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小寺菊子(尾島菊子)(1884~1956 / 小説家・児童文学作家)が関東大震災罹災直後に書いた随筆「天災の後」の名言 [今週の防災格言727]

time 2021/11/29

小寺菊子(尾島菊子)(1884~1956 / 小説家・児童文学作家)が関東大震災罹災直後に書いた随筆「天災の後」の名言 [今週の防災格言727]

『 朝になっても、そうして昼が来ても、又晩が来て次の朝になっても、市内の火焔がちっとも衰えなかった。その中に幾度となく激しい余震が私たちを脅かした。空腹と疲労と恐懼とに精神も肉体もへとへとになった。 』

 

小寺菊子(1884~1956 / 小説家・児童文学作家 徳田秋声門下 旧姓・尾島)

 

格言は、関東大震災の随筆『天災の後』(大正14年)より。

曰く―――。(以下、全文を掲載)

私たちが生きているこの地上に、いつどんなおそろしい天災地異が起るか知れない、とそれは常になんでもなげにお互いに口にすることではあるが、そして、いかにもそんな時に処すべきしっかりした覚悟が出来てでもいるかのように云ったりして、そのくせ、その絶望的な怖ろしさの予感に顫(ふる)えつつ空虚な淋しい微笑にさえ紛らして語り合いながら、ほんとうに、そんな天地もひっくり返るような天災地変など、自分の一生のうちにそう滅多と来るものではあるまい、と横着にも心の底で自ら慰めていたのであった。

実際それでなかったら、私たちは一日も一時も安心して、自分の仕事にかかることも出来なければ、生活を肯定することも出来ないのであった。明日にも住居を押し潰されるような大地震が来ようも知れぬ、今夜にも市中を全滅する大火が起るかも知れぬ、―――とそんなことばかり心配していたら、この惨事と悲痛と、苦悩と、それからなお無数の限りなき災禍に囲繞(いにょう=周りを取り囲んでいること)された『人生』にどうして生きていることが出来よう。

人間生存の如何に果敢(はか)なく虚しいものであり、生活の苦悩の如何に残虐なものであったとしても、私たちは尚やっぱり生きんがためにその戦場に出て絶えず戦いつづけているのである。今日の生活のために、そして人間全体のよりよき生活のために果敢(はか)ない光明を未来の世界に営みつつ生を営んでいる以上、明日の災厄を恐れているひまがない。どこまでもどこまでも精一杯の力と勇気とをしぼって、激しい闘争の渦の中に巻き込まれつつ行くのである。そうして、万一天地も覆る天災地変が起って、大切にしている生命までも奪われたら、もうそれまで、と最後の度胸だけは据(す)えているのである。それだけの度胸は誰も持っている、持たずにはいられないのだから。

然し、さていよいよあのような一大惨事が自分の眼の前に現われて見ると、今更ながら激しい恐懼(きょうく)に打たれた。自分の一生のうちにそう滅多に来るものではあるまい、などとそんな怖ろしさに堪えられないところから、無理にも易(やす)んじていたその弱い心を、ぴしゃりと、頭のてっぺんからどやしつけられたのであるから、その恐怖と不安は全くお話にならないのであった。人間の弱さをああいう場合ほど赤裸々に暴露することはあるまい。

東京全市を焦熱地獄と化せしめ、紅蓮の焔が赤く大都市の天井一杯に吐き出される大空の下に、辛くも果敢(はか)ない一命を支えて息も喘ぎ喘ぎ露宿(ろじゅく)していた私は、日に夜につづいて際限なくのべつにガタガタと震動する家の軒を見たとき、そして、耳には今炎々と燃えさかる市内の家屋の崩れ落ち焼き払われる激しい音響を聴きつつ、その中を必死に駆けめぐり逃げまどう幾十万の人間の無惨な姿を思ったとき、恐怖はもはや極度に達した。顔色は青ざめ、心臓は高く波を打ち、四肢は他愛もなくふるい、瞳はただ険悪に光るのみだった。実際人間の世にあんな酷(むご)たらしいことがあり得るものだろうか、なんというおそろしい生活の幻滅だろう。

恋愛も芸術も宗教も哲学も、この瞬間なんになろう、と考えた。私たちはひたすら命がほしかった。どんな犠牲を払っても命だけは助けなければならない、とそればかりで頭が一杯だった。恋愛も芸術も宗教も哲学もこの場合直接には少しの援助にもならなかった。身をもってこの惨苦(ざんく)から免れようという本質的欲望のみに充たされた。有島武郎氏がもし死ぬ前にこの災害を見たら、おそらく情死を中止されたろうに、などと咄嗟に思って見たりした。

しらじらと夜の明けるころ、初秋の郊外に露(つゆ)がしっとりと深くおりて、野宿する私たちの身辺を冷たくうるおしていた。四辺には虫の声が湧くように聞えた。人間生存の如何に果敢(はか)なく虚しいものであるかを彼等小さな虫けらどもが囁き合って、傷ましい挽歌を奏しているようにも感じられた。

朝になっても、そうして昼が来ても、又晩が来て次の朝になっても、市内の火焔がちっとも衰えなかった。その中に幾度となく激しい余震が私たちを脅かした。空腹と疲労と恐懼とに精神も肉体もへとへとになった。然(しか)もその上に鮮人の暴行、放火、殺傷、爆弾、主義者の宣伝など不穏な声が騒がしく途上に起って、女子供を顫(ふる)い上らせた。あゝ娑婆地獄、娑婆地獄と深い歎息をもらすより外(ほか)なくなった。頭の上には被害地を視察する飛行機が幾台も幾台も異常に消魂(けた)たましく飛び散っていった。

やがて地獄の底から救い出されたように、ようやくほっとして顔を上げたとき、私たちの眼の前に見るも戦慄するおそろしい焦熱地獄の記事や、写真が焼け残った一二の新聞によって報道されてあった。私たちは息をのんで知人の誰彼を気づかいはじめた。あの人が生きていてくれるだろうか、この人が無事に逃げ出せたろうかと。然(しか)し委(くわ)しい消息は勿論なんにも知る由がなかった。地盤の安定を可なり保証されているこの辺でさえ、ポストが往来に打ちのめされ、軒下の路傍、神社の空地、線路の上、庭の中、どこもかもが今人々の仮の住居(すまい)となっている惨目(みじめ)な街に郵便など思いもよらないのだ。

市内だけでも七万余の焼死者を出し、その他に幾千の圧死者、溺死者、行方不明の者など数限りもない惨劇を演じた地上に、今こうやって無事に生きている私たちは仕合(しあわ)せものであった。同じ死ぬにしても病死ならあきらめるだろうけれども、圧死焼死はあまりに惨目(みじめ)すぎる。不断(ふだん)はこんな浮世にそう執着もないと云うが、あゝなると本能的に命が惜しくなるから不思議である。どんな厭世家(えんせいか)だって、人生の否定論者だって、あゝいう際に悦んで死につくものはあるまい。

私たちはいつまでも跪づいて幾十万の不幸な霊に黙祷しよう。そして永久に慰められない彼等の霊を慰めたい。

… … …

小寺菊子(こでら きくこ)は、明治から昭和に活躍した女性職業作家。最初は旧姓「尾島菊子」として作品を発表し、画家の小寺健吉と結婚後は筆名を小寺としたが、戦時中に筆を折った。家庭環境を題材にした自伝的小説、随筆、童話のほか多くの少女小説作品を描き、少女小説の草分けの一人ともされる。

1884年(明治17年)8月7日、富山県富山市旅籠町の薬舗の家に生まれる。父親は人を雇い全国へ売薬行商を行なう越中富山の薬売り(反魂丹屋)だったが、父親が他の事業に手を出してから家は衰退していった。地元の尋常小学校、高等小学校を卒業。17歳で上京し東京市赤阪区(現・東京都港区)に暮らした。当初は知人(従妹の安達濱子)の世話になっていたが、19歳のときに実父が亡くなり、田舎から送られていた学資も途絶えて一家は離散状態となった。九人いた家族兄弟妹も、母とまだ幼い弟(尾島則義・十数年後に26歳で病死)と妹(千代子)の四人暮らしとなった。一時自殺も考えたが、一家の中心となって家族の生活を支えるため東京府教員養成所を卒業し、小学校の代用教員、会社事務員、官立学校のタイピストなどの仕事を勤めながら作家を志し、徳田秋声(1872~1943)に師事。1903年(明治36年)20歳の時、初の小説『破家の露』が雑誌「新著文藝」に掲載され、同時期に雑誌「少女の友」に少女小説『秋の休日』を投稿を続けた。1911年(明治44年)の小説『父の罪』が大阪朝日新聞社懸賞小説に入選、これが連載され作家としての基盤を確立することになった。また同1911年(明治44年)年秋に平塚らいてう、伊藤野枝らの「青鞜」に田村俊子(1884~1945)らと共に創刊時から参加し、女性の苦闘を自然主義的手法で描いた。1914年(大正3年)洋画家の小寺健吉(1887~1977年)と結婚し、大久保百人町(現・東京都新宿区)の新居に暮らした。近隣には大杉栄や内田魯庵が住んでいたという。1918年(大正7年)10月、与謝野晶子らとともに女流洋画家集団「朱葉会」を設立し、幹事となって会の中心的役割を担った。大正初期に岡田八千代(1883~1962)、田村俊子(1884~1945)らとともに大正三閨秀(けいしゅう)作家とも称されるほど職業女性芸術家として多方面に大きな活躍を果たしたが戦時中に筆を折ったという。1956年(昭和31年)11月26日、72歳で死去。

小寺菊子(尾島菊子)
尾島菊子(小寺菊子)32歳頃











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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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