『 文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す。 』
寺田寅彦[10](1878~1935 / 物理学者 随筆家 俳人)
昭和9年(1934年)9月21日午前5時頃、高知県室戸岬に巨大台風が上陸した。上陸時の気圧は、911.6ヘクトパスカルで、当時の世界最低気圧記録を更新した。
大阪では最大瞬間風速秒速60メートルの暴風が襲い、わずか10分間に大阪湾の水位は2メートルも上昇する高潮が発生した。明治以降の都市開発などによる地盤沈下もあって、海水は大阪城付近にまで達し、湾の一帯では急な水位の上昇に避難が間に合わなかった千人以上の人たちが溺死した。
また、暴風の吹き始めと児童らの登校時間が重なった大阪では、わずかな時間で小学校と中学校の木造校舎が強風により倒壊し、多数の児童生徒と教職員がこれに巻き込まれた。大阪府下の小・中学校の被害は、全壊22校、半壊98校。死亡した学校職員18人、死亡児童生徒676人、負傷児童生徒2,462人に達した。
この台風による全国の死者・行方不明者3,036人のうち、とくに阪神の被害が甚大で、大阪府の死者・行方不明者1,888人、兵庫県261人、京都府233人にのぼった。
「室戸台風」と呼ばれた未曽有の台風被害の後、物理学者の寺田寅彦(てらだ とらひこ)は、『天災と国防』(経済往来 昭和9年11月)という随筆を書いた。
寅彦は、この室戸台風(原文では「関西の風害」と表記)では古い神社仏閣が無事だったのに対して、新しく建てられた学校や工場が無残に倒壊したことを受けて、かつて視察した関東大震災(1923年)直後の横浜から鎌倉の被害状況で、丘陵のふもとの古い村家が無事であったのに、大きく破壊された田んぼの中の新興住宅(「新開地の新式家屋」との表記)を思い出して、高度に発展する現代社会の新たな災害による被害に警鐘を鳴らした。
曰く―――。
地震津波台風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、頻繁にわが国のように劇甚な災禍を及ぼすことははなはだまれであると言ってもよい。わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。
しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。
人類がまだ草昧(そうまい)の時代を脱しなかったころ、がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。とにかくこういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。
文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである。
もう一つ文明の進歩のために生じた対自然関係の著しい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。
その他、寺田寅彦の防災格言
■国家を脅かす敵として天災ほど恐ろしい敵はないはずである
■科学の方則とは畢竟「自然の記憶の覚え書き」である。自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
■天災は忘れた頃来る
■ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい。
■戦争はしたくなければしなくても済むかもしれないが、地震はよしてくれと言っても待ってはくれない。
■「知らない」と「忘れた」とは根本的にちがう。
■大正十二年のような地震が、いつかは、おそらく数十年の後には、再び東京を見舞うだろうということは、これを期待する方が、しないよりも、より多く合理的である。
■地震の研究に関係している人間の目から見ると、日本の国土全体が一つのつり橋の上にかかっているようなもので、しかも、そのつり橋の鋼索があすにも断たれるかもしれないというかなりな可能性を前に控えている
■文明がすすむほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防護策を講じなければならないはずである
■文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増す。
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