『 建築を堅牢にし、多数の公園を設け、地下鉄道を作り、十分に火災や震害を免かれ得る設備をしたとしても、それでもはや市民の生活は安全になったと保証することはできますまい。 』
ミカエル・A・ステシエン(1857~1929 / 在日宣教師・ルクセンブルグの神父・キリシタン研究者)
格言は関東大震災に罹災した直後の著書『大震災と死の思想』(1923年10月10日)より。
長い年月と巨大な財力とを以て築き上げた文化も今回の大震災のやうに忽然として烏有(うゆう)に帰し、跡形も無くなってしまふことは、単に、大自然が偶然な戯れとのみ考へ去ることはできません。
古い町々に新らしい家々は再び立つでありませう。東京市は其焼け跡に更らに一層の美観を以て復興するでありませう。そして、数十年の後には、人々は今日の我々が安政の大地震を物語るやうに、大正の大禍害の昔語りに耽(ふけ)るでありませう。
然し、歴史は繰返すものとするならば、数十年の後、難が再び今回のやうな大惨害が無いと断言することができませうか? 建築を堅牢にし多数の公園を設け、地下鉄道を作り、十分に火災や震害を免かれ得る設備をしたとしても、それでもはや市民の生活は安全になったと保証することはできますまい。
他のいかなる災害が其処に突発するかも知れぬ。人間が蟻の巣を壊すと蟻は再び作り出す。しかも其処に惨酷ないたづらな人間の手が更らに再び待って居ることを知りませぬ。文明抔(など)と誇っても、人間のすることは所詮それと同じです。 ・・・(中略)・・・
けれど、かくも狂暴な冷酷な自然力が、又、実に温かい、愛に充ちた主人であることを私共は忘れてはならぬのです。地球は恐しい地震を起すけれ共、それは不断は『母なる大地』と云はれるほど、一切地上に住む生物を恵む乳房です。我々の生命をつなぐ食物は凡べて此大地から生ずる。其他、地を照らす日光、地を濡す雨、何れか私共生物に一日として無くてはならないものでありませう。即ち、私たちは自然の恵みに依って生きて居る以上、自然の怒りを受くることも極めて当然です。
ミカエル・A・ステシエン(Michael A. Steichen / ミッシェル・スタイシェン)は、カトリック教会の神父。1887年(明治20年)から在日宣教師として、盛岡、築地、静岡、麻布、横浜などで布教活動を行い、「教友社」を設立し、カトリック教会の雑誌『聲』の編集主幹として健筆を揮った人物。日本のキリシタン史話を発表し、没後の著作『キリシタン大名(切支丹大名記)』で著名。
1857年12月17日、ルクセンブルクのデュドランジュ生まれ。幼年時代は、祖国ルクセンブルクやフランスのシャーロン・シュル・マルヌ市で過ごした。初め実業家を志し、ドイツ語、フランス語、英語を学ぶためにロンドンに留学。22歳の頃、宣教師となるためラテン語を学び、パリ外国宣教会入り。1886年(明治19年)に司祭となり、1887年(明治20年)に日本へ派遣され、岩手県盛岡、築地神学校、静岡を経て、1896年(明治29年)に麻布に転任。1908年(明治41年)横浜若葉町教会主任に就任。1909年(明治42年)聖心女子学院付き司祭となり、1911年(明治44年)には雑誌『聲』の編集長となった。1918年(大正7年)に築地神学校長、築地教会主任司祭を兼任。日本の切支丹(キリシタン)史研究を行うが、1923年(大正12年)の関東大震災の大火で日本切支丹史の資料を失った。震災後に健康を害し、関口教会に避難し、1928年(明治3年)本郷上富士前教会主任となるが、翌1929年(昭和4年)7月26日に本郷教会にて死去。71歳。
関東大震災の罹災状況について、以下のように書簡に詳しく認めている。
『人の子は思はざる時に来らん』といふ語が聖書の中にはありましたが、あの大地震の起る前のホンの一分間、いや、一秒間の前だって誰がこんな意外な大事件が此大都会を襲ふ抔(など)と思ったものがありませうか。
早いお話が、私自身もその日は郊外の私の家から東京まで出かけたものです。しかも、今三十分おそかったならば私もあの大火の中に巻き込まれなければならなかったのです。
丁度、電車に乗って青山一丁目まで来た時、突然、電車が波のやうに大揺れに揺れて、ピタリと進行が止ったと思ふと、乗客の凡(す)べてが忽ち総立ちとなりました。それ、地震だ!といふ叫び声が口々から洩れて、飛び出すもの、逃げ惑ふもので往来は一ぱいでした。
然し、その時でさへも、其地震の為に東京全市がこんなことにならうとはだれも思ひ初めだにしなかったでせう。地震は引続いて激しく起りました。そのうちに、誰いふとなく、火事だ!といふ報告が耳を打ちました。見ると彼方の空は忽ち黒雲のやうに煙が掩(おお)ふて居ました。然し、それでも尚東京市の全滅抔(など)といふやうなことは私自身の頭にも影だに浮かばなかったことでありました。
けれど、此地震が普通のものでないといふことは直感的に私の心に分りました。見る見るうちに塀が壊れる、瓦が落ちる、御所の堤が壊れる、そのうちに、お婆さんが煉瓦塀の下敷となって片腕だけ見える!といふ報告が直ぐ近所の家から起って、何となく慌しい不安な気分が漂ふ、黄色っぽい空気が空一面漲(みなぎ)る、跣足(はだし)のまゝの男女老幼が往来に集って来る、急速力で自動車が飛ぶ、自転車が走る。
私はしばらく電車の中にジッとして居ましたが、到底、さうしては居られないでした。地震は二、三分おきには激しく襲うては来ましたが、私の家には二人の小いさな女の子が留守をして居るので心配は一通りではありません。もし、家屋が倒壊して、その下敷きになって壓死(おうし)でもしはしないか? といふ不安に襲はれて堪らない感じがしました。のみならず私の妻は二月前から病院の人であるので、もしや、あの大きな建物が火にでも襲はれ、手足の悪い妻が逃げ場を失って悲惨なことにでもなりはしないか、抔(など)といふ恐しい想像が一連り私の頭を駆けめぐり、もはや一分とジッとして居られない。然し、私は又、大丈夫だ!守護の天使は屹度(きっと)守って居て下さる!何だ!信仰の弱い!と自分で自分を叱り励ましました。
■「関東大震災」に関連する防災格言内の記事
内田魯庵(評論家・翻訳家・小説家・随筆家)(2019.09.23 防災格言)
正宗白鳥 (小説家・劇作家・評論家)(2018.09.17 防災格言)
鈴木三重吉(児童文学者)(2011.2.21 防災格言)
松山 敏(松山悦三 / 編集者・詩人)(2018.07.30 防災格言)
市島春城(随筆家・政治家 早稲田大学初代図書館長)(2018.06.04 防災格言)
本山彦一(実業家・大阪毎日新聞社長 貴族院議員)(2018.05.21 防災格言)
山田次朗吉 (剣客・直心影流第十五世)(2017.12.11 防災格言)
真野毅 (弁護士・裁判官 最高裁判所判事)(2017.09.25 防災格言)
佐多稲子 (小説家)(2017.08.28 防災格言)
野上俊夫 (心理学者 京都帝国大学名誉教授)(2017.08.07 防災格言)
大佛次郎 (作家)(2017.07.17 防災格言)
岸上克己 (社会運動家・ジャーナリスト)(2017.06.26 防災格言)
荻原井泉水 (俳人・随筆家)(2017.02.27 防災格言)
二木謙三 (内科医・細菌学者)(2016.11.14 防災格言)
山川菊栄 (婦人運動家・作家)(2016.11.07 防災格言)
加能作次郎 (小説家)(2016.5.16 防災格言)
芥川龍之介(小説家)(2008.8.25 防災格言)
水上滝太郎(小説家・実業家)(2015.07.20 防災格言)
野上弥生子(小説家)(2015.06.22 防災格言)
林芙美子(小説家)(2008.4.14 防災格言)
川村花菱(脚本家)・山村耕花(画家)(2010.2.22 防災格言)
内田百間(作家)(2010.3.8 防災格言)
大曲駒村(俳人・作家)(2012.08.27 防災格言)
竹久夢二(画家)(2012.08.20 防災格言)
広津和郎(小説家)(2012.07.23 防災格言)
池波正太郎(作家)(2012.06.18 防災格言)
菊池寛(作家)(2012.03.26 防災格言)
横光利一[1](小説家)(2016.6.13 防災格言)
横光利一[2](小説家)(2016.7.25 防災格言)
長田秀雄 (詩人・劇作家)(2016.10.31 防災格言)
水野錬太郎 (官僚政治家 内務大臣)(2016.04.11 防災格言)
井上準之助 (銀行家 大蔵大臣・日本銀行総裁(第9、11代))(2018.12.03 防災格言)
結城豊太郎 (銀行家 大蔵大臣・日本銀行総裁(第15代))(2016.12.05 防災格言)
横井弘三 (洋画家)(2015.11.23 防災格言)
三浦梧楼 (武士・陸軍中将)(2015.12.21 防災格言)
加藤久米四郎 (政治家・政友会 実業家)(2015.10.05 防災格言)
宮武外骨 (ジャーナリスト・著述家・文化史家)(2015.08.31 防災格言)
北澤重蔵 (実業家 天津甘栗「甘栗太郎本舗」創業者)(2015.08.24 防災格言)
土田杏村[1](哲学者・文明批評家)(2014.09.01 防災格言)
土田杏村[2](哲学者・文明批評家)(2019.10.07 防災格言)
賀川豊彦(キリスト教社会運動家)(2014.10.20 防災格言)
南条文雄 (仏教学者・真宗大谷派僧侶)(2016.10.10 防災格言)
和辻哲郎 (哲学者・評論家)(2014.10.27 防災格言)
谷崎潤一郎(小説家)(2014.12.08 防災格言)
葛西善蔵(小説家)(2014.12.22 防災格言)
佐藤栄作(政治家)(2008.2.25 防災格言)
安河内麻吉(神奈川県知事)(2008.4.28 防災格言)
高橋雄豺(読売新聞主筆・副社長)(2018.06.11 防災格言)
今村明恒(地震学者)(2008.5.12 防災格言)
大森房吉(地震学者)(2019.04.29 防災格言)
カルビン・クーリッジ(米大統領)(2008.5.19 防災格言)
清水幾太郎(ジャーナリスト)(2008.9.29 防災格言)
大和勇三(経済評論家)(2010.3.29 防災格言)
後藤新平 (政治家)(2010.4.26 防災格言)
永田秀次郎(関東大震災時の東京市長)(2015.01.05 防災格言)
馬渡俊雄 (関東大震災時の東京市助役 東京市社会局長)(2017.11.13 防災格言)
池田宏 (都市計画家)(2017.10.30 防災格言)
渋沢栄一[1](幕臣 官僚・実業家・教育者 日本資本主義の父)(2013.03.18 防災格言)
渋沢栄一[2](幕臣 官僚・実業家・教育者 日本資本主義の父)(2019.07.15 防災格言)
大倉喜八郎(実業家 大倉財閥の創設者 従三位男爵)(2020.08.03 防災格言)
大正天皇(2013.10.07 防災格言)
曾我廼家五九郎(浅草の喜劇王)(2010.6.7 防災格言)
東善作(冒険家)(2010.8.30 防災格言)
黒澤明(映画監督)(2014.02.17 防災格言)
北原白秋(詩人)(2014.01.06 防災格言)
ポール・クローデル(フランスの劇作家)(2012.12.17 防災格言)
植草甚一(評論家)(2012.06.25 防災格言)
林達夫(思想家)(2012.05.21 防災格言)
石原純 (理論物理学者)(2012.03.19 防災格言)
奥谷文智 (宗教家)(2011.11.28 防災格言)
佐藤善治郎 (横浜市の教育者)(2014.5.26 防災格言)
マーシャル・マーテン (横浜市ゆかりの英国人貿易商)(2014.06.23 防災格言)
ミカエル・A・ステシエン(1857~1929 / 在日宣教師・ルクセンブルグの神父・キリシタン研究者)(2020.12.21 防災格言)
山崎紫紅 (劇作家・詩人)(2016.12.12 防災格言)
平生釟三郎・川崎重工業社長(2009.11.02 防災格言)
和辻春樹(船舶工学者)(2013.01.21 防災格言)
内藤久寛(日本石油初代社長)(2014.08.18 防災格言)
渡辺文夫・東京海上火災保険会長(2013.11.25 防災格言)
松山基範 (地球物理学者 京都大学名誉教授)(2015.02.16 防災格言)
李登輝 (元・台湾総統)(2015.07.13 防災格言)
沢村貞子(女優・随筆家)(2018.01.15 防災格言)
寺田寅彦[7](物理学者)(2018.06.25 防災格言)
寺田寅彦[9](物理学者)(2019.06.24 防災格言)
寺田寅彦[10](物理学者)(2020.08.31 防災格言)
西條八十(童謡詩人・作詞家)(2018.09.03 防災格言)
道重信教(浄土宗僧侶 増上寺第79代法主・大僧正)(2018.10.22 防災格言)
名和靖(昆虫学者 名和昆虫研究所創設者)(2019.05.20 防災格言)
小川琢治(地質学者・地理学者 京都帝国大学教授)(2019.09.09 防災格言)
高橋浩一郎(気象学者 気象庁長官(第5代) 筑波大学教授)(2019.10.14 防災格言)
小野蕪子(小野賢一郎)(俳人・小説家・陶芸評論家・ジャーナリスト)(2020.11.16 防災格言)
関東大震災十周年防災標語(2008.7.7 防災格言)
首都直下 ホントは浅かった 佐藤比呂志教授と関東大震災(2005.10.26 店長コラム)