『 農は国の基、種子は農の本。一粒の種子が来年には百粒にも千粒にもなる。僅かの日生きる自分が食してしまって、どうして来年の種子ができるか。身を犠牲にして幾百人の命を救うことができたら私の本望である。 』
義農作兵衛(1688〜1732 / 江戸時代 伊予国松山藩筒井村の農民)
享保17(1732)年の夏、西日本を中心に害虫の雲霞(うんか)が異常繁殖し稲を食い尽くした。江戸四大飢饉の「亨保の大飢饉」の始まりである。
人々は食べるものも無く、飢えて餓死する者が続出し、松山藩筒井村の貧農だった作兵衛(さくべえ)も、飢饉で父と息子を亡くし、そして自身も飢えで動けなくなった。
村人たちは作兵衛へ、命には代えられないので、耕作途中の種籾を食べることを勧めたが、作兵衛は「農は国の基・・・」と言い残し死んでいった。
村人たちは作兵衛が残した種籾で次の年を乗り切ったという。
安永5(1776)年、伊予松山藩主・松平定静(まつだいら さだきよ)は作兵衛の尊い死に感銘し顕彰頌徳碑を建立。
彼の残した義農精神は模範の農民として現代にも語り継がれている。
義農作兵衛の墓
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