイン動乱を見、パリではドイツ軍による開戦の報を受け、近代戦争の凄まじさを知る。戦禍を逃れボルドーからニューヨークへと渡り、サンフランシスコ経由で日本へと帰還する中で、アメリカの強大な国力や工業力に脅威を抱いたという。弥生子は、生涯にわたり強い反戦思想の持ち主としても知られており、戦後1953(昭和28)年には来日したルーズベルト米大統領夫人とも対談した。

京都大学教授でイタリア文学者の野上素一は長男、東京大学教授で物理学者の野上茂吉郎は次男、保守派論客で哲学者の長谷川三千子は、東京大学教授で物理学者の三男野上耀三の娘である。高野岩三郎、穂積陳重らは遠戚。墓所は鎌倉の東慶寺にある。

野上弥生子
写真:English Wikipediaより

■「野上弥生子」に関連する防災格言内の主な記事
野上弥生子[1](2009.06.29 防災格言)
夏目漱石(恩師)(2012.04.09 防災格言)
安倍能成(評論家・哲学者 夫の一校時代の親友)(2014.11.24 防災格言)
児童文学者 村岡花子(2014.04.28 防災格言)
児童文学者 鈴木三重吉(2011.02.21 防災格言)
林芙美子(小説家)(2008.4.14 防災格言)
芥川龍之介(小説家)(2008.8.25 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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