『 大衆のための仕事の価値をはじめてしみじみと感じた。 』
西條八十(1892~1970 / 詩人 作詞家 仏文学者)
格言は『唄の自叙伝』(昭和31年 小山書店)「大震災の一夜」より。
詩人を志し早稲田大学へと進み、大正8(1919)年に詩集『砂金』を自費出版した当時、西條八十(さいじょう やそ)は芸術至上の文学者を標榜していた。
そんな彼が歌謡作詞家となる転機を迎えたのは、大正12(1923)年9月1日の関東大震災だった、と語っている。
余震の続くなか柏木の自宅(東京市淀橋区柏木(現・東京都新宿区))を出て歩くと、余りの混雑に巻き込まれて、二進(にっち)も三進(さっち)も立ち行かなくなり、流されるように夕暮れの上野公園にうち上げられ、ここで空しく一夜を明かすことを余儀なくされた。
すると、上野公園に逃げこんだ被災者の群れの中から少年の吹くハーモニカのメロディーが流れてきた。恐怖にこわばっていた群衆の表情がみるみる緩んでいく。それを見ていた象徴詩人・西條は『俗曲もまたいいもんだ』と思い、このとき『大衆のための仕事の価値をはじめてしみじみと感じた』と述懐する。
曰く―――。
《 深夜になると、人々は、疲労と不安と餓とで、ほとんど口をきかなくなってしまった。化石したように、坐り、蹲(うずくま)り、横たわっていた。・・・中略・・・
ふと、隣にいた十五六の少年が、急に自分のポケットに手を入れて何か探しているのに気がついたのだ。やがて少年の取出したものは銀色に光る小さなハーモニカだった。少年はちょっとの間、あたりを眺め廻していたが、矢庭(やにわ)にそれを唇に当てて吹き出そうとした。
わたしはおどろいて少年を制(とど)めようと考えた。この悲痛な夜半、のんきらしくハーモニカを吹くなんて相応(ふさ)わしくない。いくら子供でも、周囲の人々が怒り出すであろう。血気にはやる連中は、撲り倒すかも知れない。しかし、そう思う間もなく、少年は悠然とその小さい楽器を吹き始めた。
それは誰も知る平凡なメロディーであった。だが吹きかたはなかなか巧者であった。と、次いで起った現象。――これが意外だった。
ハーモニカのメロディーが晩夏の夜の風にはこばれて美しく流れ出すと、群集はわたしの危惧(きぐ)したように怒らなかった。おとなしく、ジッとそれに耳を澄ませている如くであった。少年は誇をもって吹きつづけた。曲がほがらかなヴェースをいれて進むにつれ、いままで化石したようになっていた群集の間に、私語(ささやき)の声が起った。緊張が和(なご)んだように、或る者は欠伸をし、手足をのばし、或る者は立ち上って身体の塵を払ったり、歩き廻ったりした。
一口にいえば、それは冷厳索莫(れいげんさくばく)たる荒冬の天地に一脈の駘蕩(たいとう)たる春風が吹き入ったかのようであった。山の群集はこの一管のハーモニカの音によって、慰められ、心をやわらげられ、くつろぎ、絶望の裡(なか)に一点の希望を与えられた。
少年の気まぐれな吹奏は、ほんの短かい時間で終り、山はもとの闇黒(あんこく)の寂寞(せきばく)に還ったが、松の根かたに腕拱(うでこまね)いていたわたしは、このことから、ある深い深い啓示を与えられた。
「俗曲もまたいいもんだ」
と、わたしは呟いた。
「こんな安っぽいメロディーで、これだけの人が楽しむ。これだけの人が慰楽(いらく)と高揚(こうよう)を与えられる」
わたしは大衆のための仕事の価値をはじめてしみじみと感じた。 》
西條の長女・西條嫩子(ふたばこ)は、著書『父 西條八十』(昭和50年中央公論社)で以下のように述べている。
《 大正十二年、母がお産で入院中、大震災がおきた。私はまだ四歳で、妹の慧子と盲目の祖母をかかえるようにして、琴という名の保母兼家政婦が中庭につれだすと同時に、目の前の物置が大震動で瞬時にくずれてめちゃめちゃになってしまった。
すぐに父が駆けもどってきた。近くの髪床屋に行っていたのでエプロン姿のまま、落ちてきた屋根瓦にひたいを割られ血だらけであった。私共の無事な姿を見た時の父の顔を忘れることができない。家は壁が落ちた位だったのでひといきつくと父は双児を死産したばかりの母を案じて池袋の高橋病院に出かけていった。余震がひんぴんと繰り返された。都心や下町方面の空が炎のように赤く染っていた。朝鮮人の襲撃があると言って近所の男の人たちが竹槍をかまえて出ていった。
病院へかけつけた父は母が池袋駅の構内に寝たまま避難して無事であることをたしかめると月島に住む兄英治夫婦を案じて築地の方角へ歩き出した。ところが、倒れた家屋や避難民の激しい動きにまきこまれ、いつのまにか上野の山の方へおしよせられてしまった。自警団に阻まれたりして、けっきょく一夜を明かす羽目となった。
その夜半、地獄のように遠く近く燃えさかる火災を眼下に見ながら、恐怖にふるえている避難民の中からとつぜん一少年の吹くハーモニカの音が響いた。それは思いがけぬ美しく優しい音であった。激しい地震と火災におびえ、疲れた人々の心に、それは慰撫の天使の喇叭(ラッパ)のように鳴りひびき、しみ渡った。この時の得もいわれぬ深い感銘が父をして歌う唄、大衆への歌、レコードへ向う機縁となったようである。 》
「唄を忘れた金絲雀(かなりや)は、うしろの山に棄てましょか(童謡「かなりや」)」、「母さんお肩をたたきましょう タントン タントンタントントン(童謡「肩たたき」)」、「貴様と俺とは同期の桜(軍歌「同期の桜」)」、「花も嵐も踏み越えて 行くが女の生きる途(映画「愛染かつら」主題歌「旅の夜風」)」、「若くあかるい歌声に 雪崩は消える花も咲く(映画「青い山脈」主題歌)」、「踊り踊るなら チョイト 東京音頭 ヨイヨイ(「東京音頭」)」など数々の詩歌で知られる童謡詩人・作詞者の西條八十。
1892(明治25)年、東京市牛込区牛込払方町(現・新宿区払方町)に生まれる。戸籍上は九人兄姉弟の七番目で、三男。長男は養子(父親の重兵衛の実弟)で、八十の上にいた長女と四女は幼くして亡くなっている。西條家は江戸時代から続く質屋「伊勢屋」を経営し、父親の重兵衛はその番頭をし、実家は大久保周辺に土地を持つ大地主だった。後に、当時日本では数少ない石鹸製造販売業を始めて大成功を納めたが、父親の死後に家は没落した。
桜井尋常小学校、早稲田中学校(旧制)を経て、1909(明治42)年早稲田大学英文科に入学するも、半年で中退し、二年後に再入学し、日夏耿之介らの詩誌『仮面』や三木露風の『未来』に参加して詩作活動入り。1919(大正8)年に処女詩集『砂金』刊行、印象詩集として高い評価を受けた。しかしその間に、兄の突然の放蕩から一家没落の悲運に見舞われ、大学卒業後は老母と弟姉を抱えながら兜町で株屋の外交員などをして生活を支えるが、第一次世界大戦後の株大暴落を機に神田の出版屋の二階に夫婦で住み『英語之日本』の編集をしながら詩作を続けた。
こうした中で、創刊されたばかりの児童文芸誌『赤い鳥』を主宰する鈴木三重吉が西條のもとを訪れて執筆を依頼、『薔薇』や『かなりや』など多くの童謡を発表し、北原白秋や野口雨情と並んで大正期を代表する童謡詩人と称されるようになった。
その後、1921(大正10)年には早稲田大学英文科講師、1924(大正13)年から二年間はソルボンヌ大学に留学し、帰国後は早稲田大学仏文科の教授として教鞭をとりながら、歌謡曲や俗曲、外国文化研究や小説まで創作活動を広げた。1970(昭和45)年8月12日、急性心不全により世田谷区成城の自宅で死去。享年78。
大正11年頃・柏木の自宅にて
左前列より二女慧子、母徳子、長女嫩子、後列左から女中琴、妻晴子、八十
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