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横井弘三が関東大震災の時に残した格言(洋画家)[今週の防災格言414]

time 2015/11/23

横井弘三が関東大震災の時に残した格言(洋画家)[今週の防災格言414]


『 今や栄華も貧乏も夢現ゆめうつつとなった。 』

横井弘三(1889〜1965 / 洋画家)

格言は『へぼ画家の震災感(「みずゑ」大正12年10月号掲載)』より。

大正12(1923)年9月1日。妻、子供らを連れて二科展へと足を運び、大井の自宅(東京府荏原郡大井町字関ヶ原(現品川区大井町)※愛花園という広い庭園があった)へ帰る途中の品川駅で大きな揺れに遭遇した。

《 突乎たる大震に、我等は駅の柱にかぢりついて角力(すもう)をとっていました。大都会の砕ける大音響。やがて東京全人のワメク声・・・・・・・・・・・
我等夫婦は子どもをヒッショッて、路上の惨状に驚きつゝ、我家に帰って見ると、多少の震難ですんだが、父の花園は荒れてはいたが、その内に近所の人々が、最早避難して来て、野宿の仕度で騒がしい。今や愛花園も不安な楽園となってしまって、金持も貧乏人も一所に集まった。
目黒の火薬庫だと言われる方面からは、もう煙が上りだした。夜になるにつれて、下町の焼ける音響交りの煙は、大雲かと思われて園を照した。ある人は私に、この光景を絵に描いたらと言うたが、どうして余りに惨酷すぎて出来るものじゃない。 》

翌日には社会主義者などが襲来するとのデマが飛び交い、また、断水で自宅の庭園にある井戸へと水を求めて毎日何十人と人が来るようになったことから、避難してきた近所の者たちと神経を尖らして、夜な夜な夜警と井戸番をするのがこの日からの日課だったという。

《 夜警の徹夜の時、一人、闇の園の中に坐して、今後、日本の画家は如何に生きてゆくかに思い入った。樹草の密生せる千坪の地上の怪化物の出そうな、井戸側で、黒くも夜の思想の衣を縫いゆく事よ。 》

震災後には、画家の自然淘汰など画界に大きな変化が来るだろう、と静かな夜空を眺めつつ、心の中で自問している。

《 私は生きる方法を幾つもつか? 精神的に絵を描く事、たったそれ一つかないのかしら? あわれなものだ。今や栄華も貧乏も夢現となった。人間の目的が生そのものに向いてでなければ、生き残った事は幸福であらねばならぬ。だが、私は絵ばかりかいてはいられぬ。何かより以上の生産的な仕事をしよう。物質的に自分は、筋肉の大した所有者でないから、力の人夫も出来ぬ。今は人夫と大工の世界だ。次はその建てられた家に働く商店員なり、工場内の人々の入用の時がくる。我々の時機は、この時だ。何かその時、地職を求めよう。自分はこんな時代が来ても、天職たる絵を商品としてはいけない。私は時代に関係なしに描いてゆけばいゝのだ。強く自然に感応した時、描けばいゝのだ。対照と合致する夢中さがなければだめだ。自分には極端なる主観を殊さら出す必要はないのだ。何しろ、どうなるか知れないが、描きたくてたまらぬ時に描けばいゝのだ 》―――と。

横井弘三(よこい こうぞう)は、大正・昭和期の洋画家。独学で絵を学んだ日本における日曜画家のはしりでもあり、彗星の如く中央画壇に登場したことや形にとらわれない素朴な作風から「日本のアンリ・ルソー」と呼ばれた人物。
長野県下伊那郡飯田町(現長野県飯田市)生まれ。3歳のとき、後に今村銀行支配人となった父について東京(日本橋人形町)に転居。1910(明治43)年、旧制大成中学を卒業。美術学校の入学を希望するが、父の反対により早稲田大学高等予科に進学。1913(大正2)年、出席日数不足により早稲田大学商科を中途退学。美術学校、画塾の専門教育を受けず独学で絵を学び、1915(大正4)年の第2回 二科展に初出品した「霽れゆく園」で初入選、同時に「第1回 高山樗牛(ちょぎゅう)賞」を受賞。翌1916(大正5)年の第3回二科展で「二科賞」を受賞。以降、第11回まで出品・入選。1924(大正13)年、関東大震災で被災した子供たちへ寄贈した「復興児童に贈る絵」を二科展に出品するが、これらの展示拒否にあい二科会を脱退、1929(昭和4)年に童心芸術社を設立。1930(昭和5)年には、既成画壇の審査体制を批判し、日本初のアンデパンダン展(無審査・自由出品制の公募展)を開催させ、中央画壇と決別する。戦時中は、日本美術報国会への加入を断ったため、絵の具の配給が受けられず、電気会社の徴用工などで働いた。1944(昭和19)年、55歳のときに長野県長野市へと疎開、小中学・高校の図画教師として絵の指導にあたった。1956(昭和31)年、長野市南県の裾花館に転居し、絵画教室を開く。晩年は各地を転々としながら絵を描き、1962(昭和37)年に一水会会員となり、1965(昭和40)年10月11日に心不全により死去。享年76。

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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