今からちょうど11年前。神戸を大震災が襲った。
「天災は忘れた頃にやってくる」――――とは稀代の随筆家で物理学者の寺田寅彦が大正の関東大震災を機に記した教訓であると伝えられる。
1995年の阪神淡路大震災は、多くの学者も命を守る行政の長でさえ、ここまでの被害になるとは想定していなかった、まさに「忘れた頃にやってきた」大震災となった。
忘れた頃の震災では、防災上の様々な盲点が浮き彫りになった。
高速道路が何百メートルにもわたって横倒しとなり、地下鉄の駅が陥没し近代建築は折れ曲がり、民家や建築物の多くは瓦礫に埋もれた。
震災直後には、これらの瓦礫は山と積み上げられゴミとなり、1度の震災で年間予算の10倍といわれる大量の廃棄物に国と行政は頭を悩ませた。
急いで行われた廃棄物処理では、更に、環境汚染という新しい盲点まで生んでしまった。盲点への対応が、更に新たな盲点を生む悪循環だった。
鉄道や道路などライフラインの耐震設計も、国や自治体の危機管理システムもうまく機能せず、震災を教訓に、様々な対策に見直しが迫られることとなる。
危機管理で重要なことは「教訓を今後いかに生かすか」であると以前書いた。
でも、大きな災害や事故があるたびに、想定できなかった、盲点だった、といった台詞は、ただ繰り返されるばかりのようで、良く目にするし耳にもするのである。
気がつかないからこその盲点なので、これを無くせ、とは、難しいこととわかっている。けど、どうにかならないだろうか、といつも思う。
そんな折、震災後しばらく経てから、どなたかのエッセイ?で、物理の世界のコロンブスの卵・・・というお話が紹介されていた。
「コロンブスの卵」の逸話は、そのままでは立たない底の丸い卵を、卵の尻をたたいてつぶし立たせてみせる、という有名なお話だ。
この「コロンブスの卵」を、寺田寅彦の弟子で、雪の結晶を世界で初めて発見し、後に「雪博士」として知られる、随筆家で物理学者の中谷宇吉郎という人物が、著作である随筆「立春の卵(1947年)」で書いている。
中谷宇吉郎は、1947年の立春の日に、卵の尻を割らずとも10個の卵をそのまま立たせてみせる、という実験を衆目の前で行った。
曰く、
「 コロンブス以前の時代から今日まで、世界中の人間は、卵が立たないと思っていただけなのだ 」
卵とは、生卵もゆで卵でも、もともと立つような形であるのを、世界中の人間がコロンブス以前の時代から今日まで立たないものと勘違いしていたと人の盲点の教訓を説いたものである。
中谷は随筆でこう締めくくる。
「人類は、すぐ目の前にある現象を長く見逃していた。人間の盲点と同様に、人類にも盲点がある。人間の歴史が、そういう盲点のために著しく左右されることもありそうである 」と。
すばらしい教訓ではないか。
■「中谷宇吉郎」博士に関連する防災格言内の記事
中谷宇吉郎[1] (寺田寅彦門下の物理学者・随筆家 「流言蜚語(1945年)」より)(2009.10.19 防災格言)
中谷宇吉郎(物理学者・随筆家 「水害の話(1947年)」より)(2020.07.06 防災格言)
立春の日のコロンブスの卵(2006.01.17 編集長コラム)
寺田寅彦の天災は忘れた頃来る(2009.10.12 防災格言)
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