『 地震のことは忘れようとしておりますが、アノ火事の恐ろしかった事だけは、尚まざまざと残っております。 』
九条武子(1887~1928 / 歌人・慈善活動家 関東大震災で罹災 「大正三美人」の一人)
築地本願寺内の自宅で大きな揺れに遭った九条武子は、激しい業火と余震の続くなかを“もう助からないもの”と死を覚悟しながら数百メートル先の浜離宮まで逃げ、そこから青山の兄・大谷光明宅へと避難したという。
震災で武子の住まう築地本願寺の本堂は全焼し、その後、再建に十年を要すこととなった。
曰く――――。
地震のことは忘れようとしておりますが、アノ火事の恐ろしかった事だけは、尚まざまざと残っております。
その日は院展(※上野で開催の日本美術院展)の招待日で十一時半頃、築地本願寺の住居に戻って参りました。着更(きがえ)をして椅子により読書をはじめようと一、二頁操った時、地震でしょう。
最初のはそれ程でもなかったが、その次のが随分ひどい揺れ様でしたから、足袋跣のまま庭へ出ますと屋根瓦がパラパラと落ちて来る。これは危ないと更に裏の物干場まで行き、その庭の木につかまっておりました。
そのうち本堂前の広場に沢山の人が避難して参りました。殊に近所の病院から若い看護婦達が何れも患者を背負いながら本堂の内まで運んで来る様を見ては本当に涙ぐましくなりました。
諸方の火事が始まりましたが、火の手はみんな彼方(あっち)へばかり進んでいるので安心していたのです。
四時頃になれば銀行に出てる主人が戻って来ますから、一檀家の中に入り部屋を見るととても酷い有様でした。夕方六時頃になって本願寺の方から危険が迫って来る様子だから避難準備をなさいと注意があり、野宿の覚悟で重要な品物を取りまとめにまた家に入りましたが、暗闇の手探りの上に余震のたびごとに肝を潰して飛で出す有様ですもの、辛うじてカバン二つを持ち出しただけです。
モウ采女橋(※築地)の側まで火が迫ってきた。私共の顔が紅く火焔に照らされて熱う御座いました。
何しろ逃げる場所がないで、とにかく家族や別院の人達五十名ばかり一団となり、築地の海軍大学の方へと逃げ出しましたが、モウ有栖川宮様の銅像あたりは人と荷物で埋まっております。
そして後から逃げ出してくる雪崩の様な人波に揉まれながらお濱離宮の中まで全く命からがら逃げました。そこで高樹町の兄(大谷光明)に不思議に遭いました。そして青山方面は安全だという事をはじめて聞いたのです。
火の粉は私共の身辺に流星の如く降って参ります。兄の乗ってきた車には私共の父の代から仕えている婆やを乗せ、その夜のうちに兄の家まで逃れました。恐ろしい火の海をどう切り抜けて来たか、その時は全く夢心地でしたからよく判りません。芝公園の中を抜けた事だけは覚えておりますが……。
出典:「震災叢書 第3編(震災惨話)」(大正12年)より。
―――この震災を契機に、武子は献身的な罹災者支援の慈善活動に邁進することになった。
… … …
九条武子(くじょう たけこ)は、大正時代に、柳原白蓮、江木欣々とともに大正三美人と称された女傑。親鸞聖人の血を引く西本願寺門主の令嬢に生まれ、華族の九条家へと嫁ぎ、男爵夫人となり、歌人・作家として活躍する一方で、数多の慈善活動を行うが、関東大震災の復興活動に奔走するなか、惜しくも若くして亡くなった。
1887年(明治20年)10月20日、浄土真宗本願寺派第21代法主・大谷光尊(明如)の二女として京都に生まれる。父の寵愛を受けながら、京都西本願寺の境内で“お姫さま”のように何不自由なく育った。幼いころから琴、茶道、フランス語を習い、長兄・大谷光瑞(第22代法主)と結婚した籌子(大正天皇の皇后・九条節子の実姉)とともに寺社内で教育を受けた(御裏方教育など)。1903年(明治36年)に父・光尊が死去すると、法主となった兄・光瑞と義姉・籌子らと行動を共にし、日露戦争の出征家族慰問などを行う教団慈善社会事業「仏教婦人会」を創設させ、各地を巡教して回った。1909年(明治42年)23歳のとき、公爵家出身で正金銀行勤務の男爵・九條良致(籌子の実弟)と結婚。結婚直後に夫の留学に伴い渡欧し、ロンドンで孤児院や女学校、病院を視察し、欧州の教育・福祉・慈善活動を知る。夫はケンブリッジ大学留学のためイギリスに残ることになり、武子は一年後の1910年(明治43年)に単身帰国した。1911年(明治44年)に籌子が急逝し、遺志を継いで「仏教婦人会」の実質的な運営責任者となった。
1916年(大正5年)歌人の佐佐木信綱門下となり、夫の帰国を待ちながら歌道にいそしみ、歌集『金鈴』(1920年)で世に知られた。
同年、京都女子高専(現京都女子大)を創設させ、1920年(大正9年)12月、10年ぶりに帰国した夫とともに、本願寺のある京都から東京築地本願寺内に移り住んだ。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災直後から、国内で続々と罹災者支援の社会事業が始まるが、資金不足などから一年も過ぎると撤退する事業が多くなった。これらに疑問を感じた武子は、自らが陣頭指揮をとり1925年(大正14年)年に本所区役所跡地に「築地本願寺診療所」を設立させ、また、上野公園に託児所、日比谷公園に診療所(後の「あそか病院」)を造り、震災孤児や震災弱者らの救援活動など様々な慈善事業を推進した。
1925年(大正14年)秋には帝国劇場で自らの戯曲を上演し、その売上で「歳末慰問巡回施療」の事業を創設させ、武子自身が看護服やエプロン姿で毎日細民街(スラム街)を慰問して回った。1927年(昭和2年)12月20日に東京の三河島や本所を巡回した際に風邪をひき、その後も無理をしていたところ気管支を痛めたという。医者に言われ多少休んだが、熱が下がり復帰すると診療所の備品(電話)購入のために熱海へと出かけ演劇の慈善興行をし、売上を寄付するといった活動を続けた。高熱が続くため1月18日に原宿の磯部病院に入院、1月27日に敗血症となり、1928年(昭和3年)2月7日に42歳で世を去った。
浄土真宗本願寺派では武子の命日2月7日を「如月忌(きさらぎき)」と呼び法要が行われる。
九条武子
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