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日野原重明が玄侑宗久との対談で遺した名言(1911~2017 / 医師 聖路加国際病院理事長)[今週の防災格言500]

time 2017/07/24

日野原重明が玄侑宗久との対談で遺した名言(1911~2017 / 医師 聖路加国際病院理事長)[今週の防災格言500]

『 たとえ悲劇的な運命に遭遇しても、それを自分なりに適応できるようデザインする。 』

 

日野原重明(1911~2017 / 医師 聖路加国際病院理事長・名誉院長)

 

格言は芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久氏との対談『足るを知る』より。
(出典:玄侑宗久著「中途半端もありがたい 玄侑宗久対談集 (東京書籍 2012年)」 / 初出:「ラジオ日経 日野原重明の輝く顔と輝く心」2012年3月20日放送回)

曰く―――。

医学でも、ウジェーヌ・デュボアという学者が、健康かどうかは、いかにその事態に対して適応できるかどうかで決まると言っています。 たとえ悲劇的な運命に遭遇しても、それを自分なりに適応できるようデザインする。これは人間が生きるうえにはとても大事なことで、仏教に通じる生き方です。

100歳になった年、2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が発生。日野原は、小学校5年生、11歳のとき、神戸で関東大震災(1923年)の長く大きく揺れる地震を体験している。

そのため、聖路加国際病院の理事長室で揺れを感じた瞬間は、二回目の関東大震災が来た、と思ったそうで、すぐにヘルメットをかぶり机の下に身を隠し、少し揺れが収まったときを見計らい、六階からロビーまで階段を走り下りた、という。

大きな地震と津波、それに伴う原発事故に心を痛めた日野原は、震災直後の2011(平成23)年5月5日に宮城県南三陸町に慰問へと訪れた。

壊滅状態の志津川病院などをみた日野原は、後日、鴨長明の『方丈記』を読み返し、古典作品に地震や津波の記載があったことにあらためて驚き、玄侑宗久氏が方丈記に言及した著書「無常という力―「方丈記」に学ぶ心の在り方(2011年)」を引き合いに《 文学とはたいへんなものですね 》と語っている。

同じく震災後に書かれた日野原の著書『100歳の金言(ダイヤモンド社 2012年)』のなかの『運命はデザインできる』で、以下のように述べている。

大破した家屋、津波で流された小型船舶、がれきの山々。筆舌に尽くし難い、一面の荒野に愕然としました。幸いにも命を取りとめ生き残った人々は、悲しいことに「なぜ私だけが生き残ったのか」「なぜ子どもを助けられなかったのか」という罪悪感を抱えています。 その深い苦悩を癒やすことが、これからの私の使命であると強く感じています。
・・・≪中略≫・・・ 自分の運命は、自分でつくっていける。だから、どうか災害を受身の運命としないでほしいと思います。 私の言葉で言えば「人間はみな、運命をデザインできる」。それを原動力に、復興の道を力強く共に歩んでいきたいと思います。そしてまた、亡くなった方々の魂が、残された人々の心と溶け合い、「愛する人の魂とともに生きる」という前向きな祈りに変わることを願っています。
・・・≪中略≫・・・ あなたの人生はあなた自身がつくるものだということを、そして、その人生はいつでも幸せにできるということを、(本書から)少しでも感じとっていただければ幸いです。

… … …

日野原重明(ひのはら しげあき)は、100歳を過ぎても現役の医師を続け、1954(昭和29)年に民間病院初の人間ドックを導入し、早くから予防医学の重要性を説き、また卒後医師の二年の研修制度の提唱、患者参加の医療や医療改革に向けての提言、終末医療の普及や、「成人病」を「生活習慣病」という言葉に改めるなど、長年にわたって日本の医学の発展に貢献してきた人物。

聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを務めた。

1911(明治44)年、母の実家である山口県で生まれる。父はキリスト教プロテスタントの牧師で、後に広島女学院院長を務めた人物だった。
生まれ育った牧師の家は貧しく、10歳のときに母が大病になった際に、治療費も往診料もとらずに診察にあたった主治医の安永謙逸(けんいつ)先生の姿と、母の「どんなに貧乏な人のところにも往診するような医者になってほしい」との言葉に大きな影響を受ける。
旧制第三高等学校理科を経て京都帝国大学医学部に進学、同大学院を修了し、1941(昭和12)年、30歳で、聖路加国際病院の医師となった。医師となって間もなく太平洋戦争が始まり、東京大空襲では焼け野原となった東京で被災者の治療に携わった。
1970(昭和45)年3月31日、日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件では、韓国・金浦国際空港で約100人の乗客とともに機内に4日間監禁され、死の恐怖と闘った。事件を機に、これからの自分の命は与えられたものと考え、人のために生きようと、大きく人生観を変えたという。
内科医長、院長などを歴任し、1996(平成8)年からは理事長に就任。
1995(平成7)年3月20日のオウム真理教「地下鉄サリン・テロ事件」の際は、院長として聖路加国際病院を開放し、被害者対応のリーダーシップを執った。640人ものサリン被害者を一度に受け入れることができた背景には、事件発生の3年前の1992(平成4)年に完成した聖路加国際病院の新病棟が、日野原の発案により、ロビーや廊下などのスペースを広くし、廊下や待合室などの壁面に酸素の配管を張り巡らすなど、大災害の発生を見据え大量の患者がでても機能できるように予め設計されていたからだった。

当時、ムダではないかと批判されるほどの新病棟建設という大きな設備投資について―――

地震とか災害とか戦争とかいろんなことが起こった場合には、多くは不意に突然に起こるんで、それに準備ができてないから、国が、あるいは地方団体がそういうことが起こっても命が切りつけられないような予防的な処置をこれはすべきでありますけれども、戦争などは、急に起こったりなんかするんで、なかなかその処置ができないっていうことでうまくいかないんです
・・・≪中略≫・・・ 第二次世界大戦を経験して、この東京はね、ひどい爆撃があったわけですよ。ひどい火傷をした患者さんが聖路加病院にみんな逃げて来る。病室はもう一杯で、チャペルの礼拝堂に入れ、そこを病棟として、もうあらゆる空間に患者を入れた。その経験があったんで、私はこの新しい聖路加病院を作ったわけです。
・・・≪中略≫・・・ 病院というふうなものや、あるいは公立の病院は、そういう、いざという時に役に立つ投資をやはり私たちはすべきじゃないかと私はこういうふうに思っておりましてね

(総務省消防庁『eカレッジ 防災・危機管理』師範室インタビュー動画 (2003年)より)

――と語っている。

2000(平成12)年には老人の新しい生き方を提唱し「新老人の会」を立ち上げ、2001(平成13)年に出版した『生きかた上手』は120万部以上のミリオンセラーとなった。
日本各地や海外の小学校にも足を運び、子供たちに直接語りかけながら命の大切さを伝える「いのちの授業」を晩年まで続けた。
2005(平成17)年、文化勲章受章。
2017(平成29)年7月18日、105歳で死去。

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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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