![岡村正吉が有珠山噴火の時に遺した格言(北海道虻田町長)[今週の防災格言240]](https://shisokuyubi.com/wp/wp-content/uploads/2017/12/bousaikakugen.jpg)
『 噴火というものは、風上と風下とでは、
まさに天国と地獄の差がある 』
岡村正吉(1922〜2010 / 北海道虻田郡虻田町長)
北海道の観光リゾート地である洞爺湖温泉街を襲った昭和52(1977)年8月の有珠山大噴火で、災害の陣頭指揮をとり早期復興への道を切り拓いた人物の一人が、北海道虻田(あぶた)町出身の岡村正吉(おかむら まさよし)氏である。
岡村氏は、東京大学法学部を卒業後に北海道庁に入庁。水産部、広報課長、北海道教育長を歴任し退任。昭和47(1972)年に衆院選出馬を表明するも断念、昭和49(1974)年6月、故郷虻田町(現洞爺湖町)の町長選に初当選し、平成10(1998)年に落選するまで虻田町長を6期24年務めた。
在任中の昭和52(1977)年8月7日に有珠山が突然大噴火し、噴煙は上空12,000メートルに達し、火山灰は遠く知床半島まで降り積り、火山礫は洞爺湖温泉街を直撃、雨を含んだ火山灰が泥流となって洞爺村まで押し寄せ3人の住民が犠牲となった。災害対応に虻田町長としてリーダーシップを発揮、積極的な中央への陳情を行うなど高い行政手腕により壊滅的な被害を受けた町の早期復興を実現させ、その後のハザードマップ整備にも力を入れた。
格言は自著『噴火災害にはじめて遭って』(出典:全国防災協会編「語り継ぐ災害の体験(山海堂 1981年)」集録)より。
曰く―――
『 生れて初めて空からバラバラと降ってくる火山礫を見たとき、私たちはみんな外に飛び出して、ワイワイいいながらわれ先に珍しい火山礫を拾った。しかし、間もなく歓声は、悲鳴に変わっていった。
降灰礫はさらにどんどん続いた。そして雨になった。雨混じりの火山灰は、空から生コンが降ってくるようなものだった。車という車は、みんなフロントガラスをやられ使えなくなっていた。<中略>道路という道路は、30センチから1メートルも生コンが積って途絶状態だった。
それにしても、除灰とは除雪の何倍も困難なものである。大体、重量が違うし、ドロドロで雪のようにあっさりしていない。それでも日ごろ除雪の経験体制があったから迅速な除灰も可能なのだった。
それにしても、八日、一晩中は住民は生きた気もしなかったろう。バラバラとしじゅう火山礫が降りつづき、中には屋根を貫通してくるものもある。私たちは、避難命令を出すにも出せない。道路が通れなかったからだ。』
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