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松野友の随想「水害のない町造りを目標にかかげて」の名言(1912~2003 / 岐阜県穂積町長 日本初の女性首長)[今週の防災格言377]

time 2015/03/02

松野友の随想「水害のない町造りを目標にかかげて」の名言(1912~2003 / 岐阜県穂積町長 日本初の女性首長)[今週の防災格言377]

『 またもや悪水に悩まされるという運命を背負うことになってしまった。 』

 

松野 友(1912~2003 / 元岐阜県本巣郡穂積町町長 日本初の女性村長)

 

格言は「水害のない町造りを目標にかかげて」(出典:全国防災協会編「語り継ぐ災害の体験(山海堂 1981年)」集録)より。

濃尾平野の一隅にある岐阜県西部の町、穂積町。
東は長良川、西は揖斐川(いびがわ)に挟まれ、町内には一級河川が5本南へ流れ、町の南端でこれらが集合して長良川に流出するという河川下流の低湿地帯という立地にある。そのため、いったん集中豪雨に見舞われると、低地が湖と化す。数百年間もの度重なる水害から田畑を守るために、先人たちは「輪中(わじゅう / 輪中堤(わじゅうてい))」とよばれる堤防を造り、住民たちが共同して水を管理してきた歴史を持つ町である。

曰く―――。

水害のない町造りを目標にかかげて今日まで、はや32年の星霜が流れ去った。私の半生は水との対決の人生である。苦しい思い出はかぎりない。
《中略》
何百年前から当地方は水との因縁は極めて深く、水問題の解決は即町の生きる手段でもあった。こうした、先人の努力のあとを引き継いで、昭和に入ってからも、その初期から河川改修が行われ、特に戦後住民の水意識が高まり陳情に苦境を訴え続けた末、漸(ようや)くにして排水機も設置され溢流樋門(堤防の機能を有する制水施設)も完成した。しかし、それも束の間、高度成長の余波は遊水地や壕までも宅地化され、そのうえ廃川敷地にも家が立ち並ぶ有様となった。
また上流の町村では、基盤整備だ、土地改良だと毎年工事が進められ、その結果悪水の流下が早く、またもや悪水に悩まされるという運命を背負うことになってしまった。
昭和36年6月25日の集中豪雨による床上浸水は初めての経験であった。いったん水害に会えば四日乃至一週間は水の中の生活をしなければならぬのは当地方の宿命である。家財道具は水浸しとなって使用不能、炊き出しのおにぎりもそうそう毎日は食べられないし時期によっては腐敗することもある。どうしたら急場をしのぐか。パンも飽きた、味噌汁が食べたいが、救援活動は思うに任せぬ。
一級河川が五本もあって、町を分断しているうえに、東海道線と国道21号線が東西に走っている関係上、船の運行が自由にできないのである。何十艘の舟でも足りぬ。自動車は通行不能、住民からは早くと矢のような催促や怒りが飛ぶ。天手古舞いで右往左往するばかりである。幸いにも上水道が完備していたのが不幸中の幸いであって飲料水だけは助かった。
《中略》
昭和51年9月12日の災害は、被害甚大で忘れられない。町の大半が罹災した。
床上2メートルと最悪の状態で、逃げるのがせい一杯である。屋根の上から助けを求める人、二階から呼ぶ人、役場職員のみでは何とも致し方ない。町民は皆罹災者だから助けようにも人がいない。知人、肉親などの見舞い客も行くに行けず途方にくれる。やむなく自衛隊の援助を求めたのである。
今思い出してもぞっとする。何年かの貯金で漸く買い求めたピアノ、ベット、冷蔵庫、応接セットなどは、すべて水につかって使用不能となった。この貴重品を山に積んで焼却したあの時を忘れることができない思い出である。
こんなたびたび水につかって心配しなければならないようではこの街にはとても居住できないといって転居する人が出た。せっかく土地を買い求め家を建てたばかりだのにと嘆く人、これからどうして生活していくのか、今後もまた水害に見舞われはしないか、と不安な者に何と返答してよいやら途方に暮れる始末である。水害さえなかったらこれほど住みよい町はないものにと天を恨みたくもなるのである。
かくして陳情の明けくれで、漸くにして抜本的な治水計画もでき、予算も少額ながらついた。光がさしたようでうれしい。しかし、真実の喜びの日を迎えるのは何時か。何年先か。それまで集中豪雨がないようにと唯々祈るのみである。

… … …

松野友(まつの とも / 旧姓:佐藤友)は、岐阜女子師範卒の元小学校教師で、敗戦後の1947(昭和22)年に公職追放中の夫・松野幸泰(元岐阜県議会議員、岐阜県知事、自民党・衆議院議員、国土庁長官・北海道開発庁長官)に代わり岐阜県穂積村長(後の穂積町・現瑞穂市)に当選し、日本初の女性首長となった人物。1990(平成2)年に穂積町開発公社の脱税問題で引責辞任するまで連続11期、43年間町長をつとめた。2003(平成9)年7月21日、85歳で死去。後の町長・松野幸信(1933〜 / 元岐阜県瑞穂市市長)は松野友の子にあたり、衆議院議員(現自民党幹事長代理)の棚橋泰文は孫にあたる。


扉写真:治水に敏腕ふるう婦人町長(岐阜県本巣郡穂積町町長 松野友)
毎日新聞社編「続・人間形成ある根性」(光風社 昭和39年)より







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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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