『 水害の問題は、ひじょうにたいせつな国家の問題である。しかもちょっと手のつけようのないむつかしい問題なのである。こういう問題をかたづけるには、科学の力をかりるよりほかに道はない。 』
中谷宇吉郎[2](1900~1962 / 物理学者・随筆家 雪氷学の世界的権威)
1947(昭和22)年9月14日~16日にかけ、敗戦による占領下の日本を、カスリーン台風(台風第9号)が襲った。
典型的な「雨台風」で、とくに関東地方や東北地方の各地に200ミリ~750ミリの大雨を降らせ、利根川や北上川などが決壊するなどの大水害となり、死者・行方不明者1,930人、重軽傷者1,547人に達した。
この災害の直後に、物理学者の中谷宇吉郎は、未来を担う子供たちに向けて随筆『水害の話』を書いた。
随筆のなかで、災害が発生する都度対処するだけでは、ただ災害が繰り返されることになるため根本的な解決にならならい点を述べ、そのためには洪水についての科学的研究が必要だと訴えて、
こういう馬鹿なことが、いつまでも続いているのは、今の大人の人たちの大部分が、科学というものを、ぜんぜん知らないからだろう
と結んでいる。
曰く―――。
(水害が)一年に一回くらいのことならば、とくに雨が多かったのだとあきらめることもできる。そういう天災は、十年か五年には一どはくるものでしかたがない。しかし、こうたびたび洪水がでるのは、ただの天災だけではないと考えねばならない。もっともカサリン颱風のときは、山地のほうで六百ミリなどという今までの記録にめずらしいひどい雨がふったということである。それで、これは天災のひとつで、来年もまたこんな雨がふることはないかもしれない。しかし、七月八月の洪水(※昭和22年の東北の梅雨前線豪雨災害)は、とくべつの地方をのぞいては、それほど今までに例の少ないひどい雨というほどではなかった。それで洪水のでたのは、水源地や川の手入れがわるかったのが、おもな原因であったと思われる。
それは、政府のほうでもみとめていることらしく、農林大臣が、こんどの水害は戦時中に山の木をむやみと切ったためであるという意見をいわれ、それが新聞にもでていた。そうすると、これはたいへんな問題である。これから木を植えても急に大きくなるわけではないから、少なくもこれから十年くらいは、毎年ひどい水害があることになるであろう。今年の洪水による損害は、流された橋をかけたり、堤防をなおしたり、道路をなおしたりする費用だけでも、二百億円いじょうかかるらしい。なおしただけでは、来年の洪水はふせげないから、さらに川をなおしたり、堤防を強くしたりする必要がある。その費用は少なくも復旧費の十倍はかかるだろうから、二千五百億円くらいにはなるだろう。そんな費用を敗戦後の日本の国からだせるわけはない。しかし、ほおっておけば、来年もまた水害で、そんなことを毎年くりかえしていたら、国がつぶれてしまうだろう。
水害の問題は、こういうふうに考えてみると、ひじょうにたいせつな国家の問題である。しかもちょっと手のつけようのないむつかしい問題なのである。こういう問題をかたづけるには、科学の力をかりるよりほかに道はない。考えてみれば、雨がふり、水が川にあつまり、下流に行くにしたがって水かさがまし、水の力があるていどいじょう強くなると堤防をこわす。その筋道はどれもみな科学の問題である。だから科学の力によって、解決するのが、いちばんいい方法で、ほかには解決の道がないはずである。
ところが、ふしぎなことには、洪水についての科学的研究は、日本の国にはひじょうに少ないのである。明治時代から今日まで、毎年多かれ少なかれ水害にくるしみながら、それにたいする研究はほとんどないといっていいくらい少ない。もちろん河川学という学問があり、その方面の学者はいろいろな研究をしておられるし、内務省の河川方面の技師たちは、いろいろな調査をしておられる。しかし、それらの研究や調査は、土木工学的のものが多く、洪水そのものの科学的研究は少ないのである。もっとも目的がちがうので、洪水についてはそれをふせぐ実際のくふうをするのが任務であるから、とうぜんなことなのである。
そこで洪水そのもののいろいろな性質が、いかにわかっていないかという例をひとつあげよう。さきほどいった農林大臣のお話が、すでにその例である。こんどんぼ洪水は、戦時中や戦後に、山の木をむやみと切ったことが原因だということは、農林大臣の話をまつまでもなく、だれでも考えることである。しかし、それがほんとうに洪水の原因であるかどうかときいてみると、科学的にははっきりしない話なのである。少なくとも、どれくらいに木を切ると、どれくらい洪水がでやすくないかという、数量的なことは、まったくわかっていない。数量的に説明できなければ、科学でもなく、また実際に対策をたてるばあいの役にもたたない。
伐木と洪水とのかんけいをしらべるだけでも、じつは、たいへんなしごとなのである。 ・・・《中略》・・・ ある区域は木をほとんどぜんぶ切ってあり、ほかの区域ではそれほどでなく、またほとんど木を切ってない地域もあった。しかし、出水量と伐木とのあいだのかんけいははっきりとはわからなかった。
それにはちゃんと理由があるので、今までの説明は、雨がどこも一様にふったと仮定しての話である。ところが、こんどの調査の結果では、こういう洪水をおこすような強い雨は、ひどくむらにふるものらしいということがわかった。A地域とB地域とでは、雨量がかなりちがうらしいのであるが、こういう山おくには観測所がないので、これいじょうはしらべようがないのである。
それで伐木と洪水とのかんけいを、ちゃんと科学的にしらべようと思ったら、水源地いったいの山おくに、少なくも五つや六つの小さい観測小屋を作る必要がある。そして雨量のくわしい観測をしなければ、たしかなことはけっしてわからないはずである。ところが、そういう山おくの雨量観測は、日本では今までになされていない。したがって、木を切ったために洪水がおきたかどうかは、科学的に研究されていないことはたしかである。
そういう山おくに観測小屋をたくさん作って、研究者を住まわせて、観測をさせることは、もちろんやさしいことではない。しかし自記雨量計という器械があるから、人間がついてなくても、雨量の観測はできる。それで、やる気さえあれば、一どの洪水で受ける損害の一万分の一にもたらぬ研究費をだせば、これくらいのことは、もうとっくにわかっているはずである。しかし、何十年というあいだ毎年水害にくるしみながら、それくらいの科学的研究さえもしなかったというのが、今日までの日本であったのである。
今に諸君がおとなになったら、いつまでも日本をこういうじょうたいにしておかないように、科学をよく勉強してください。こういうばかなことが、いつまでもつづいているのは、今のおとなの人たちの大部分が、科学というものを、ぜんぜん知らないからだろうと思います。(昭和二十二年一〇月一八日)
随筆『水害の話』(昭和22(1947)年10月18日)より(随筆集『霧退治 : 科学物語』(昭和25年)集録)
… … …
中谷宇吉郎(なかや うきちろう)は、雪氷学の基礎を築いた物理学者。世界で初めて人工雪をつくることに成功し、雪の結晶の様々な形がどのような条件下で作られるかを明らかにした。理学博士。
1900(明治33)年7月4日、石川県江沼郡片山津町(現・加賀市片山津町)の呉服・雑貨店の長男に生まれる。たいへんおとなしい少年だったという。
大聖寺町錦城小尋常高等小学校(現・加賀市立錦城小学校)、旧制小松中学(現・石川県立小松高等学校)、金沢の第四高等学校(旧制)を経て、1922(大正11)年に東京帝国大学理学部物理学科に入学。寺田寅彦に教えを受け、実験物理学を志す。1925(大正14)年に大学を卒業すると理化学研究所(理研)に入所し寺田寅彦の助手を務めた。1927(昭和2)年、加賀出身の国文学者・藤岡作太郎(1870~1910)の長女の綾と結婚。翌1928(昭和3)年、文部省在外研究員としてイギリス(キングス・カレッジ・ロンドン)に留学するが、日本に残した妻をジフテリアで亡くす。アメリカを経由して、欧州留学から帰国した1930(昭和5)年より北海道帝国大学理学部助教授となり札幌に赴任。1932(昭和7)年、32歳のときに北海道帝国大学教授となり物理学第三講座を担当。この年から十勝岳で天然雪の結晶の研究をスタートし、1936(昭和11)年3月に人工雪の製作に世界で初めて成功した。1938(昭和13)年、38歳で病気(肝臓ジストマ)となり療養のため伊東温泉に転居し、完治した翌年に札幌へ戻り雪の研究を再開。1941(昭和16)年「雪の結晶の研究」で帝国学士院賞受賞。科学映画「雪の結晶」(1939年)、「霜の花」(1948年)を撮り作品は国際的にも高い評価を受け、1949(昭和24)年には岩波書店の小林勇、共同通信社の羽仁進監督らと、後の岩波映画製作所の前身であるプロダクション「中谷研究室」を発足させた。戦後、1945(昭和20)年に農業物理研究所を設立し所長に就任。1952(昭和27)年、イリノイ州ウィルメットの雪氷凍土研究所(SIPRE)の基礎研究員となり渡米し、1954(昭和29)年の帰国まで氷の物性の研究に従事した。
雪の結晶の研究のほか、洪水、凍土、融雪、着氷防止の研究など、低温科学の新しい分野をつぎつぎに開拓し、晩年の1957(昭和32)年からはグリーンランドの氷の研究に力を注いだ。
1962(昭和37)年4月11日、骨髄炎のため東大病院で死去。享年61。
写真:中谷宇吉郎肖像(1946年撮影)via Wikipedia
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