『 いざとなって真に腹にこたえのあるものとなれば、忽ち不足を来すのが都会いずれも同一である。 』
加藤久米四郎(1884〜1939 / 政治家・政友会 実業家 衆議院議員(7期) )
格言は著書「憧憬より自覚へ:地方青年に檄す(成文舎出版部 1924年)」より。関東大震災(1923年)直後の人々の相互扶助精神や食料品などに言及している。
曰く―――。
《 (震災直後、財力を信じていた分限者も薄給者も)皆一様に寺院其他学校等の仮収容所に避難し、或は焼トタンにて乞食小屋よりも尚粗末なるを造ってそれに入り、給与の時来れば、三町にも亘る列に肩を並べて立つ様になったのである。水は配給車によって運ばれ、この配水を受くるにも、尋常一様の事ではなかった。且(かつ)其(そ)の量と誰も極めて少なかった。
配給米は、始め握飯(勿論玄米)一つに沢庵漬二切を給され、後一人一日二合乃至三合椀として玄米にて給与された。 ・・・中略・・・ 罹災前の生活と比較する時は、実に簡易生活を過ぎて、むしろ原始時代の生活であったのである。
殊に電燈は滅し、総ての交通機関は絶え、衣服寝具は流失焼失し、焼け跡の灰塵は濛々と耳目を掩(おお)うのである。真の丸裸の人間とはかゝる状態を云うのである。自然に帰ったとは、かくの如き状態を云うのであろうかと人々は深く心に刻んだのである。この位に迄苦窮のどん底に墜ちても、生を求める心は愈々(いよいよ)急である。
この不測の生活を本体と考えたならば、今後の復興何事やあろう。土蔵も家作も美服も皆自分の手によって購(あがな)いしものである。人間が造って売り、人間が買った物を永久に消散すると云う事はない。人間の造ったものならまた人間は再造し得るのである。神の造りしものならばいざ知らず、二百四十万の戸数帝国の首都世界屈指の都市もその設備の微弱なるをば深刻に感じた。大東京の全盛も、水源地と発電所を断たば、都民は忽ち狼狽して半狂を呈し、何等の結束するを知らない。故に今後に於ける事変突発の場合は、先ず以て暗夜と飢渇と戦うの勇気を持たねばならない。
都会の破壊それは滅亡よりも尚哀れに淋しいものである。今後益々人口が増加し、いづれの農村と雖(いえど)も繁盛を見るべく、従って愈々(いよいよ)益々多事多端の時勢となるのであろう。
・・・中略・・・
防火壁を四周にめぐらして、近隣との交際もなさゞりし高利貸といえども、一度一大天災いたるや、泣き叫んで救いを隣人に求めたのであった。常には区役所等の吏員(りいん)より玄米の施与を受ける時、心から感謝の意を表していた。人生は終始人を離れて社会なく、孤寡(こか=孤児や寡婦)以て真の人生はないのである。かゝる天譴によって始めて同情(どうじょう)友誼(ゆうぎ)隣保相扶(りんぽそうふ)の尊ぶべきを痛感した。
自警団詰所に急拵(きゅうごし)らえの腰掛を備え、それに肩を並べて、博士と無学の徒と列し、金歯の金持ちと蓬頭破服(ほうとうはふく)の貧民と相対して真の人間味を語る時、そこには何等の階級はなかった。常に同情友愛の気分が濃厚に漂っていた。
・・・中略・・・
殊に平常店頭に在る品物は、滋養そのものよりも、体裁の美と珍奇とを売買するという傾向であった。故にいざとなって真に腹にこたえのあるものとなれば、忽(たちま)ち不足を来(きた)すのが都会いずれも同一である。蛤の缶詰、カステラ、梨、その他種々あれども、米飯ならざれば承知できぬ日本人には、そしてまた、高価なる飲食物を購求する能(あた)わざる罹災者の大半には、何等の価値もなかった。勿論欲しい事は欲しいが、勝手にそれを掠奪する程迄には非道徳は発揮されなかった。窮地に在っても、尚相当の規律は保たれていたのである。 》
加藤久米四郎(かとう くめしろう)は、政友会最高幹部として活躍した政治家。体格に恵まれた威勢の良い酒豪で、何より、比喩やユーモアを交えた話術に長けた円転滑脱(えんてんかつだつ)な人物として、誰からも好かれる政治家だったという。
1884(明治17)年、三重県桑名郡西桑名町(現桑名市)生まれ。16歳で上京し、1908(明治41)年に日本大学法律科を卒業後、日本大学の幹事として大学経営の任にあたった。政治家・水野錬太郎(1868〜1949 / 内務大臣)の知遇を得て、内務大臣秘書官(明治神宮造営局参事、社会事業調査会幹事)を3回務めた。1920(大正9)年、第14回衆議院議員総選挙に政友会から出馬し初当選。1928(昭和3)年の選挙ではトップ当選を果たすなど以降、当選7回。1927(昭和2)年、田中義一内閣で内務参与官となり、1931(昭和6)年の犬養毅内閣では拓務次官、1937(昭和12)年の第一次近衛文麿内閣で陸軍政務次官を歴任。中央衛生臨時委員、保険調査会委員、特別都市計画委員会臨時委員、人口食糧調査委員、神社調査会委員、港湾調査委員などを歴任。日本発明品製作会社社長、日本特許インキ会社取締役として実業家としても活躍した。1939(昭和14)年1月9日、脳出血のため56歳で急逝。
画像出典Wikiより
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