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水上滝太郎が関東大震災の時に遺した格言(小説家)[今週の防災格言396]

time 2015/07/20

水上滝太郎が関東大震災の時に遺した格言(小説家)[今週の防災格言396]


『 天変地異の暴威の前に、小賢しい人間の力は、って無きが如きものに感じられた。けれども、の意気地のない心持は、存外長くは続かず、日を経るに従って、人間の力が蘇生そせいして来た。 』

水上滝太郎(1887〜1940 / 小説家・劇作家・実業家 代表作「大阪」)

格言は「所感」(1923年10月21日)より。
(著書「貝殻追放(東光閣書店 1925年)」集録)

親戚ら十数人と鎌倉由比ガ浜の別荘地で過ごしていた時、関東大震災の地震と津波に遭遇する。家は倒壊し、親類の18歳になる娘が逃げ遅れ下敷きとなるが、奇跡的に無傷で隙間から這い出してきた。外の芝生で互いの無事を喜んでいた時、津波が襲ってきた。裏山の松林へと逃れ、一息ついたと同時に東西で発生した火災の煙がやってきた。

曰く―――。

《 頼みにする者よりも頼みにならない者の方が多く、底冷(そこびえ)のする土に敷いた荒筵(あらむしろ)の上に二夜三日露に濡れ雨に打たれ、山崩れの音を聞きながら、食糧の乏しさと、鮮人襲来の流言に心を寒くし、其後は又病人の続出に、如何なる身の末かと心細く、由比ガ浜一帯の惨澹たる光景を山の上かあ見下して、人間の意気地なさを嘆いたのであった。

地震国に生れて、安政の大地震の話、濃尾の震災の絵画も記事も幼い心に深く印象され、其惨害の酷しさを知識としては一日たりとも安閑(あんかん)としては居られない人間の楽天的な心持から、自分自身がそういう目に遭はうとは、思い及んだ事も無かった。然(しか)るに今度は、聞いたよりも想像したよりも残酷に襲来し、何等抵抗する術(すべ)も無くやっつけられた後でも、余(あまり)の事のはげしさに、現実の事とは思われず、夢では無いかと疑う事が度々あった。又、不思議にも、地震以後、自分は夜中に楽しい夢を見た。覚めた暁、雨戸も無く壁も落ちた他人の家に、左右に病人を抱えて転がって居る自分を見出した時は、泌々(しみじみ)なさけなく思った。

それでも未だ、斯(こ)ういう不運に遭遇したのは自分達及付近の人達ばかりで、一足此(この)地を離れると、安穏な場所が待構えて居て、温い懐に抱いてくれるような気持がして居た。横浜は全滅し、東京も下町は焦土に帰したと聞きながら、一望の下に在る鎌倉以外は現実の事として脳裡に描く事極めて明確でなかった。

けれども、東京に帰って、九段の上や上野の山から、見る限りの焼跡を望み、日本橋や京橋の真中に立って、四方八方何処(どこ)にひとつ昨日の面影を止めて居る所(ところ)の無いのを見た時は、幸いに命を保ち、住居も焼残った自分さえ、身の置所の無い、生き甲斐の無い心持にうちのめされてしまった。天変地異の暴威の前に、小賢しい人間の力は、在(あ)って無きが如きものに感じられた。

けれども、此(こ)の意気地のない心持は、存外長くは続かず、日を経るに従って、人間の力が蘇生(そせい)して来た。恰(あたか)も病人が回復期に向うと忽(たちま)ち昨日までの苦痛を忘れてしまうように、地震海嘯(つなみ)火事に脅かされた時の驚愕(きょうがく)よりも其の暴力に対抗して、人間力のあらん限り戦って見ようとする意志の方が自分を支配し始めたものである。 》

水上滝太郎(みなかみ たきたろう / 水上瀧太郎とも 本名:阿部章蔵)は、作家として活躍しながら、明治生命保険会社の筆頭専務を勤めた人物。
福沢諭吉の高弟で、明治生命の創業者の一人であった父・阿部泰蔵、母・優の四男として東京市麻布区飯倉町3丁目(現港区麻布台2丁目)に生れる。実妹の富子は小学校同級の小泉信三(1888〜1966 / 経済学者・慶応義塾塾長)夫人となる。長男の阿部優蔵は演劇評論家。
御田小学校、慶応大学予科を経て慶應義塾大学(本科理財科)に進学するとすぐに文芸雑誌「昴」に短歌を発表。在学中の明治44(1911)年には、永井荷風が創刊した「三田文学」から「山の手の子」を発表し、久保田万太郎らとともに三田派の新進作家として注目された。同年10月に「昴」に、心酔する泉鏡花の作品にちなんだ「水上瀧太郎」のペンネームで戯曲「嵐」を発表した。大学卒業後の明治45(1912)年、アメリカ・ハーバード大学に留学。大正5(1916)年に帰国すると父が創業した明治生命保険会社に入社。大正6(1917)年、30歳のとき、明治生命大阪支店の副支店長として大阪へ赴任。後に大正8(1919)年に東京に戻るまでの大阪時代の出来事を描いた「大阪」や「大阪の宿」を発表。作家と実業家という二足の草鞋生活をしながら、荷風が去ったあと休刊となっていた「三田文学」を大正15(1916)年に復活させ、そこで新人作家を育て続け、三田文学の精神的支柱として長く活躍した。
大正12(1923)年の関東大震災では鎌倉で罹災。恩師・泉鏡花の夫人すゞの見立てで紹介された鏡花宅の真向かいにある東京麹町下六番町(現千代田区六番町2)の大きな屋敷に1923年(大正12)から移り住んだ。
昭和15(1940)年3月23日、明治生命の講堂で、婦人社員たちに戦時下の会社方針を演説中に脳溢血により壇上で倒れ急逝した。54歳だった。
水上滝太郎

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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