『 人はただ万少しの事に心をよせ気をも付て、慎み分別すべし。
既に大事と成ては後悔益あるまじ。 』
如儡子(1603頃〜1674 / 仮名草子作家・武士 代表作『可笑記』)
格言は『可笑記(寛永19(1642)年)』巻一の最終項より。
如儡子(にょらいし じょらいし / 本名:斎藤親盛)は、江戸時代に活躍した出羽国(山形県)酒田筑後町出身の仮名草子作者。徒然草に倣った随筆集『可笑記(かしょうき)』や『百八町記(ひゃくはちちょうき)』の著者として知られる。
山形藩主・最上家親(もがみ いえちか / 1582〜1617 最上家第12代当主)の家臣として川北奉行を務めた斎藤筑後守盛広の嫡男に生まれ、18歳頃まで主君家親の側近くに仕えたが、元和8(1622)年のお家騒動により最上家が改易されると、以降は浪人となり貧しい生活を送る。江戸に出て医者をしながら仮名草子『可笑記(かしようき)』を著し、浅井了意(あさいりようい / 1612〜1691 浄土真宗僧侶・仮名草子作家)に認められた。万治3(1660)年に長男・秋盛(ときもり)が陸奥国(福島県)二本松藩・丹羽光重に仕官したのに伴い二本松へ移住、晩年はこの地で俳諧に興じ、72歳で死去。
全文
むかし去人の云るは、人はただ萬少しの事に心をよせ気をも付て、慎み分別すべし、既に大事と成ては、後悔ゑきあるまじ、されば泯江のはじめには、濫觴(さかづきをうかべ)、楚に入りてはすなはち底なしとて、唐楚国のかたはらに、泯江と云て、いかにも広大に底ふかく、海のごとくなる江あり、此水上を尋れば、いかにもちいさき盃をうかべる程ほそけれども、漸々と水ながれ重り、楚国にてはるかに広く、ちひろふかき泯江とはなれるとかや、又ふるき名歌にも、
筑波根のみねより落るみなの河 戀ぞ積て淵と成けり
この心は、ひだちの国にみなの川とて広くふかき川あり、此川の水上は、筑波山のみねより落る苔の岩まの雫也けり、真そのごとく、戀といふ物は、かいま見そめし人の俤(おもかげ)は、いかにもほのかにかすかなるしるべなれども、其面影をわすれかねて、つやつやこひ忍る事、漸々とかさなつて、つもりて後には身をくだき、命を捨るほど大きなる戀のわづらひとなれるよしなり、萬につきて心得あるべし。
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