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山鹿素行[1](1622~1685 / 江戸時代初期の兵学者・儒学者・思想家)の精神訓からの名言 [今週の防災格言538]

time 2018/04/16

山鹿素行[1](1622~1685 / 江戸時代初期の兵学者・儒学者・思想家)の精神訓からの名言 [今週の防災格言538]


やすむ云ふいうは、心を休して、よく守らんためのやすみなり 』

山鹿素行(1622~1685 / 江戸初期の兵学者・儒学者・思想家)

曰く―――。

《 人はやすむと云ふこと、これは則ち油断出来る故に、昼夜朝暮共に、やすむ所あらば、則ちあ(悪)しきと思ふべし、或(あるいは)曰く、守休有時と云ふは、守ると、休とに時あるなれば、やすむと云ふことのなきにはあるべからざるにや、曰く休と云ふは、心を休して、よく守らんためのやすみなり、其の上出れば、君につかへ、朋友に交はり、世事にしたがふ、入れば学をなし、気を養ふて常に練る、是れ出入は守休にて、皆学ぶ処のあるなり、休するを、遊山し、よくいね、よく世楽をなせと云ふにはあらず、生々無息して、守休自らある処なり。 》

(格言は「山鹿素行先生精神訓(1915年)」より。)

山鹿素行(やまが そこう)は、江戸時代前期の兵学者。素行は号で、名は高興(たかおき)、字は子敬(しけい)、通称は甚五左衛門と言った。
山鹿流兵法や古学派の開祖として知られる人物で、その思想は忠臣蔵の大石内蔵助ら赤穂藩士、幕末の吉田松陰、陸軍大将の乃木希典ら後の武士社会に大きな影響を与えた。

元和8(1622)年、奥州会津の領主蒲生忠郷(1602~1627)の老臣町野家に、常時賓客の待遇を受けていた山鹿高道の子として陸奥国会津若松に生まれる。
寛永5(1628)年、素行6歳のとき、蒲生家が没落してからは、山鹿父子は江戸に出て、苦しい浪人生活を続けることになった。
9歳で林羅山(1583~1657)の門下に入り朱子学を学び、15歳からは甲州流兵学の小幡景憲(1572~1663)、北条氏長(1609~1670)の下で軍学を、広田坦斎(忌部坦斎)や高野山の按察院光宥から神道、歌学・和歌などを学んだ。のちに老荘や禅にも通じ、30歳で『四書諺解』『兵法神武雄備集』を著す秀才としての名声を得て、幕府仕官の内意があったが、将軍徳川家光の死により実現しなかった。
承応元(1652)年、素行31歳のとき、門人でもあった播磨国赤穂藩(現兵庫県赤穂市)の藩主浅野長直(1610~1672)に仕え、兵学上の主著となる『武教全書』(1656年)などを著すが、万治3(1660)年に藩を辞し、江戸で学問と門人らの教育に専念した。
次第に朱子学に疑問を抱き、44歳のとき、門人らの編纂した『山鹿語類』や『聖教要録』(1665年)を公刊、ここで朱子学を批判し古学的立場(体系的な素行学)を表明した。しかし、これが幼い将軍家綱の後見役として政治改革を進めていた時の執権保科正之(1611~1673)の忌憚に触れ、翌寛文6(1666)年、素行は朱子学批判の罪で播磨赤穂藩・浅野家へと配流され、延宝3(1675)年に許されるまで9年間を幽居の身となった。
この間、朱子批判書『四書句読大全』、日本を中心とする日本主義の書『中朝事実』、武家故実書『武家事紀』を著し、罪を赦されて江戸浅草の私邸「積徳堂」に居を移してからは『配所残筆』『原源発揮諺解』などを公刊、武士道を政治哲学まで高めた「山鹿流兵法」は、赤穂藩主浅野長直(1610~1672)、陸奥弘前藩主津軽信政(1646~1710)、下野烏山藩主板倉重矩(1617~1673)、肥前大村藩主大村純長(1636~1706)など多くの大名にも支持された。素行は、貞享2(1685)年9月26日(グレゴリオ暦10月23日)、江戸積徳堂にて没。享年64。
墓は宗参寺(東京都新宿区弁天町)にある。
山鹿素行
山鹿素行

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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