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上田秋成が著書『雨月物語』に書き記した格言(歌人)[今週の防災格言411]

time 2015/11/02

上田秋成が著書『雨月物語』に書き記した格言(歌人)[今週の防災格言411]


およえき日数ひかずあり。
そのほどを過ぎぬれば寿命ことぶきをあやまたず。 』

上田秋成(1734〜1809 / 江戸後期の国学者・歌人・読本作者)

格言は著書「雨月物語(1768年)」巻之二・菊花の約より。
「疫」は、「流行病(はやりやまい)」の意味。

口語訳『疫病の流行はだいたい日数が決まっているので、その期間を過ぎれば命に別状はない』。

上田秋成(うえだ あきなり)は、江戸時代中期から後期に活躍した大阪堂島出身の浮世草子・読本作家。幼名は仙次郎。通称は東作。別号に無腸、余斎、鶉居、漁焉など。代表作に『雨月物語』『ますらを物語』『春雨物語』『胆大小心録』など読本の他、句を投じ、国学を学び、医術を修め、国史を説き、歌を詠み、煎茶を嗜んだ狷介峭直(けんかいしょうちょく=自らを曲げぬ頑固一徹)な一生を送った人物。

実父不明・出自不詳。大阪曽根崎の遊郭の私生児に生まれたともいわれている。4歳のとき、幼くして大坂の裕福な紙油商「嶋屋」の上田茂助の養子となる。青春時代を俳諧・戯作などに親しみながら過ごし、27歳で結婚。翌年に養父が亡くなり家業を継ぎ、一方で浮世草子の作者として世に出る。明和8(1771)年、38歳の時、火災で家財をなくしたため、医学を学び安永5(1776)年に大坂で開業している。国学者・富士谷成章(ふじたに なりあきら / 1738〜1779)らを友とし、加藤宇万伎(国学の師)や都賀庭鐘(医術、中国小説の師)に教えを請い、蕪村・几董などの俳人や木村蒹葭堂、大田南畝らと交遊を深めた。50歳代半ばで医者を廃業し、以後は文筆に専念。晩年は京都へと移り住み、妙法院宮真仁法親王、呉春、村瀬栲亭、小沢蘆庵、伴蒿蹊らと交友、正親町三条公則に「万葉集」などを講義した。最晩年は、書くことの虚業を痛切に自覚し草稿類を庵の井戸に捨て、文化6(1809)年に門人の羽倉信美邸(上京区寺町通広小路)へと移りそこで没した。76歳。

■「上田秋成」に関連する防災格言内の記事
儒学者 荻生徂徠(2010.8.2 防災格言)
江島其磧(江戸中期の浮世草子作家)(2009.06.22 防災格言)
小説家 谷崎潤一郎(2014.12.08 防災格言)
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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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