『 どんなに堤防を強化しても、それを上回る自然の脅威は、必ずやってきます。そのときは、「逃げる」です。早く、うまく逃げる。 』
中貝宗治(1954~ / 政治家 兵庫県豊岡市長(5期))
2004年(平成16年)10月20日に大型で強い勢力を維持したまま高知県土佐清水市付近に上陸した「台風第23号」は、関東から九州の広い範囲に記録的な大雨を降らせた。日降水量は四国で400mm、西日本の多くの地点で300mmを越えた。この台風と大雨で、兵庫県豊岡市では市内を流れる円山川、出石川の堤防が決壊し、京都府でも由良川が氾濫し浸水被害となったほか、京都府宮津市、香川県東かがわ市などで土砂災害が発生した。人的被害は、兵庫県、京都府、香川県を中心に死者95人、行方不明者3人、重軽傷者552人という甚大なものとなった。
この災害では、自力で迅速な避難行動をとることが困難とされる高齢者などの災害時要援護者に対する避難支援対策が課題となった。
政府では、同年(平成16年度から17年度にかけて)に、避難勧告等の判断・伝達のあり方について議論され、2005年(平成17年)3月に「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」がまとめられ公表された。その後は、このガイドラインを防災基本計画へフィードバックする取組が行われることになった。
格言は、2010年(平成22年)3月に政府の災害時要援護者の避難対策に関する検討会で作成された『災害時要援護者の避難対策事例集』のなかの中貝市長の寄稿文『みんなの力で命と暮らしを守る』より。
曰く―――。
2004年10月、豊岡市は台風23号に襲われました。死者7名、住宅の全半壊・床上浸水約5000世帯。その数字の背後に、市民の途方もない苦しみが横たわっていました。
「助けて!ドアが開かないの!」
車ごと濁流に流されて命を失った女性が、携帯電話で夫に訴えた最後の言葉だったそうです。亡くなった方の無念、残された方の「なぜ助けることができなかったのか」という無念。被災の現場で、私は「人は死んではならない」という強烈な思いにとらわれました。
もちろん、堤防の整備は重要です。しかし、どんなに堤防を強化しても、それを上回る自然の脅威は、必ずやってきます。工事中に襲われることだってあります。そのときは、「逃げる」です。早く、うまく逃げる。
とりわけ、自分ですぐには逃げられない人々への対策は不可欠です。想像力を働かせて、状況を具体的に思い浮かべて、事前に対策を練っておくことが大切です。
台風23号の際の、要援護者対策に関する私たちの経験です…聴覚障害者にはファックスで避難情報を送信することになっていました。しかし、一斉送信のシステムでなく、一人ひとりに随時送信し、時間を浪費してしまいました。しかも、送信内容は「大丈夫ですか?」という間の抜けたものでした。そのうち福祉事務所が水没し、送信すらできなくなってしまいました。
亡くなった方の中に要援護者に該当する方はありませんでした。台風が接近する前の早い段階から、障害者のグループで声を掛け合った自主避難や、消防団員や民生委員による事前の救出が行われていたことを後で知りました。コミュニティの力です。
避難所でのこと。聴覚障害者は、手話やメモで伝達を行いますが、消灯後はそれができなくなります。灯りをつけると、他から文句が出ます。要望に応じ、専用の部屋を用意しました。手話通訳者の手配も、障害者団体の要望を受けてからでした。
油断、機能不全、支えあう人々。あの災害で翻弄された私たちの経験を短い言葉で要約すると、こうなります。そして、支えあう人々、これこそが私たちの希望でした。
要援護者対策はゼロからの模索ではありません。すでにあるコミュニティの力の再組織化と行政との連携の再構築あるいは強化が基本です。「みんなの力で命と暮らしを守る」、それが台風23号を経験した豊岡の合言葉です。
なお、この当時の豊岡市の人口は29,617世帯89,208人で高齢化率25.9%。台風23号の市内の被害は、死者7人、重傷者23人、軽症者28人、住家全壊333棟、大規模半壊1,082棟、半壊2,651棟、一部損壊292棟、床上浸水545棟、床下浸水3,326棟で、実に市内の住居の三割(28%)が被害を被ったことになる。
… … …
中貝宗治(なかがい むねはる)氏は、1954年(昭和29年)11月4日兵庫県豊岡市下宮生まれの地方政治家。兵庫県議会議員を経て豊岡市長(当選4回)として現職。
地元の豊岡市立豊岡南中学校、兵庫県立豊岡高等学校を経て、1978年(昭和53年)京都大学法学部を卒業後、兵庫県庁に入庁。1991年(平成3年)から2001年(平成13年)まで兵庫県議会議員(3期)務め、2001年(平成13年)7月の豊岡市長選挙で当選し豊岡市長に就任して以降、4選を果たした。著書に『鸛(こうのとり)飛ぶ夢』(2000年 北星社)。
中貝宗治・豊岡市長
平成22年3月『災害時要援護者の避難対策事例集』より
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