『 一家の平和ということは、例えば清い空気や良い水が必要なように、私共の生活に欠けてはならないものだと思います。 』
平井恒子(1890~1975 / 作家・雑誌編集者 夏目漱石門下 旧姓・神崎恒子)
曰く――――。
一家の平和ということは、例えば清い空気や良い水が必要なように、私共の生活に欠けてはならないものだと思います。そしてそれは丁度空気や水に特別の味がないように、あゝ面白いあゝ愉快だと特別に感じるのでなしに、もっと自然の状態で私共をその中に溶けこませているものであります。ですから、その中にいる時にはそれに慣れて、別にそれを幸福とも有難いとも思わないでいますが、一度その平和が失われると、初めてその価値がわかってまいります。 ・・・(中略)・・・
私共は清い空気や良い水が人間の身体を健全にするように、一家の平和もまた、一家の生活力を強くするものだと考えなければなりません。何よりはっきりした事実は昔から栄える家は皆平和な家庭であり、家運の傾く家は大部分不和な家庭だということであります。現下国策の線に副って、消費節約をするにも、貯蓄をするにも、親子夫婦が心を協せ足並を揃えなければ効果は挙りません。結局一家の更新は先ず平和という隊伍を整えてからでないと、歩調を描いて進むことが出来ないということになります。
(随筆『家庭平和の道』(昭和14年) 著書『明日の女性』(長崎書店 昭和16年)集録)より。
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平井恒子(ひらい つねこ / 旧名・神崎恒子 本名・恒(つね))は、夏目漱石門下の女性作家(青鞜派)。漱石の日記に「神崎のお嬢さん」などとして何度か登場する。1911年(明治44年)に雑誌「新小説」に短編小説『傍観者』を発表しデビューするが、その後満足できる作品を残すことはなかった。文筆業では、百貨店・三越の機関紙「みつこし」編集者、婦人月刊誌「青鞜」同人・編集者、朝日新聞の身の上相談の担当などを経て、戦時中の1941年(昭和16年)に随筆『明日の女性』(長崎書店)を出版している。
1890年(明治23年)、佐賀県の代議士を務める父と静岡県の幕臣の家の母のあいだの長女として東京市牛込区市ヶ谷加賀町(現・新宿区市谷加賀町1丁目)に生まれる。兄弟は3歳下に弟が一人いた。
父親の神崎東蔵(かんざき とうぞう)は東京帝国大学英法科の出身で、帝大では夏目漱石の先輩にあたる。漱石が帝大の学生だった時分に、岸清一(後の日本漕艇協会初代会長・国際オリンピック委員会長)らと日本最初のボート選手の一人として活躍した。帝大卒業後は弁護士、地裁判事となり、地元佐賀市議、佐賀県議を経て憲政本党の政治家として衆議院議員を4期連続当選した人物だった。
1909年(明治42年)7月。恒子が日本女子大学国文科の2年生のとき、日糖事件(日本製糖の贈収賄汚職事件)が発覚し、事件に連座して父親が逮捕されてしまい、議員も辞職した。ただの“お嬢さま”から犯罪者の娘として突然人生が大きく変わる。父親の逮捕を契機に“筆で一生を送る”ことを決意したという。
同1909年(明治42年)、日本女子大で西洋美術史(美学・西洋文学)の講義を受け持っていた大塚保治(漱石の友人で漱石初恋の人・大塚楠緒子の夫)の紹介を得て漱石の門をたたいた。尚、この当時の漱石の女弟子は、恒子と山田しげ子(山田三良の夫人)だけだった。
1911年(明治44年)大学卒業。同年夏、漱石の薦めにより処女小説『傍観者』を「新小説」に掲載。1912年(大正元年)4月、三越の店員となり機関雑誌「みつこし」の編集者となるが、翌1913年(大正2年)2月、病気のため退職。以降、平塚らいてう、伊藤野枝らの婦人雑誌「青鞜」の同人となり、作家・編集者として短編『人の夫』『タイピスト』『雜木林』などを同紙に発表。1915年(大正4年)、帝国鉄道庁初代総裁や貴族院議員を務めた金沢(石川県)の鉄道技術者・平井晴二郎(1856~1926)の長男・平井武雄と結婚。結婚の翌年に恩師漱石が亡くなる。東京・青山へと移り、後に二男をもうけ、1975年(昭和50年)死去。
神崎恒子 23歳の頃
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