『 夫 れ塩は食肴 の将、酒は百薬 の長、嘉会 の好 なり。鉄は田農 の本 にして、名山 大沢 、饒衍 の蔵 なり。 』
王莽(BC 45~AD 23 / 古代中国「新朝」皇帝 故事成語「酒は百薬の長」)
昔から、酒は百薬の長、などといわれて親しまれてきた。
その出典は、今から二千年もの昔に編纂された書物の一節で、古代中国の正史『漢書(かんじょ)・食貨志(しょっかし)下』のなかで紹介されている。
「嘉会(かかい)」は、めでたく喜ばしい集まりの意味。
「大沢(だいたく)」は、大きな沢、河川、湖沼のこと。
「饒衍(じょうえん)」は、豊かでたっぷりあるの意味。
つまり、
という意味である。
もともとは、資源を独占する法令を作った皇帝が、国民に理解をもとめるために用いた詭弁(宣伝文句)であった。
これを防災標語として捉え直すと、
―――という意味合いとなる。
漢(前漢)王朝の帝位を奪い「新(しん)」の国を興して、自ら皇帝となった王莽(おうもう)は、経済政策の徹底を志して詔を発した。その内容の一節に有名な「酒は百薬の長」という言葉が載っている。
王莽の経済政策の柱は、「五均(ごきん=物価の統制政策)」と「六管(ろっかん=酒・塩・鉄・銭(貨幣の鋳造)・山川沼湖(採取・狩猟・漁業)などを国家が管理する政策)」を法令に定め、民の生活に必要なものを国の専売事業とすることだった。
これは儒教において理想とされる太古の昔「周」の時代への復古政策であったが、新王朝ではやがて農民や豪族の反乱(赤眉の乱など)が続発することとなり、王莽の目指した専売制の強化策は失敗し、国家財政はひっ迫した。更なる反乱により国は大いに乱れてしまい、その結果、各地は群雄割拠することとなり、ついに反乱により王莽は斬殺され「新」は建国から一代限りの十五年で滅亡してしまった。
その後、光武帝劉秀(りゅうしゅう)により「漢(後漢)」王朝が再興された。
今から二千年前の遥か古代に、当時の生活必需品である塩や鉄と並び、「酒」を“百薬の長”と評した王莽の言葉は、後世、適度な酒はどんな薬より効果がある、という故事成語「酒は百薬の長」に転じ広まることになる。
王莽(BC 45~AD 23 / 古代中国「新朝」皇帝)
■中国古典・故事成語に関連する防災格言内の記事
安きにありて危うきを思う(居安思危)備えあれば憂いなし(有備無患)(2008.11.10 防災格言)
易経 繋辞下伝「安くして危うきを忘れず(安而不忘危)」(2009.11.9 防災格言)
孔子:「人、遠慮なければ、必ず近憂あり(無遠慮、必有近憂)」(2009.1.12 防災格言)
孔子:苛政猛於虎也(苛政は虎より猛なり)(2005.4.13 店長コラム)
天下の
水を
墨子「
蘇軾「安心は是れ薬、更に方無し。」(安心是薬更無方)(2014.05.19 防災格言)
荀子「
安くして危きを忘れざるは、古の炯誡なり(安不忘危、古之炯誡也)(2011.09.05 防災格言)
積善の家には必ず余慶あり(積善之家必有餘慶)、積不善の家には必ず余殃あり(積不善之家必有餘殃)。『易経』坤・文言伝より(2018.10.22 防災格言)
孟子・公孫丑篇上「飢える者は食をなし易く、渇する者は飲をなし易し(飢者易為食、渇者易為飲)」(2019.02.04 防災格言)
孟子・公孫丑篇下「
洪応明「菜根譚」より「
韓非子「
晏嬰「晏子春秋」より「
陳弘謀「願體集」より「君子
王莽(BC 45~AD 23 / 古代中国「新朝」皇帝)の故事成語「酒は百薬の長」(『漢書・食貨志下』より)(2021.12.20 防災格言)
■「古典」「故事」に関連する防災格言内の記事
する事かたきにあらず、よくする事のかたきなり。/ 鎌倉時代の説話集『十訓抄(建長4(1252)年 / 編者未詳)』より(2018.07.02 防災格言)
豊かなるけふ(今日)より、万々一の日の心がけいたすべく候 / 莅戸善政・米沢藩家老『かてもの(寛政12(1800)年)』より(2008.03.17 防災格言)
今の豊かなる日に能能(よくよく)心得させよとの御事に候条、油断すべからざるもの也 / 莅戸善政・米沢藩家老『かてもの(寛政12(1800)年)』より(2011.12.05 防災格言)
■「聖書」に関する防災格言内の記事
旧約聖書『伝道者の書』第1章9節より(2009.11.23 防災格言)
旧約聖書『創世記』41章より(2011.12.26 防災格言)