『 住民は理論に信頼せず、異変を認知する時は未然に避難の用意もっとも肝要とし、平素勤倹産を治め、いつ変災に値も路途に迷わざる覚悟なかるべからず 』
大正3年(1914年)1月12日の桜島大噴火石碑「桜島爆発記念碑(通称「科学不信の碑」)」より
(口語訳): 住民は理論を過信せず、異変に気付いたら事前に避難することが最も重要と知り、日頃から倹約したり貯蓄をするなど、いつ災害にあっても路頭に迷わない覚悟と準備をしなくてはならない。
(桜島爆発記念碑:通称「科学不信の碑」より)
九州南部の鹿児島「桜島」島内の東桜島小学校の校庭に「桜島爆発記念碑」と刻まれた石碑があります。
今から百年前の大正時代に発生した桜島大噴火を忘れないために島民らが建てた記念碑として知られるもので、一見すると普通の石碑に見えますが、裏面には全国に無数にある碑文のなかでも“優れて特異な文章”が刻まれています。
元NHK記者・柳川喜郎は著書「桜島噴火記 住民ハ理論ニ信頼セズ…(1984年)」のなかで以下のように解説しています。
大正三年一月、桜島は大噴火を起こす。噴火の前から島では異変がつづいていたため、島民は測候所(現在の気象台)に噴火の可能性について問い合わせるが、測候所は「噴火なし」と答えた。測候所、つまり科学技術を信頼して島に残っていた人々は、突然の噴火に虚をつかれ、犠牲者が続出した。島の人々は、測候所の背信を呪い科学技術の頼りなさを糾弾する碑文を後世に残るように石に刻みつけた。このように怨念と不信に満ちた石碑は他に余り類をみないだろう。
測候所への不信と怨念が刻まれた石碑を人々は「科学不信の碑」と呼ぶようになりました。
… … …
大正3年(1914年)1月12日午前10時頃、桜島は大音響とともに突如大爆発を起こします。
そして、噴火から8時間後の夕方(午後6時28分)には鹿児島湾直下でマグニチュード7.1の大地震が発生し、鹿児島市沿岸部には震度6以上の大きな揺れが襲いました。
桜島の当時の人口は3,100戸、約2万1千人が住んでいましたが、噴火と直後の大地震で死者35人、行方不明者23人、重軽傷者115人、全焼家屋2,148戸、倒壊家屋113戸、という被害が生じました―――。
この大正噴火は、特に火山噴出物の量が多かったことで知られ、有史以来の日本の火山噴火としても、浅間山の天明噴火(1783年)や富士山の宝永噴火(1707年)以上の大噴火となりました。
それまでの桜島はその名の通り鹿児島湾内に浮かぶ約10km四方の火山島でしたが、噴出した大量の溶岩は島内の集落を埋めつくしたのち、最初の噴火から一週間後の1月29日に、深さ80メートル、幅400メートルあった瀬戸海峡を埋めて、桜島を大隈半島と陸続きにしてしまいました。
また噴出した莫大な火山灰は大隅半島を覆い、四国、中国、近畿へと降り注ぎ、茨城県、栃木県、福島県、宮城県でも軽い降灰がみられました。遠くカムチャツカ半島まで火山灰が到達したともいいます。
大正4年(1915年)9月頃(推定)まで一年半以上続いた噴火活動で、降り積もった火山灰が山地を荒廃させ、河川では雨が降るたびに土石流や洪水を引き起こして、たびたび犠牲者を出しました。住民らは、その後10年近くにわたって二次災害に悩まされ続けました。
… … …
実は、この噴火のだいぶ前から、島では噴火の前兆とみられるような異常現象が相次いで起こっていました。
前年大正2年(1913年)7月28日、29日、30日の三日間にわたって地震があり、7月下旬には桜島島内南側の谷間にある窪地で、樵(きこり)の親子二人が急死する火山性ガス中毒事故が発生します。
12月には桜島島内の井戸水が止まったり、水位の低下がありました。
そして、大噴火の数日前からそれがひどくなってきたため、不安を募らせた島民のなかには自主的に避難する人たちも出はじめました。
大正3年(1914年)1月9日晩から島内で地震が頻発します。10日晩からは有感地震が間断なく続き、11日午前3時40分には目を覚ますほどの大きな地震(震度5)もありました。
地震活動は日を追うごとに活発化し、1月12日午前6時までに337回観測されています。
桜島山頂から砂塵を巻き上げて崩落する岩石の音が島内に鳴り響き、島内の井戸から水が溢れ出したり、海岸から熱湯が吹き上がるなどの異常現象が起ると、山頂からは白煙のようなものも上りました。
この間に、不安になった当時の東桜島村長・川上福次郎は、気象台(気象庁)に何度も何度も問い合わせを行っていました。
ところが鹿角義助(かづのぎすけ)鹿児島県立測候所長の答えは毎回「地震は桜島ではないので噴火の心配ない」でしたので、これを信じた村長は、島民たちを安心させるために「避難の必要はない」と逆に説いて回っていました。
そのとたん、大噴火が発生したのです。
午前9時45分頃、西方山腹から噴煙が上がった後、島の東南山腹からも噴出し、爆音は次第に激しくなっていきました。
午前11時頃には島の村々に火山弾が落下し、あたりは猛火に包まれました。噴石が雨のように降り、周辺は真っ暗闇になります。
午後6時28分、各地で住民らが避難するなかで、今度は強烈な大地震が発生して山が崩れるような轟音が鳴り響き、その一時間後には、沿岸に津波が襲いました。
島の対岸の鹿児島市山下町にいた七高生(旧制第七高等学校造士館)の小川良之助の談話が当時の様子をよく語っています。
九日の晩から地震があった。十日の晩から地震が間断なくあった。
十一日に桜島爆発の兆候があった。即ち四時半頃、テニス庭で見た所が、白雲が桜島の中腹から上った。それが暫くして消えた。話をきくと、桜島では前十日頃から既に徴候があったといふ事である。
…(中略)…
市中は、老若の外は、六時半頃の強震迄は、左程騒がなかった。唯だ津浪が来るというので警戒したのである。其頃丁度桜島の島民が盛んに避難して来るので、市中の人も既に多少は避難し出した。所が六時半に強震があってからは、市中が俄かに騒ぎ出した。
電灯は消えて市内は暗黒と化した。石垣が倒れて死傷者も出た。山下町通りで石垣が倒れて、自動車で通行中の若者がその下敷となり、助けを叫んでも助ける人がない。そのまゝ狂死したものなどもあるらしい。泣く、叫ぶ、阿鼻地獄とは方にこの事であろう。唯だ闇の中に不安と恐怖とにおびえつゝ、市民は右往左往で立騒いだ。小さな地震でも既に怖気づいた彼等の魂をおびやかすには充分であった。着の身着のまま、家を飛び出してからは家の中に居るものは一人もなかった。伊敷練兵場の畑の中に逃げた。露宿した。十時頃になって寒くなったので、毛布等を取りにかへって来た。防寒具の無いものは非常に困った、停車場に行った時は、汽車は既に不通となっていた。
…(中略)…
十二日晩は桜島は皆目見えない。只大鳴動があるのみで、雷のやうに電光が輝く、閃々たる電光、轟々たる鳴動、実に耳をつんざく計りである。
(出典:諸岡存記:内田孝蔵著「大正三年桜島噴火探検二十五週年追憶記」(1937年 飯島診療所))
最後まで村役場に残っていた川上村長と3人の部下(収入役の山下源太郎、書記の野添八百蔵、書記の大山矢市)らが退避しようと海岸へ向かった時には、すでに島に船は一隻も残っていませんでした。
海峡を泳いで渡るしか避難の方法はなく、逃げ遅れた者は冷たい海に飛び込みました。
漂流中に川上村長と野添書記は救助の船に発見されましたが、漂流中に山下収入役は力尽きて絶命し、大山書記は行方不明となりました。
この他にも、最後まで島内に残っていた川上村長の実弟の川上末吉ら19名が同じように海に飛び込み行方不明となっています。
また、逃げ遅れて溶岩に生き埋めになった島民も4人いました。
このとき海で行方不明になった人達はその後も全員が見つかっていません。
“噴火はしない”と言う測候所を信じ「逃げなくて大丈夫」と島民に言い続けてきた川上村長は、自分の言葉を最後まで信じて島内に踏み止まった忠実な村役場の部下や、実弟ら多くの島民を殺す結果となったことに強い自責の念を感じました。
そして同時に測候所への激しい怒りも感じました。
また、生き残った島民らも、その後の不自由な生活を余儀なくされたことから、口々に測候所を批難するようになっていきました。
新聞記者をはじめ鹿児島市民の多くが、誤った予測をした測候所への不信感を募らせていった結果、1月16日には「失態を起こした測候所の責任者である鹿角所長が自殺した」という誤報(1月16日付 大阪朝日新聞)まで流れる始末で、2月中旬の鹿児島新聞の紙面には「当然自殺すると思ったのに、ずうずうしく生きている」などと公開状まで掲載されたりしました。
しだいに桜島噴火は、測候所の責任問題へと発展することになり、そこに日頃からの中央政界の薩長対立が合わさって長州出身(山口県生れ)の鹿角所長への批難はエスカレートしていきました。
様々な批判にさらされた鹿角所長は、噴火後、火山のない四国の香川県立多度津測候所に転勤することになりました。
災害がようやく落ち着きをみせてきた頃、噴火10周年となる大正13(1924年)1月。
この間に川上村長は亡くなりましたが、彼の遺志を継いだ後任の野添八百蔵新村長は、桜島噴火の教訓を後世に残すため石碑「桜島爆発記念碑」を建立します。
そこには川上村長が生前語っていた“理論(科学技術)を過信せず、異変に気付いた時には避難せよ”との強いメッセージが添えられました。
… … …
現在の科学技術でも、地震や火山噴火の100%予知は難しいとされています。
平成19年(2007年)11月の気象業務法の改正で、予報・警報に地震と火山が追加されてから、気象庁は火山の噴火予報を行ない噴火警報を発表することが義務付けられましたが、それまで気象庁では、気象の予報を行うものの、地震や火山の現象についての予報は業務外とされてきました。
そのため大正当時の地方測候所には、法的には、火山噴火についての予測の社会的責任はなかったとも言えます。
… … …
「桜島爆発記念碑(通称「科学不信の碑」)」全文
大正三年(1914年)一月十二日櫻島ノ爆發ハ 安永八年(1779年)以来ノ大惨禍ニシテ 全島猛火ニ包マレ 火石落下シ降灰天地ヲ覆ヒ光景惨憺ヲ極メテ八部落ヲ全滅セシメ百四十人ノ死傷者ヲ出セリ 其爆發数日前ヨリ地震頻發シ 岳上ハ多少崩壊ヲ認メラレ 海岸ニハ熱湯湧湯シ 旧噴火口ヨリハ白煙ヲ揚ル等 刻刻容易ナラサル現象ナリシヲ以テ 村長ハ數回測候所ニ判定ヲ求メシモ 櫻島ニハ噴火ナシト答フ 故ニ 村長ハ残留ノ住民ニ狼狽シテ避難スルニ及ハスト諭達セシカ 間モナク大爆發シテ 測候所ヲ信頼セシ知識階級ノ人却テ災禍ニ罹り 村長一行ハ難ヲ避クル地ナク 各身ヲ以テ海ニ投シ 漂流中山下収入役大山書記ノ如キハ 終ニ悲惨ナル殉職ノ最期ヲ遂ゲルニ至レリ 本島ノ爆發ハ古来歴史ニ照シ後日復亦免レサルハ必然ノコトナルヘシ 住民ハ理論ニ信頼セス異變ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ 平素勤倹産ヲ治メ何時變災ニ値モ路途ニ迷ハサル覚悟ナカルヘカラス 茲ニ碑ヲ建テ以テ記念トス
大正十三年一月 東櫻島村
鹿児島市立東桜島小学校にある桜島爆発記念碑 photo by As6022014 , via Wikipediaより
噴火直後の写真:1914年1月12日午前10時50分(左)/午前10時35分(右)
九州鐵道管理局 編纂「大正三年櫻島噴火記事」(1914年7月)より
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