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石黒英彦が昭和三陸地震の時に遺した格言(岩手県知事)[今週の防災格言287]

time 2013/06/10

石黒英彦が昭和三陸地震の時に遺した格言(岩手県知事)[今週の防災格言287]


『 自らいましめて不時ふじの災変に処するの用意ありしも、時のうつるにしたがひて ようや く人心の緩怠かんたい馴致じゅんちせり。是れ実に今次こんじ殃災おうさいをして 其の損害を愈々いよいよ大ならしめたる因由いんゆうなりとす。 』

石黒英彦(1884〜1945 / 昭和三陸地震時の岩手県知事 朝鮮・台湾総督府官僚)

格言は「岩手県昭和震災誌(昭和9年3月)」の序より。
昭和8(1933)年3月3日に発生した三陸地震津波(M8.1 死者3,064人)に際しての発言。

明治29(1896)年の三陸地震津波(M8.5 死者21,953人)など、幾度となく岩手県沿岸を襲った震災を体験した者もその後は備えを行っていたものの、時の経過とともに気が緩んでしまったこと、の意。

石黒英彦(いしぐろ ひでひこ)は、大正昭和期の官僚・県知事を歴任、岩手県知事時代に東北大凶作(1931年)、昭和三陸地震大津波(1933年)という二度の大災禍を身を以て体験し、その復興に尽力した人物。
広島県出身。広島県立広島中学校、旧制第三高等学校(京都)を卒業し、東京帝国大学法科大学法律学科に入学、法学者・筧克彦(かけい かつひこ / 1872〜1961)に師事。大学卒業後に文官高等(高級官僚)試験に合格し官界(文部・内務属)入り。地方局勤務を経て、秋田県理事官、群馬県視学官など歴任。1919(大正8)年より朝鮮総督府に移り江原道第三部長、平安北道警察部長、内務局地方課長。1923(大正12)年に官命により欧米に出張し、帰国後の1927(昭和2)年より台湾総督府に移り文教局長、内務局長を務めた。1931(昭和6)年に第19代岩手県知事に着任すると東北一帯に大凶作が発生、また、1933(昭和8)年3月3日には三陸海岸を大津波が襲い死者・行方不明者3,064名の大惨事となった。1937(昭和12)年、第23代北海道庁長官、文部次官に就任。1939(昭和14)年退官すると大政翼賛会練成局長を務めた。

■「石黒英彦」氏に関連する防災格言内の記事
作家・山下文男(2010.03.01 防災格言)
昭和八年三月三日 大海嘯記念碑(大槌町 昭和9年建立)」(2011.11.07 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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