『 人間が一番こたえるのは、自分の身が痛い時だ。 』
平沢計七(1889〜1923 / 労働運動家 関東大震災の亀戸事件により刺殺)
格言は戯曲『一人と千三百人(大正8年 「創作・労働問題」所収)』第一場より。社長を悪魔と呼び恨みがあるとまで口にする野澤造船所職工・布川久太郎の台詞から。
平沢計七(ひらさわ けいしち)は、近代日本の労働運動の指導者として、またプロレタリア演劇運動の先駆者として知られる人物。関東大震災の混乱のなか、社会主義者の川合義虎ら10名とともに亀戸警察署に捕らえられ、震災2日後の1923(大正12)年9月3日に軍警によって殺害(亀戸事件)された。 享年34。
関東大震災の3日前、1923(大正12)年8月29日。
警視庁新聞記者室で平沢と会った東京朝日記者の坂本正雄(戦前の労働者団体「友愛会」の幹部で、平沢を友愛会に紹介した人物)によると、平沢は《 おれは日本の労働運動の陣頭に立っている者であるが、間違っておれの愛している祖国の手で打砕かるゝか、間違っておれの愛している民衆の手で打砕かるゝか、どっちにしても愉快な死様をする男である 》――と予言していたという。
新潟県小千谷町(現小千谷市)生まれ。高等小学校を卒業後、1903(明治36)年から3年間、日本鉄道大宮工場の職工見習教養場で近代的鍛冶工としての技術を身につけた後、鍛冶工として大宮工場や鉄道院工作局新橋工場、浜松工場などで働いた。1914(大正3)年「友愛会」に入会すると、機関誌『労働及産業』『友愛婦人』に小説、戯曲を発表。翌1915(大正4)年、上京し友愛会本部常任となり、関東地方最大の労働組合組織となる城東連合会を組織し代表(会長)として活躍するが、1920(大正9)年に友愛会を脱退し「純労働者組合」を結成。労働者向けの劇団「労働劇団」を組織するとともに消費協同組合の先駆となる「共働社」、労働金庫、労働者のための夜学校「文化義塾」を立ち上げ、労働争議の指導に当たった。
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