『 金の流れというライフラインを守る 』
吉田正輝(1932~2011 / 大蔵官僚・銀行局長 兵庫銀行頭取)
吉田正輝(よしだ まさてる)は元大蔵省銀行局長で、系列ノンバンクの過大な投融資で経営不振に陥った兵庫銀行の立て直し役として1993(平成5)年6月に社長(後に頭取に改称)に迎えられた人物。
格言は阪神淡路大震災直後に総合災害対策本部を事務センター内に設置させた時のもの。
現代の大都市を襲った初の震災、阪神淡路大震災(1995年1月17日)では、神戸市中央区三宮町に本店を置く第二地銀最大手の兵庫銀行(兵銀)は、経営再建の最中、震災によりオンラインシステムが三日間も止まるという日本金融界で初めての事態に直面する。
震度7の激震となった兵銀本店は、建物の倒壊は免れはしたものの、旧館(1952年築)と新館(1971年築)との連結部が大きく損壊した。
ピーピーという警報音が鳴り響くオフィスの机や棚の書類は全て飛散し、重量500キロを超えるコンピューター機器類も設置場所から大きく移動し傾くなど混乱を極めた。
当時、神戸市東灘区住吉本町のマンション三階に住んでいた吉田は、ベッドで就寝中に大きな揺れに遭遇。
《 ズドーンという衝撃でたたき起こされ、室内には陶器類が砕け散った 》という。
午前7時すぎ、徒歩で阪急御影駅近くの兵銀住吉支店に向かうが、店舗の中に入れる状態ではなかった。JR住吉駅の公衆電話から本店と東京の妻に連絡を入れ、銀行から車が迎えに向かったことを知らされここで待機。午前9時半に本店へ到着した。
損壊した本店を前にして、”再建途上の兵銀に大変な試練が来たかもしれない”という興奮と緊張状態のなかで《 オンラインの早期復旧にコストを惜しむな 》とリストラ下の同行にあっては異例の檄(げき)を飛ばした、という。
後に判明した兵銀の被害は、元新神戸支店長が死亡、行員の家族ら16人が犠牲となり、行員158人の住居が全半壊・焼失。
震災当日の1月17日は、神戸市内の全48店など91店が営業することができなかった。
幸い耐震化されていた事務センターの建物の損傷は軽微だったため、直ちに本部を事務センターへと移し業務再開を目指すことになる。
兵銀ではコンピューターの作動に必要なエアコン(水冷式)を動かすための水50トンや、自家発電燃料として軽油5万リットルなどの調達に奔走。大阪のユニシス関西支社からコンピューター専門の技術スタッフらを招集し、発災当日の深夜からほとんど不眠不休で作業が行われた。
こうした努力の結果、接続が切断していた全銀システム(全国銀行データ通信システム)への復帰も19日朝には可能となり、17日から19日までの決済データなども入力し、発災4日後の20日朝、オンラインの復帰とATM端末などの稼働再開を果たすこととなる。2月中旬には、別店舗に移転・仮営業していた本店営業部など5店舗を除いた全店が通常営業を再開した。
震災から立ち直ったかに見えた兵銀ではあったが、営業再開からわずか半年後の1995(平成7)年8月30日、1.5兆円の不良債権をかかえ経営破綻することになる。銀行としては戦後初の経営破綻で、吉田が浜銀最後の頭取となった。
1932(昭和7)年3月26日、東京府出身。都立日比谷高等学校、東京大学法学部を経て、1954(昭和29)年大蔵省に入省。大臣官房秘書課に勤務し、1972(昭和47)年大蔵大臣秘書官、1980(昭和55)年銀行局担当審議官、1981(昭和56)年大臣官房総務審議官を経て、1984(昭和59)年銀行局長に就任。
旧法を全改正させた新銀行法(1981年)の成立に寄与し、1985(昭和60)年に乱脈経営により破綻した平和相互銀行(後に住友銀行へ吸収合併)の処理を担当。1986(昭和61)年日本銀行理事となり、1990(平成2)年財団法人金融情報システムセンター理事長。
1993(平成5)年、寺村信行銀行局長らの要請で経営危機にあった兵庫銀行の社長に就任し、経営再建と救済措置に乗り出す。兵庫県や神戸市などの自治体や財界との調整を進める中、阪神淡路大震災で店舗網に大きな被害を受けた同行は、結果的に再建することが叶わず金融不安を払拭するため経営破綻と新銀行(みどり銀行、現みなと銀行)への事業継承の道を選択することとなった。
2011(平成23)年2月7日、心不全のため死去。78歳。
写真提供:神戸市(1995年1月17日 御屋敷通4丁目)
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