防災意識を育てるWEBマガジン「思則有備(しそくゆうび)」

震災直後に報道不足に陥った観光名所「松島」

time 2011/03/24

震災直後に報道不足に陥った観光名所「松島」

震災直後に報道不足に陥った観光名所「松島」  [編集長コラム]

震災後の松島(撮影:2011.4.17)

ここのブログや私のやっている他の防災情報のページへのアクセス人数を調べてみた。

PVではなく、純粋なユニークユーザー人数である。
ただ今のところ、

4,541人/Day

であった。PVだと1万〜2万というところだろう。
Googleなどのロボットや、私やスタッフのアクセスは統計に載らないようになっている。
震災前は合計で1,000人もいないので5倍以上も多いといえる。

このうち、最もアクセスの多かった記事は、

2003年6月25日の記事で日本三景の宮城県松島について書いたものであった。

この記事だけで全アクセスの半分を占める。

なぜ、古い記事にアクセスが集中したのだろうか。

その理由は、地震後に、テレビなどのメディアで宮城県松島町の被害状況だけ、ほとんど報道されることがなかったからだ。

2011年3月11日の震災直後、Google社は、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)災害情報を発信した。
特に、善意の第三者ボランティアの協力にも助けられ、被災地域の安否情報(パーソンファインダー Person Finder)のデータベースシステムを提供という大きな貢献をしている。
そして、Google社がすごいのは、津波前と後の被災地(東北地方太平洋沿岸)の衛星写真(Google Earth)を一般へ提供したことだ。
被災地の鮮明な衛星写真にマスコミも食いつき、テレビ報道でGoogle Earthの衛星画像が多用されることになった。

しかし、不思議なことに、Googleから、景勝地として著名な宮城県松島湾近辺の衛星写真だけ、公開されることがなかった。松島近辺の衛星写真だけがぽっかりと空白になっていたのである。

以下、憶測だけれども・・・、

Googleの情報に頼りきりの日本のマスコミ各局(本当ならかなり情けないが)は、
地震直後から数日間(1週間くらい)のあいだ「松島」の情報だけ(他地域に比べ)報道できない事態となった。

観光名所である松島には、当然、地震発生の当日に、たまたま訪れていた観光客も多かったはずである。

いつまでも被災地に電話もメールもつながらないという状況となる中で、
松島観光を知らされていた旅行者の家族・親戚・友人は、
連絡が取れない松島にいるはずの者の安否を気にする。

心配で心配で仕方ない。身内だもの、当り前だ。

しかし、テレビを見ても松島の情報はゼロ。
インターネットの松島町のWEBサイトも更新されておらず。
テレビからは、松島の近隣の、石巻市や仙台若林区、気仙沼、大船渡など、
大被害を受けて壊滅した町の衝撃的な映像ばかりが繰り返し報道されている。
それなのに、翌日になっても、翌々日になっても、松島の情報だけがぽっかりと空洞のように報道されない。

他のほとんどすべての太平洋沿岸地域は報道されているのに、松島だけ全くされない。

停電、携帯不通、電話輻輳で地元・松島町の人たちも情報発信はできない。
絶大な信頼を得ているGoogleもそこだけ衛星写真を公開しなかった。
テレビも新聞も報道しなかった。
それらの情報がないために、関東以西の者も自身のブログなどインターネット上に「松島」のことを全く書かない。
まるで「松島」だけ世の中から忘れ去られたようにネットでも「松島」の最新情報が全く見つからないという摩訶不思議な状態に数日間陥った。

結果として、わらにもすがる気持ちの身内の者らが、
「地震」「災害」と「松島」「日本三景」について全て言及していた私の過去の古い古い記事にアクセスしたと言うわけである。

私の古い記事を見ても、今回の震災による松島の被害が判明するはずもない。

後に、松島や国宝の瑞巌寺の被害が比較的に少なかったことが判明するが、
そういうことも報道量の少なさに関係しているのかもしれないが・・・。

でも、震災直後から数日間(1週間ほど)の期間にかけて「松島」についての報道量の不足は紛れもない事実であり、
結果として、それが、多くの人たちの不安を煽り、必要のない憶測を生む結果につながった。

必要のない憶測とは

「観光地の松島の情報が無いのは、それだけ深刻な被害を受けたからだ(全滅)」

というよなものであり、

その罪は、

災害当初からかなりの期間、松島の地域だけ衛星写真を何故だか提供できなかったGoogle社と
その説明をGoogle社に問合せず、いつまでも松島の報道をしなかったマスコミ各社にも
少なからずあるのかもしれない。

翻弄されてしまった人たちが気の毒である。

なお、
日本三景・松島町は死者行方不明者9人、津波で日本三景の松島の地形が幾分か変形したと報道されているが近隣地に比べると被害は比較的に少ないようである。
例えば近隣地域となる宮城県東松島市は津波による大きな被害(死者881人)を受けている。
そのため、震災後一週間ほどの期間に続いた松島の絶対的な報道不足に比べ、
2週間目以降、若干報道される機会も増えてきたとはいうものの、
依然として、観光地としての松島の報道量は限定的のようだ。

阪神淡路震災でもそうでしたが、
テレビ局などマス媒体は、できるだけショッキングな映像を撮ろう撮ろうとするために、
最も被害を受けた中心街以外の映像は余り流さない。

ヘリコプターの空撮映像を、「ここは○○町×丁目付近です」などと解説付きで繰り返し流すだけでも、かなり、こうした事態(被災地の家族の安否を心配する県外の人たちが知りたい情報)は改善されるかもしれない。
だが、やはり限られた尺で放送されるテレビは、編集された爆心地のようなインパクトのある映像ばかりしか流さない傾向が強い。
このような細かな「被災者家族のための」報道の在り方については、阪神以降、議論はされていたものの、現在に至るまで、大きな進展はなかった(まともに議論されていなかった)ように思う。

マス報道は、必ずしも視聴者が欲する情報や映像が映るとは限らず、被災地へ電話やメールなどの連絡がつながりにくい現状では、一時期よりも少ないとはいえ、今でも、数多くのアクセスが、古い松島のページに集中している。

これは災害時(過去の北海道南西沖地震、阪神淡路震災、新潟県中越地震など)における家族の特徴的な傾向である。

特徴的な傾向というのは、
被災地外の家族らが、震災後、いったんは被災した家族・親族と連絡がとれ生存を確認したものの、その後のショッキングな映像ばかり流れるテレビ報道などによって、再度、徐々に不安に駆られて、何度も何度も連絡を取ろうとしてしまう。この時に、電話やメールの輻輳(ふくそう)などで連絡が取れにくくなると、更に、不安が増大し、またまた連絡を取りたくなる、というジレンマを指す。

今まで経験したことのない広い範囲で大規模な震災となった今回は、この傾向がより強い。

試験的なのだろうかと思われますが、テレビ各局も、個人情報と共に被災者の安否を知らせる報道をされているようですが、明確な意図や目的をもって報道している感じではない(情報発信として定期的に行うなどマニュアル化されていない)ので、やはり情報としてちゃんと必要な人へ伝わっているとは言えないのかもしれません。

※追記(2011.4.20)

被災地域やボランティアセンター、避難所などの視察の途上で宮城県松島にも立ち寄りました。
分かりやすく震災前後の画像比較でご紹介します。

報道では津波により松島の地形が変形したとありましたが、松島湾の200以上の島々の景観は、以前とほとんど変わっていないように見えます。
津波は海水(塩水)と砂や泥を運びますが、津波の被害自体を考えると、松島町は宮城県の他の地域沿岸(山元町、亘理町、南三陸町などの地域)に比べるとたいへん軽微でした。
つまり松島町では流失家屋は恐らく皆無で床上浸水程度の被害だったのではないかと思われます。
(それでも被害は大きいのでしょうが)
きっと湾内の島々が自然の防波堤の役割を果たしたのかもしれません。


震災前後の松島の様子

なお、もしご要望があれば他にも松島の写真をご紹介します。コメント欄にでもその旨書き込みください。

■関連記事
日本三景「松島」と「瑞巌寺」と「三陸南地震」(2003.6.25 編集長コラム)

<編集長 拝>

 

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