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橋本綱常が日本赤十字社病院、設立趣旨に遺した格言(日本赤十字社病院初代院長)[今週の防災格言335]

time 2014/05/12

橋本綱常が日本赤十字社病院、設立趣旨に遺した格言(日本赤十字社病院初代院長)[今週の防災格言335]


『 有事の際に適応できる救護員の養成が必要 』

橋本綱常(1845〜1909 / 医師 陸軍軍医総監 東京大学医科大学教授 子爵)

橋本綱常(はしもと つなつね)は、明治期の医学者。日本赤十字社病院(麹町区飯田町)を開設し初代院長となった人物。外科手術にいちはやく近代消毒法を導入し日本の外科学の発展に寄与、陸軍軍医総監(中将相当)、陸軍省医務局長、東京大学医科大学教授、東宮拝診御用などを歴任。本の虫と呼ばれるほど医学書に没頭し、生涯を医学研究に捧げた近代医学を日本に植え付けた功労者の一人として知られる。

越前藩医橋本家(清和源氏・足利氏庶流の桃井氏後胤の家系)に生まれ、実兄に幕末志士として安政の大獄で斬首となった橋本左内(はしもと さない / 1834〜1859)がいる。
文久2(1862)年、長崎に遊学しオランダ人医師ポンペやボードインに師事し近代医学を学んだ。その後も越前や江戸で医学研究を続け、明治維新後の明治5(1872)年に幕府医官の松本良順(まつもとりょうじゅん / 1832〜1907)の推挙でドイツに医学留学し、明治10(1877)年に帰国。明治16(1883)年からは陸軍卿・大山巌(おおやま いわお / 1842〜1916 後の元帥陸軍大将)の随員として渡欧しジュネーブ条約(万国赤十字条約)加盟のため奔走した。帰国後、明治18(1885)年に軍医総監、翌19年に日本赤十字病院を開設するとともに院長に就任。明治42(1909)年、65歳で世を去った。

格言は日本赤十字社病院の設立趣旨から。

尚、日本赤十字社病院は明治19(1886)年11月に陸軍から借り受けた麹町区飯田町の土地に完成し、明治24年に現在の地(渋谷区広尾)に移転する。 当初、病院名は『博愛社病院』だったが、博愛社が日本赤十字社と改称するに伴って『日本赤十字社病院』と改称、昭和16(1941)年から他の赤十字病院と区別するために『日本赤十字社中央病院』となり、昭和47(1972)年に『日本赤十字社医療センター』となり現在に至っている。

■「橋本綱常」に関連する防災格言内の記事
佐野常民 (初代日本赤十字社社長)(2013.02.11 防災格言)
アンリ・デュナン (赤十字社創設者)(2011.05.02 防災格言)
福沢諭吉(2010.09.20 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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