『 彼らは気落ちせず、不運を嘆かず、雄々しく仕事にとりかかり、ほとんど意気消沈してはいないようだった。 』
ペリー提督(1794〜1858 / アメリカ海軍軍人 東インド艦隊司令長官)
格言は著書『ペリー艦隊日本遠征記 下(編訳:オフィス宮崎 / 万来舎 2009年)』より。
鎖国中の江戸時代。嘉永6年6月3日(1853年7月8日)に浦賀沖に突如姿を現したアメリカ合衆国海軍東インド艦隊。サスケハナ号を旗艦とする4隻の黒船を指揮するマシュー・カルブレイス・ペリー提督(Matthew Calbraith Perry)はフィルモア大統領の親書を携え日本に開国を迫った。
日本の国情が騒然とするなかで、安政東海・南海大地震(1854年12月23日〜24日)が連続発生する。大津波によって壊滅した下田(伊豆)についてペリー提督は、日本人の迅速な対応と回復力について『 地震によって生じた災禍にもかかわらず、日本人の特性たる回復力が発揮されていた。これらは彼らのエネルギーをよく物語るものである 』と感嘆した。
海軍一家に育ったペリー提督は、1809年に海軍に入り、ニューヨークのブルックリン海軍工廠造船所長としてアメリカ初の蒸気軍艦を建造し「蒸気軍艦の父」と呼ばれた人物。アフリカ艦隊司令長官、メキシコ湾艦隊司令長官を歴任し、メキシコ戦争(米墨戦争:1846〜48年)で武勲をあげ、郵政長官の要職を経たのち、東インド艦隊司令長官として日本遠征を指揮した。
日米和親条約調印後の1854年4月4日、条約書の謄本を携えた艦隊参謀長ヘンリー・A・アダムス中佐をアメリカ本国へ急派させ、ペリー提督自身は琉球、香港などを経由して帰国の途についた。そのため震災時には日本にはいなかった。
翌年(1855年1月26日)に合衆国代表としての全権を帯びたアダムス中佐が、批准書交換のため伊豆下田へと再来したときに初めて、震災により下田の様相が “大きく、悲しく変貌している” ことに気付いたという。
アダムス中佐の報告書には『(地震は)首府の江戸に若干の被害を与え、日本本島の南東沿岸に臨む大都市大阪は壊滅し、下田にもその破壊的影響の跡をおびただしく残し、かつて下田にあった建物で残っているのはわずか十六軒にすぎない。この破壊は地面の震動が直接引き起こしたものではなく、地震のあとにかならず起こる津波によるものだという』とある。
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