防災意識を育てるWEBマガジン「思則有備(しそくゆうび)」

伊藤圭介の著書『救荒食物便覧(1836年)』より飢饉への備えの名言(1803~1901 / 博物学者・医師 東京大学名誉教授)[今週の防災格言705]

time 2021/06/28

伊藤圭介の著書『救荒食物便覧(1836年)』より飢饉への備えの名言(1803~1901 / 博物学者・医師 東京大学名誉教授)[今週の防災格言705]

ふかここ注思ちゅうし平年へいねんおい予備よびさくはからざるべからず。 』

 

伊藤圭介(1803~1901 / 幕末明治期の博物学者・医師 日本初の理学博士 東京大学名誉教授 男爵)

 

格言は『救荒食物便覧(1836年)』題言より。

江戸時代末期、シーボルトから西洋植物学を学んだ伊藤圭介は、自らの研究に基づいて『救荒食物便覧』『救荒植物集説』等を著し、日本の植物の特徴、植生、その調理方法を紹介して平時から飢饉に備えるように啓発した。

曰く――。

蓋(けだ)し、世に恐るべき最(災)多しと雖(いえ)ども飢饉より甚(はなはだ)しきれい(例)無し。是(これ)固(もと)より言(げん)を竢(また)ざる也。故(ゆえ)に深(ふか)く茲(ここ)に注思(ちゅうし)し、平年(へいねん)に於(おい)て予備(よび)の策(さく)を謀(はか)らざる可(べか)らず。是(これ)渇(かっ)して井を鑿(さぐ)り、闘(たたかっ)て兵を求むる悔無る(くいなる)べき也。

意訳『 考えてみれば、世の中には恐ろしい災禍は多いが、飢饉ほど酷い例はない。このことは改めて言うまでもないだろう。よって、ここに深く心を注ぎ、平和な時にこそ、予防策としての備えを計画しておくべきである。例えれば、必要となってから慌てて準備をしても間に合わないのだから、後悔しないようにすべきである。』

 

伊藤圭介(いとうけいすけ)は、幕末から明治中期にかけて活躍した植物学者で、日本植物分類学の始祖として知られる人物。江戸時代には医者として尾張藩内で種痘を始めるなど地域医療に貢献し、長崎のシーボルトに植物学を学び、多数の著書を残した。維新後、明治政府からの要請で上京し東京大学教授となり、明治21年(1888年)に日本最初の理学博士となった。

享和3年年1月27日(1803年2月18日)、尾張藩御目見医師・西山玄道(1752~1843)の次男として名古屋呉服町一丁目(現在の名古屋市中区丸の内)に生まれる。名は舜民または清民、字は戴堯のちに圭介と号した。初めは西山左仲といったが、父の生家を継いで伊藤と改める。実兄に尾張藩医・大河内存真(おおこうちそんしん / 1796~1883)がいる。
本草学を水谷豊文(1779~1833)に学び、文政3年 (1820年)に開業。文政4年(1821年)19歳で京都に遊学し、藤林普山(1781~1836)、吉雄常三らに蘭学(洋学)を学び、文政9年(1826年)4月29日にシーボルト(1796~1866)が熱田宿に投宿した際、水谷豊文、大河内存真らと共に会見し、文政10年(1827年)25歳で長崎に赴きシーボルトに師事して植物学を学んだ。シーボルトからもらったC.P.ツンベリーの書《日本植物誌(Flora Japonica)》(1784年)を翻訳し、文政12年(1829年)『泰西本草名疏』と題して出版した。この本で初めて「おしべ」「めしべ」「花粉」などの名称を創案した。
嘉永5年(1852年)尾張藩種痘法取調となり種痘の紹介や普及に尽力。その後は、藩医に昇進し奥医師見習となり、名古屋藩(尾張藩)に西洋医学の病院と学校「仮病院・仮医学校」(名古屋大学の前身)の設置を建議するなど行っている。明治3年(1870年)明治政府の要請で東京に移り住み、明治14年(1881年)東京大学理学部教授に任ぜられ、明治21年(1888年)日本初の理学博士の学位を受けた。
明治34年(1901年)1月20日、慢性胃腸炎により東京で逝去。98歳。






■「飢饉」「伊藤圭介」に関連する防災格言内の記事
莅戸善政[1] (かてもの作者 出羽国米沢藩家老)(2008.03.17 防災格言)
莅戸善政[2] (かてもの作者 出羽国米沢藩家老)(2011.12.05 防災格言)
上杉鷹山 (江戸時代中期の大名 出羽国米沢藩9代藩主)(2010.04.12 防災格言)
二宮尊徳翁(二宮金次郎)(江戸時代後期の経世家・農政家)(2012.01.30 防災格言)
鍋島直正(大名・肥前国佐賀藩主(第10代) 「シーボルト台風」)(2019.12.09 防災格言)
新渡戸稲造(1862~1933 / 教育者・思想家・農学者・法学者)(2012.11.12 防災格言)
クルト・ワルトハイム(1918~2007 / オーストリア大統領 国際連合事務総長(第4代))(2019.11.04 防災格言)
『百姓伝記』(1680~1682年・著者不明)巻七「防水集」より(2018.08.27 防災格言)

■「江戸時代」「江戸時代の庶民文化」に関連する防災格言内の記事
上田秋成(江戸後期の国学者・歌人・読本作者 代表作「雨月物語」)(2015.11.02 防災格言)
万亭応賀(江戸・明治の戯作者 代表作「釈迦八相倭文庫」)(2019.04.15 防災格言)
滝沢馬琴(曲亭馬琴)(江戸後期の戯作者・読本作家 代表作「南総里見八犬伝」)(2020.06.08 防災格言)
如儡子(江戸中期の仮名草子作家・武士 代表作『可笑記』)(2013.11.11 防災格言)
仮名草子「長者教」より(2016.08.15 防災格言)
江島其磧(江戸中期の浮世草子作者 浄瑠璃作者)(2009.06.22 防災格言)
大淀三千風(江戸時代の俳人)(2010.12.27 防災格言)
松尾芭蕉(江戸時代の俳人・俳聖)(2010.12.20 防災格言)
小林一茶(江戸時代の俳人 生涯に約二万の発句を残した)(2009.03.16 防災格言)
伊勢貞丈(江戸中期の有職故実家 幕府寄合・御小姓組蕃士)(2014.02.03 防災格言)
『百姓伝記』(1680~1682年・著者不明)巻七「防水集」より(2018.08.27 防災格言)
義農作兵衛(江戸時代中期の伊予国松山藩筒井村の農民)(2009.03.23 防災格言)
二宮尊徳翁(二宮金次郎)(江戸時代後期の経世家・農政家)(2012.01.30 防災格言)
上杉鷹山 (江戸時代中期の大名 出羽国米沢藩9代藩主)(2010.04.12 防災格言)
莅戸善政[1] (かてもの作者 出羽国米沢藩家老)(2008.03.17 防災格言)
莅戸善政[2] (かてもの作者 出羽国米沢藩家老)(2011.12.05 防災格言)
伊藤圭介(1803~1901 / 幕末明治期の博物学者・医師 日本初の理学博士 東京大学名誉教授 男爵)(2021.06.28 防災格言)
中江藤樹 (江戸時代初期の陽明学者 近江聖人)(2010.11.22 防災格言)
橘南谿 (江戸時代の医師 朝廷医官)(2011.07.04 防災格言)
鈴木重胤(幕末の国学者)(2015.11.30 防災格言)
秦宗巴(江戸初期の医者 豊臣秀次、徳川家康侍医)(2019.08.05 防災格言)
吉益東洞(江戸時代の漢方医 日本近代医学中興の祖)(2020.05.11 防災格言)
広瀬淡窓 (江戸後期の儒学者)(2015.05.04 防災格言)
渡辺南隠 (広瀬淡窓門下の臨済宗僧侶)(2010.08.16 防災格言)
三井高房(江戸中期の豪商 3代目三井総領家(三井財閥))(2019.05.13 防災格言)
常盤潭北(江戸時代中期の俳人 医者・教育者)(2017.07.03 防災格言)
ハインリッヒ・シュリーマン(ドイツの考古学者・実業家)(2016.11.21 防災格言)
津田真道(幕末・明治初期の法学者・啓蒙思想家・官僚)(2015.08.03 防災格言)
浜口梧陵(江戸時代後期~明治初期の実業家 ヤマサ醤油第7代目社長(2007.12.24 防災格言)
五代友厚(1835~1885 / 幕末明治期の薩摩藩士・実業家 大阪経済界の功労者)(2021.04.05 防災格言)
石川英輔(1933~ / 小説家・江戸文化研究者)(2011.09.19 防災格言)

 

著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,備蓄,防災グッズ,非常食
みんなの防災対策を教えてアンケート募集中 非常食・防災グッズ 防災のセレクトショップ SEI SHOP セイショップ

メルマガを読む

メルマガ登録バナー
メールアドレス(PC用のみ)
お名前
※メールアドレスと名前を入力し読者登録ボタンで購読

アーカイブ