『 超高層ビルの林立、広大な地下街、高密度の高速通勤鉄道、超過密不良住宅地、可燃物の集積、列車と車の洪水、そこに大災害が忍び寄っている。 』
早川和男(1931~2018 / 建築学者(生活空間学) 神戸大学名誉教授)
格言は『「居住福祉」が防災につながる』(学芸総合誌「環【歴史・環境・文明】」vol.49 / 2012年春号)より。
曰く――。
《 住居から国土までさまざまの段階の生活空間に内在する諸矛盾は、「災害」に際して顕著に表れる。阪神・淡路大震災は戦後の自助努力・市場原理中心の住宅政策に起因する「住宅災害」であった。冬になると毎日のように報道される老朽住宅等での「焼死」、一寸した「豪雨」による浸水等々は大災害の前兆である。
東日本大震災は多くのことを語っている。
手元に一九四八年米軍撮影の一枚の航空写真がある。三陸海岸の大槌湾に注ぐ大槌・小槌川に挟まれた広大な干潟が見える。その干潟と周辺の水田は宅地化されチリ地震津波以降は高い護岸、防潮堤が築かれたが、住人を守れなかった。全国どこでも類似の現象が見られる。防風・防潮・砂防等々の役割を果たしていた松林の伐採と市街化、大地の保全・地下水涵養(かんよう)・魚つき林等々としての照葉樹林の植林目的の針葉樹への変更、市街地の小河川の宅地や道路化等は、土砂災害、都市水害、津波被害等々を大きくした。日本列島改造論に象徴される国土の経済的利用、一極集中は、農林漁業の衰退、過疎過密の進行、災害列島化を必然化した。 》
早川和男(はやかわ かずお)は、居住を基本的人権と位置付ける「居住福祉学」を提唱した建築学者。
憲法25条の健康で文化的な生活は「人間にふさわしい生活空間なしに成立しない」として、住居と人権についての研究を行い、著書『空間価値論(1973年)』『国土と人権(1974年)』『住宅貧乏物語(1979年)』『居住福祉(1997年)』『災害に負けない「居住福祉」(2011年)』などを発表。昭和30年代から、過密居住、遠距離通勤、高家賃、高ローン負担などの日本の住宅政策の「貧しさ」を批判し、国や行政の土地利用や国土・都市計画の問題点や課題をあげるなど、早くから日本の住宅・土地問題について取り組まれてきた。
1931(昭和6)年5月1日、奈良県奈良市に生まれる。父親は奈良の宮司で母親の実家は寺院だった。
奈良県立奈良中学校(旧制、現県立奈良高校)に入学。ノーベル賞の湯川秀樹に憧れ、高校二年生のときクラブ活動(理論物理研究会)幹事となる。しかし高校三年のとき、クラブの顧問だった民科(民主主義科学者協会)教諭ら数名がレッドパージ対象となり辞職することになり教育委員会を提訴。教諭らを支援した奈良高生ら生徒会も校長(教育委員会)と対立する騒動となった。結局、受験勉強ができず一浪して京都大学工学部建築学科に入学。在学中は学生運動活動家が多かった京都の百万遍にある学生会館に入り、ノンセクトの学生として過ごす。庶民住宅研究で知られる建築学者・西山夘三(にしやま うぞう / 1911~1994 京大教授)の著書「国民住居論攷(1944年)」「これからのすまい(1947年)」に感動し、西山夘三の自宅を訪ね、これに師事。
京都大学を卒業後に日本住宅公団技師、建設省建築研究所建築経済研究室長を経て、1978(昭和53)年より新設された神戸大工学部環境計画学科の教授となる。
1982(昭和57)年には日本住宅会議事務局長に就任。「居住福祉」の概念を提起した1993(平成5)年の著書『居住福祉の論理(東京大学出版会)』で今和次郎賞受賞。1995(平成7)年1月の阪神淡路大震災での罹災体験を通じ、人が安心して暮らすために必要な居住環境のありようを追究する「居住福祉学」を提唱した。
震災後の1995(平成7)年、神戸大学を定年退官し名誉教授。同年から長崎総合科学大学教授、日本福祉大学客員教授。2000(平成12)年に日本居住福祉学会を創設し初代会長に就任したほか国際居住福祉研究所長を歴任。
阪神淡路大震災(1995年)当時、老朽化した住宅で多くの高齢者が犠牲となり、住宅復興への支援も乏しかったことから、これを行政による災害と指摘。震災から17年経て(2012年当時)1000人以上の方々が亡くなり、今なお続く復興の中での孤独死や自殺、僻地の復興公営住宅から働きに出られず一家離散するなどの現実を憂い、東日本大震災(2011年)の復興では《この轍をふんではならない》と述べている。
阪神淡路大震災の被災者に提供された「借り上げ復興住宅」の入居者に対し、神戸市と西宮市が「20年期限」を理由に退去を求めた裁判(借り上げ復興住宅訴訟・神戸市は2019年3月の最高裁判決で原告勝訴、西宮市は2019年4月の神戸地裁で原告勝訴)では、闘病しながら住民側が裁判所に出す意見書をまとめ継続入居を訴えた、という。
2018(平成30)年7月25日、大阪市内の病院で死去。87歳。主な受賞歴、日本都市計画学会論文賞、今和次郎賞、毎日21世紀賞他。
阪神淡路大震災のとき神戸市灘区の自宅で大きな揺れを体験、その時の様子を以下のように語っている。
(1995(平成7)年1月21日 朝日新聞夕刊より)
《 ドスンと音をたてて背中が突き上げられる。これは大きい。急いで階下に下りる。食器棚が倒れ、茶わんや皿は粉々、棚から本や書類が飛び出し、散乱し、足の踏み場もない。余震が続く。六甲山中腹の自宅からは市内が一望できた。もくもくと立ち上ぼる黒煙、立ち上がる火柱。どんどん燃え広がっている。消防車は何をしているのか。湾岸戦争時のイラク爆撃の光景と同じでないか。
翌18日、片付けの合間に町に出た。JR六甲道駅はぺしゃんこ、いつも通る商店街は焼け野原。あちこちから煙が上がっている。鉄筋コンクリートの建物も中は丸焼け。海に近づくに従って倒壊家屋が増えていく。ぐしゃりとつぶれた家、かわら、柱や壁、家具のたぐいが入り交じった文字通り瓦礫の山。この下敷きになったのでは助けるのは容易ではあるまい。一階部分が押しつぶされたり、傾いた木造アパート。狭い道は倒壊家屋でふさがれ、通れない。母親と娘が抱き合って泣いている。
近代都市を襲った直下型地震、予想を超えた地震エネルギーなどとテレビで語られている。そうに違いない。高速道路、新幹線、巨大ビルの破壊などはそれを物語っている。確かに大地震である。だが、それを「大災害」にしたのは、このように脆弱な都市にしてきた行政にあるのではないか。「今のような巨大開発を続ければ、いつかそのつけが回ってくる。そのとき犠牲になるのは市民である」。神戸に住んで17年、その開発指向の異様さを警告し、地元新聞にも書いてきた。不幸にもそれが現実になった。 》
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