『 火災を免がれた東京駅付近の大建築物が、地震の損害を受けていても魏然 として立っているのが非常に頼もしそうに思われた。 』
田中貢太郎(1880~1941 / 小説家・随筆家 代表作『日本怪談全集』)
格言は、著書『貢太郎見聞録』(大正15年12月)収録の『死体の匂い』より。
関東大震災(大正12年(1923年)9月1日)では、茗荷谷(東京都文京区)の自宅二階にいる時に罹災。幸い妻と子供ともども無事だったが、その後の余震で近隣の寄宿舎の庭へ一時避難したという。
この『死体の匂い』は、発災直後に田中貢太郎が被服廠跡地を訪ね歩いた際の見聞録である。
十万人を超える震災の死者・行方不明者のうち、一度に三万八千人もの人たちがまとまって亡くなった場所が、当時の「陸軍被服廠(ひふくしょう)跡地」と呼ばれる広い空き地で、ここは、今では「横網町(よこあみちょう)公園」(東京都墨田区横網)として知られている。
地震から四時間後に火災旋風(火の竜巻)が発生し、この被服廠跡地に避難していた約四万人の人たちを飲み込んだ。風速十七メートルの猛烈な風と凄まじい猛火が襲い、ほとんどの人が逃げる間もなく焼け死んだ。この猛火が鎮火したのは二日後の9月3日午前10時頃という。亡くなった三万八千人は公園内でそのまま火葬にされ、遺骨は横網町公園内に建てられた納骨堂(三重塔)や慰霊堂に安置された。
曰く――。
広っ場の中は一めんの死体で、ちょうど沖から帰って来た漁師が思い思いに海岸へ魚の盛りをこしらえて、仲買人の来るのを待っている時のように、人の盛りをこしらえてあった。それは二三十人ぐらいに見える所もあれば、百人ぐらいに見えるような所もあった。
・・・(中略)・・・
私は右の手で手拭を持ってそれで口と鼻とを掩うて、左斜に広っ場を突き切るつもりで歩いた。私は一つ一つ死人を見ていては気持が悪くなって歩かれないと思ったので、一箇所に眼を留めずにして進んだ。溺死人のように脹れあがった者、腐った魚のように半身がどろどろになった者、黒焦げになった者、そうした死体が二町四方もあろうと思われる所を掩うて見えた。子供の死体もたくさん交っていた。女の死体の半焦げになった傍に小さな一団(かたまり)の消炭のような物を置いてある所があった。私はそれは女の負ぶっていた子供の死体であろうと思った。
風は正面から吹いていた。すこしでも手拭の覆いに隙ができると恐ろしい臭気が鼻を刺した。私はもう斜めに突き切るのが厭になったので、右の方の死体の少ない方に反れ反れして走った。・・・(中略)・・・
私は公園の山のベンチに腰をかけて、上野の山を眼界にして左右にひろびろと広がった白い焼野原を見ながら、花屋敷の前で買って来た梨の実を噛かじった。鼻のどこかにまだ死体の厭な匂いが残っているような気がした。
田中貢太郎(たなかこうたろう)は、高知県出身の作家で、伝記、紀行文、随想、情話物、怪談・奇談、中国古典・経書(論語等)など多岐にわたる作品を著した。代表作には『田中貢太郎見聞録』『旋風時代』『日本怪談全集』『支那怪談全集』『聊斎志異(翻訳)』などがある。
明治13年(1880年)3月2日、高知県長岡郡三里村仁井田(現・高知市仁井田)に生まれる。生家はかつて土佐藩御用達の船問屋だったという。小学校を3年で中退したのち漢学塾に通い、母校・三里尋常小学校の代用教員や高知実業新聞社記者を経て、明治36年(1903年)上京。郷里の先輩で西大久保に住んでいた大町桂月(1869~1925 / 詩人・歌人)を訪ね、終生桂月に師事した。他にも、郷里高知県出身の先輩である田岡嶺雲(1870~1912 / 文芸評論家)、奥宮健之(1857~1911 / 社会運動家・幸徳事件(大逆事件)で処刑)、幸徳秋水(1871~1911 / 思想家・幸徳事件(大逆事件)で処刑)や、田山花袋(1872~1930 / 作家)らと交流する。
明治44年(1911年)処女作『四季と人生』を出版。中央公論主幹の滝田樗陰(1882~1925)に認められ雑誌『中央公論』に情話物や怪談話などを掲載。昭和4年(1929年)から東京日日新聞・大阪毎日新聞で連載した実録風長編小説『旋風時代』で成功し、大衆小説家としての地位を築いた。また、怪談物の収集と再著作に努め、その総数は約五百編に及んだ。晩年となる昭和9年(1934年)に文壇の大御所菊池寛に抗し、同人『博浪沙』を主宰し、井伏鱒二・尾崎士郎・田岡典夫・富田常雄・榊山潤・浜本浩ら多くの後進を育てた。
昭和15年(1940年)取材で帰郷中に安芸の小松屋旅館で吐血し、病に倒れる。その後療養していたが、病状が悪化し、昭和16(1941年)2月1日、郷里(現在の高知市種崎、生家の近所)で死去。62歳。没後、第3回菊池寛賞受賞。
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