『 まことに世間のことは何一つとして意の如くにならないものだが、分けても自分自身のことほど測り難いものはない。 』
谷崎潤一郎(1886~1965 / 小説家 代表作『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』)
格言は著書『東京をおもう(初出:中央公論 1934(昭和9)年)』(出典は「陰翳礼讃 東京をおもう(中公クラシックス 2002年)」)より。
関東大震災のとき、谷崎は単身箱根の芦ノ湖畔から小涌谷へ向かうバスのなかにいた。
横浜の大火災を想像し、山手に残した妻娘の安否を気遣いながら壊滅した東京は10年後の復興で、町は大建築で埋まり、整然な街路と一大不夜城の夜の賑わいとパリのような娯楽に溢れ、それに伴い人々は和装でなく洋服を着、米でなくパンを常食するようになるなど、人々の風俗習慣が震災という絶好の機会を得て西洋化するだろう、と予想した。
ところが10年たった東京は、期待したような過激な進展を示すことなく、なお遅々たる歩みをつづけている。谷崎は《 二千数百年の伝統を持つ国民の気質や習慣は、なかなかそのくらいな外的条件では亡びないのかも知れない 》としながら、西洋化せず日本らしさが残ったことに、どこか安堵している自分の心の変化に気付く。
《 若い時分には誰しも「西洋」に魅惑されて、かかる改革が容易に行われ得るように考えるのである 》と10年前に無茶な予想をした若い頃の自分を《 滑稽千万 》だったと評している。
曰く―――。
私はこの未曽有の瞬間に妻子と相抱いて焼け死ぬことが出来なかったのを悔い、彼等を置いてひとり箱根に来ていたことを、責め、怨み、憤ったけれども、「東京がよくなる」ことを考えると、「助かってよかった、めったには死なれぬ」という一念がすぐその後から頭を擡(もた)げた。妻子のためには火の勢いが少しでも遅く弱いようにと祈りながら、一方ではまた「焼けろ焼けろ、みんな焼けちまえ」と思った。あの乱脈な東京。泥濘と、悪道路と、不秩序と、険悪な人情の外何物もない東京。私はそれが今の恐ろしい震動で一とたまりもなく崩壊し、張りぼての洋風建築と附け木のような日本家屋の集団が痛快に焼けつつあるさまを想うと、サバサバして胸がすくのであった。私の東京に対する反感はそれほど大きなものであったが、でもその焼け野原に鬱然たる近代都市が勃興するであろうことには、何の疑いも抱かなかった。かかる災厄に馴れている日本人は、このくらいなことでヘタバルはずはない。
《中略》それから十有一年の歳月が過ぎた。待ち遠に思った震災後の十年は、去年(昭和八年)の九月一日を以て完了し、私は最早や四十九歳に達している。だが、現在の私、そうして現在の東京は如何。この世は一寸先が闇で、何事も豫期の通りには行かないというが、私はかつて小涌谷の山路を辿りながらさまざまな妄想に耽った当時を追懐して、今日のような皮肉な結果を見たことを喜んでいいか悲しんでいいか、不思議な気持がするのである。まず何よりも、私があの時想像した震災の範囲、東京が蒙った惨禍の程度、並びにその復興の速度と様式とは、半ばは的中し、半ばは的中しなかったといえる。私はあの時箱根の人々の短見を嗤(わら)ったのであったが、私の推定も大袈裟過ぎていた。関東一円の地震という観測に誤まりはなかったけれども、被害は東京府下よりも神奈川県下の方がひどく、就中(なかんずく)小田原鎌倉片瀬近傍が第一であって、東京は横浜に比べると、犠牲が思いの外少い。横浜にいた私の一家眷属(けんぞく)でさえ一人残らず助かったのであるから、東京で死んだ人はよくよく運が悪いのである。被服廠(ひふくしょう)や吉原の死傷は大変な数であるけれども、私は実はあの何倍かの惨事を考え、全東京市が被服廠のようになるであろうと豫想していた。しかるに東京においては大概な家屋が倒壊を免れ、火が比較的長い時間にのろのろと燃え拡がったために、下町の住人も大部分は無事に逃げ延び、山の手の市街は殆んど旧態を保つことが出来た。従って東京市の復興は、十年の間に見事成し遂げられたとはいえ、私が思ったような根本的な変革とまでは行かなかった。
… … …
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)は、東京市日本橋区蛎殻町(現中央区日本橋人形町)生まれの小説家。耽美的な傾向の作品を発表。 関東大震災を機に関西に移住して以後、古典的・伝統的な日本美に傾倒する。
この横浜に移り住む前には、小田原(十字町)に居住していたが、横浜に創設された大正活映株式会社の脚本部顧問に招聘されたのを機に1921(大正10)年9月、横浜本牧(宮原)へと転居。まもなく関東に上陸した台風による高潮被害で本牧の自宅が壊れてしまった。高潮(津波)に懲りた谷崎は、1922(大正11)年10月、安全な高台にある横浜山手へと移り、災害に強いように頑丈な西洋風家屋を新築した。しかし、1923(大正12)年9月1日の関東大震災では家は無事だったものの大火事により山手の家も類焼してしまう。関東地方の地震に懲りた谷崎は、その後、関西へと引っ越し、関西をテーマとした『吉野葛』『春琴抄』『細雪』などを世に送り出し、1965(昭和40)年7月30日、湯河原の湘碧山房にて79歳で死去。
■「谷崎潤一郎」に関連する防災格言内の記事
マーシャル・マーテン (英国人貿易商 横浜山手の隣人)(2014.06.23 防災格言)
小野蕪子(小野賢一郎)(俳人・小説家・陶芸評論家・ジャーナリスト 谷崎の友人)(2020.11.16 防災格言)
夏目漱石 (作家)(2012.04.09 防災格言)
安倍能成 (哲学者)(2014.11.24 防災格言)
和辻哲郎 (哲学者)(2014.10.27 防災格言)
芥川龍之介(作家)(2008.08.25 防災格言)
林達夫(評論家)(2012.05.21 防災格言)
寺田寅彦 (物理学者)(2009.3.2 防災格言)
武者小路実篤 (作家)(2010.10.11 防災格言)
広津和郎 (作家)(2012.07.23 防災格言)
竹久夢二 (画家)(2012.08.20 防災格言)
森鴎外 (作家)(2014.11.03 防災格言)
ウォルト・ホイットマン (詩人)(2007.11.19 防災格言)
平生釟三郎 (実業家・教育者)(2009.11.02 防災格言)
志賀直哉 (作家)(2009.12.28 防災格言)
水島爾保布 (作家・画家)(2013.12.23 防災格言)
大曲駒村 (俳人)(2012.08.27 防災格言)
三島由紀夫 (作家)(2014.07.07 防災格言)
堤清二 (作家・実業家)(2013.12.02 防災格言)
筒井康隆 (作家)(2013.02.18 防災格言)
■「関東大震災」に関連する防災格言内の記事
内田魯庵(評論家・翻訳家・小説家・随筆家)(2019.09.23 防災格言)
正宗白鳥 (小説家・劇作家・評論家)(2018.09.17 防災格言)
鈴木三重吉(児童文学者)(2011.2.21 防災格言)
松山 敏(松山悦三 / 編集者・詩人)(2018.07.30 防災格言)
市島春城(随筆家・政治家 早稲田大学初代図書館長)(2018.06.04 防災格言)
本山彦一(実業家・大阪毎日新聞社長 貴族院議員)(2018.05.21 防災格言)
山田次朗吉 (剣客・直心影流第十五世)(2017.12.11 防災格言)
真野毅 (弁護士・裁判官 最高裁判所判事)(2017.09.25 防災格言)
佐多稲子 (小説家)(2017.08.28 防災格言)
野上俊夫 (心理学者 京都帝国大学名誉教授)(2017.08.07 防災格言)
大佛次郎 (作家)(2017.07.17 防災格言)
岸上克己 (社会運動家・ジャーナリスト)(2017.06.26 防災格言)
荻原井泉水 (俳人・随筆家)(2017.02.27 防災格言)
二木謙三 (内科医・細菌学者)(2016.11.14 防災格言)
山川菊栄 (婦人運動家・作家)(2016.11.07 防災格言)
加能作次郎 (小説家)(2016.5.16 防災格言)
芥川龍之介(小説家)(2008.8.25 防災格言)
水上滝太郎(小説家・実業家)(2015.07.20 防災格言)
野上弥生子(小説家)(2015.06.22 防災格言)
林芙美子(小説家)(2008.4.14 防災格言)
川村花菱(脚本家)・山村耕花(画家)(2010.2.22 防災格言)
内田百間(作家)(2010.3.8 防災格言)
大曲駒村(俳人・作家)(2012.08.27 防災格言)
竹久夢二(画家)(2012.08.20 防災格言)
広津和郎(小説家)(2012.07.23 防災格言)
池波正太郎(作家)(2012.06.18 防災格言)
菊池寛(作家)(2012.03.26 防災格言)
横光利一[1](小説家)(2016.6.13 防災格言)
横光利一[2](小説家)(2016.7.25 防災格言)
長田秀雄 (詩人・劇作家)(2016.10.31 防災格言)
水野錬太郎 (官僚政治家 内務大臣)(2016.04.11 防災格言)
井上準之助 (銀行家 大蔵大臣・日本銀行総裁(第9、11代))(2018.12.03 防災格言)
結城豊太郎 (銀行家 大蔵大臣・日本銀行総裁(第15代))(2016.12.05 防災格言)
横井弘三 (洋画家)(2015.11.23 防災格言)
三浦梧楼 (武士・陸軍中将)(2015.12.21 防災格言)
加藤久米四郎 (政治家・政友会 実業家)(2015.10.05 防災格言)
宮武外骨 (ジャーナリスト・著述家・文化史家)(2015.08.31 防災格言)
北澤重蔵 (実業家 天津甘栗「甘栗太郎本舗」創業者)(2015.08.24 防災格言)
土田杏村[1](哲学者・文明批評家)(2014.09.01 防災格言)
土田杏村[2](哲学者・文明批評家)(2019.10.07 防災格言)
賀川豊彦(キリスト教社会運動家)(2014.10.20 防災格言)
南条文雄 (仏教学者・真宗大谷派僧侶)(2016.10.10 防災格言)
和辻哲郎 (哲学者・評論家)(2014.10.27 防災格言)
谷崎潤一郎(小説家)(2014.12.08 防災格言)
葛西善蔵(小説家)(2014.12.22 防災格言)
佐藤栄作(政治家)(2008.2.25 防災格言)
安河内麻吉(神奈川県知事)(2008.4.28 防災格言)
高橋雄豺(読売新聞主筆・副社長)(2018.06.11 防災格言)
今村明恒(地震学者)(2008.5.12 防災格言)
大森房吉(地震学者)(2019.04.29 防災格言)
カルビン・クーリッジ(米大統領)(2008.5.19 防災格言)
清水幾太郎(ジャーナリスト)(2008.9.29 防災格言)
大和勇三(経済評論家)(2010.3.29 防災格言)
後藤新平 (政治家)(2010.4.26 防災格言)
永田秀次郎(関東大震災時の東京市長)(2015.01.05 防災格言)
馬渡俊雄 (関東大震災時の東京市助役 東京市社会局長)(2017.11.13 防災格言)
池田宏 (都市計画家)(2017.10.30 防災格言)
渋沢栄一[1](幕臣 官僚・実業家・教育者 日本資本主義の父)(2013.03.18 防災格言)
渋沢栄一[2](幕臣 官僚・実業家・教育者 日本資本主義の父)(2019.07.15 防災格言)
大倉喜八郎(実業家 大倉財閥の創設者 従三位男爵)(2020.08.03 防災格言)
大正天皇(2013.10.07 防災格言)
曾我廼家五九郎(浅草の喜劇王)(2010.6.7 防災格言)
東善作(冒険家)(2010.8.30 防災格言)
黒澤明(映画監督)(2014.02.17 防災格言)
北原白秋(詩人)(2014.01.06 防災格言)
ポール・クローデル(フランスの劇作家)(2012.12.17 防災格言)
植草甚一(評論家)(2012.06.25 防災格言)
林達夫(思想家)(2012.05.21 防災格言)
石原純 (理論物理学者)(2012.03.19 防災格言)
奥谷文智 (宗教家)(2011.11.28 防災格言)
佐藤善治郎 (横浜市の教育者)(2014.5.26 防災格言)
マーシャル・マーテン (横浜市ゆかりの英国人貿易商)(2014.06.23 防災格言)
山崎紫紅 (劇作家・詩人)(2016.12.12 防災格言)
平生釟三郎・川崎重工業社長(2009.11.02 防災格言)
和辻春樹(船舶工学者)(2013.01.21 防災格言)
内藤久寛(日本石油初代社長)(2014.08.18 防災格言)
渡辺文夫・東京海上火災保険会長(2013.11.25 防災格言)
松山基範 (地球物理学者 京都大学名誉教授)(2015.02.16 防災格言)
李登輝 (元・台湾総統)(2015.07.13 防災格言)
沢村貞子(女優・随筆家)(2018.01.15 防災格言)
寺田寅彦[7](物理学者)(2018.06.25 防災格言)
寺田寅彦[9](物理学者)(2019.06.24 防災格言)
寺田寅彦[10](物理学者)(2020.08.31 防災格言)
西條八十(童謡詩人・作詞家)(2018.09.03 防災格言)
道重信教(浄土宗僧侶 増上寺第79代法主・大僧正)(2018.10.22 防災格言)
名和靖(昆虫学者 名和昆虫研究所創設者)(2019.05.20 防災格言)
小川琢治(地質学者・地理学者 京都帝国大学教授)(2019.09.09 防災格言)
高橋浩一郎(気象学者 気象庁長官(第5代) 筑波大学教授)(2019.10.14 防災格言)
関東大震災十周年防災標語(2008.7.7 防災格言)
首都直下 ホントは浅かった 佐藤比呂志教授と関東大震災(2005.10.26 店長コラム)