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安芸皎一が伊勢湾台風(昭和34年)の「被害と対策」のなかで述べた名言(1902~1985 / 河川工学者・土木技術者 東大教授)[今週の防災格言663]

time 2020/09/07

安芸皎一が伊勢湾台風(昭和34年)の「被害と対策」のなかで述べた名言(1902~1985 / 河川工学者・土木技術者 東大教授)[今週の防災格言663]

『 かつてこのような干拓地に建てられていた農家は水屋を設け、小舟を用意していた。おそらく度々の浸水を受けていたのに違いない。 』

 

安藝皎一(1902~1985 / 河川工学者・土木技術者 東京大学教授)

 

格言は、土質工学会誌『(伊勢湾台風)被害と対策~その全般について~』(社団法人土質工学会「土と基礎特集号No.3 伊勢湾台風の特色と災害(1960年6月号)」掲載)から。

 

伊勢湾台風(昭和34年台風第15号)は、昭和34年(1959年)9月26日から27日にかけて、愛知、三重、岐阜を中心に五千人を超える死者・行方不明者をだした近代日本最大規模の台風災害(昭和の三大台風の一つ)である。

9月26日午後6時過ぎに潮岬西方に上陸した際の気圧は929.2ヘクトパスカルで、奈良、三重県境を経て、名古屋市の西方を通過した際の中心気圧は945ヘクトパスカル。強い勢力を保ちながら冨山から日本海へと抜けていき、風速25メートル以上の暴風域は、本土上陸時も直径500キロメートル四方に及ぶ巨大台風であった。

名古屋港では、午後9時半頃に最高潮位3.9メートルという観測以来の最高潮位を記録し、600年に一度と言われる高潮が発生した。高潮は名古屋市南部から津島市にかけてと、伊勢湾沿岸の桑名、四日市、津、松坂、伊勢、半田や衣浦湾で未曽有の被害となった。

全国の死者・行方不明者総数5,098人のうち、愛知県のみで死者は3,351人、三重県で1,273人、岐阜県104人を数えた。さらに高潮が襲った名古屋市の死者は1,909人で、死者のほとんどが名古屋市南部(南区、港区、中川区、熱田区)に集中した。

名古屋市南部では、高潮により港湾の護岸堤防が19ヶ所で決壊し、街に海水が押し寄せ、河川堤防も37ヶ所で決壊し河川も氾濫、さらに排水ができずにマンホールなどから水があふれる内水氾濫(堤防の内側が浸水)する三つの洪水が複合して発生し、停電で暗い中、わずか数分間で水かさが大人の背丈ほどに増水したことから二千人近くの住人が逃げ遅れて溺死したという。

愛知県の浸水面積はおよそ350平方キロメートルに達し、そのうちおよそ237平方キロメートルは長期間にわたって水浸しとなり、海と同じように潮のみちひきを繰り返した。名古屋の臨海工業地帯はおよそ二週間にわたって湛水状態に陥り、国鉄や国道は二ヶ月にわたって不通となったのである。

安芸皎一は論文(被害と対策)のなかで、名古屋の高潮被害の原因について以下のように論考している。

災害の経過からみると、この地域に住んでいた人達はこのような事態を予想していたとは思えないのであるし、また同時に防御の施設からみても、ここではこの地域がどのような危険度を持っているのかは知られていなかったのではないかとしか思えない

そして、この災害を大きくしたのは、名古屋南部の干拓地の急速な工業化とそれらに伴う地盤沈下や、市街地化という新たな災害であったとして、

急速な経済発展に内包された矛盾が露呈したものである

と述べている。

 

曰く―――。

私がここで気になったことは或る時、現地視察の途に長島村(現・三重県桑名市長島町)を訪ねたときのことであった。堤防に沿って土盛りをした上に建てられた在来の農家では床上1.2m余りの浸水をみたのであったが、それは数時間に過ぎないのであって、初めに高潮により、さらに河川の洪水によって二度浸水をみていたのであるが、とにかく一時の浸水ですんでいたのであった。
しかし低地に、或いはこれはかっての堤防であったと思われるのであるが、今日ところどころ切り開かれたところにつくられた家では相当の損害を受けていたのである。流亡をみていたところもあった。
かつてはこのような干拓地に建てられていた農家は水屋を設け、小舟を用意していたのである。おそらく度々の浸水を受けていたのに違いない。私はこれはその当時にあっては、個人の生活の規模が小さく、このような事態も部落なりに吸収していたのではないかと思っている。
しかし今日のように経済が拡大されてくると、互の生活のあり方は複雑となり、とくに生産性の低い分野にあっては生活に弾力性が乏しく、大きく国の支持を受けるという事態になっては、災害もその地区限りのものではなくなって、国の問題となってきているといえるのではなかろうか。

 

安芸皎一(あき こういち)は、戦前から戦後の昭和期に活躍した河川工学者(河川学者と土木工学者)・土木技術者で、内務省技術官僚や科学技術庁科学審議官として、自然災害を含めた河川開発と日本の資源問題の研究や、数多くのダムや原子力発電所の開発に携わった人物。

1902(明治35)年4月9日、横浜港修築を担当した内務省土木局の港湾技師・工学博士の父・安芸杏一(きょういち)の長男として新潟市に生まれる。
東京で育ち、府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を経て、新潟高校(旧制)を卒業後、東京帝大文学部英文科に入学するが1年ほどで東京帝大工学部土木工学科に再入学した。大学では水理学者・物部長穂(もののべ ながほ)に河川工学を学ぶ。1926(昭和2)年卒業し、内務省入省。内務省土木局技師の青山士(あおやま あきら)の指導を受け、鬼怒川や富士川などの改修工事やダム建設、中国大陸の治水対策などに携わる。1944(昭和19)年、河川の長期的変化についての研究論文『河相論』で土木学会賞受賞し工学博士となり、同年、東京帝国大学第二工学部教授に就任。1946(昭和21)年、内務省土木試験所(現・土木研究所)所長。1948(昭和23)年、経済安定本部資源委員会(資源調査会)初代事務局長、1951(昭和26)年には副会長に就任。同年、東京大学生産技術研究所教授。日本大学国土総合開発研究所顧問、通商産業省原子力予算打合会委員、総理府原子力利用準備調査会総合部会専門委員を経て、1954(昭和29)年に日本で開催されたエカフェ(国際連合アジア極東経済委員会)河川開発会議の議長、1960(昭和35)年エカフェ水資源開発局長となり世界動力会議の日本首席代表など国際舞台でも活躍。1956(昭和31)年、科学技術庁科学審議官。1959(昭和34)年より東京大学工学部教授(兼任)。そのほか、社団法人水温調査会会長、社団法人国際技術協力協会会長、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)水資源開発局長、日本河川開発調査会会長、日本雪氷学会会長、関東学院大学工学部教授(1964年~1984年)、拓殖大学教授などを歴任。
主な受賞に毎日出版文化賞(1952年)、日本雪氷学会功績賞(1978年)。
1985(昭和60)年4月27日、神奈川県横浜市保土ヶ谷にて死去。83歳。

息子で長男の安芸敬一(南カルフォルニア大学名誉教授)は地震学者、二男の安芸周一(電力中央研究所土木技術研究所顧問)はダム技術研究者となり、安芸(安藝)家は三代にわたる工学一家として知られる。










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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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