『 北方の寒気と南方の暖気との境目をなす不連続線が梅雨現象の主な原因である。 』
中田良雄(1905~1985 / 気象学者 「梅雨谷線(現在の梅雨前線)」を最初に導入した気象学者)
梅雨(つゆ)は、春から夏へ季節が変わるとき、日本、中国、韓国などの東アジア地域だけに見られる長雨の季節である。
暦の上では、太陽が黄経80度を通る日を「入梅」とし、気象的には、梅雨前線が日本の南岸に停滞し始めて雲雨天が続くようになる時を指す。
日本の本州における梅雨入りは、例年、だいたい5月末から6月10日頃で、梅雨明けは、7月中旬から7月後半頃となる。
梅雨の時期は、日本付近に東西に延びる前線が停滞しているのが特徴で、この前線上に低気圧が頻繁に発生するので雨と曇りの日が短い期間で繰り返されていく。この停滞した前線を“梅雨前線”と呼ぶ。
梅雨前線の北側は、オホーツク海高気圧からの冷たい北東の風が吹いており、南側は、太平洋高気圧からの暖かい湿った南寄りの風が吹いている。この二つの気流が前線付近に集まって上昇気流となり、雲が生じさせ雨となるのだという。
この梅雨前線という言葉のルーツ「梅雨谷線」を世界で最初に提唱したのは中田良雄(なかた よしお)という気象学者であった。
だが、彼の名前は一般にはほとんど知られていない。
1929年(昭和4年)に提唱された中田の梅雨論は、アカデミック・ハラスメントともいえるような当時の不明瞭な批判にさらされてしまい、結果として注目される機会を逸したからである。
梅雨論の歴史は、まだ気団や前線の概念が不十分な時代だった1910年(明治43年)に始まる。後の第4代中央気象台長(後の気象庁長官)を務めた岡田武松(1874~1956)の学位論文「梅雨論(通称・岡田の梅雨論)」(英語論文)が最初であった。
岡田武松は、のちに梅雨の原理を解明するなど気象学の発展に大きく貢献した気象学者として知られるようになり、気象事業功労者として文化勲章(1949年)を受章し「気象学の父」と呼ばれた気象界の大権威である。
その後、1919年(大正8年)にノルウェーのビヤルクネス(1879~1975 / Jacob Bjerknes)が、移動性低気圧の構造について、寒気団と暖気団の境界に不連続線(steering line)があり、その線上に低気圧が発生するとの考えを発表し、不連続線という“前線”というものの存在が気象界で注目され盛んに議論されるようになっていった。
1921年(大正10年)にノルウェーに留学した藤原咲平(1884~1950 / 第5代中央気象台長)は、このビヤルクネスから直接前線理論を学び、のちに中央気象台(現在の気象庁)に入った中田良雄は、直属の上司の藤原咲平から多くの薫陶を受け、藤原を生涯の師と仰いだ。
1928年(昭和3年)5月、中田は、父島観測所へと赴任するため、横浜から父島へと向かう定期船に乗船していたところ、八丈島で肌寒い北東の風が吹くひどいシケにあうが、その直後に父島に近づくと今度は蒸し暑い真夏の青空という急激な天気の変化を体験する。船が不連続線(前線)を横切ったことを示すものだった。
この体験をもとに中田は、1929年(昭和4年)に論文『梅雨の研究』を書いた。“梅雨の現象は不連続線が長期にわたって停滞するために起こる”という気象学の新知見が盛りこまれた画期的な論文であり、この中で、ビヤルクネスの不連続線のことを『梅雨谷線』と命名した。
論文『梅雨の研究』では―――
北方の寒気と南方の暖気との境目をなす不連続線が梅雨現象の主な原因である。この線は、五月ころすでに小笠原周辺の南方洋上に発生し、ほぼ東西に走る長大なもので、線上に低気圧が頻発し、東に進む。このため前線の付近では連日悪天候となる。季節の進行とともに、暖気の勢力が強くなり、不連続線は次第に北上し、六月初めころ、本邦南岸に達し、本州では、梅雨入りとなる。七月、八月にはこの線がさらに北上して、本州の梅雨は明ける。この不連続線を「梅雨谷線」と名付ける。
と記されている。
論文は、1930年(昭和5年)1月の気象学会例会で、中田の上司の藤原咲平が、父島に赴任していた中田の代理として発表し、新しい学説は大きな反響を得ることになった。
しかし、当時の気象台長・岡田武松は中田の研究を高く評価しなかった。
不思議なことに、その後、この論文は、気象学会誌「気象集誌」に掲載されることなく、一年ものあいだ掲載が保留されることになった。
1931年(昭和6年)になってやっと掲載された雑誌は、中央気象台刊行の機関誌「気象雑纂」という学会の権威とは遠いものとなる。
意図的とも思える論文の不可解な扱いは、中央気象台内で話題となった。
中田の前線説は、岡田の学位論文「梅雨論」(1910年)にケチをつける内容だったことから、機嫌を損ねた岡田台長が学術誌への掲載を見送ったのだ、などという噂が飛び交った。
この件について、当事者の中田は沈黙を貫き、岡田も見解を述べることはなかったので、真相は今も定かではない。
岡田武松や藤原咲平も亡くなって久しい、騒動から40年が経過した晩年に中田は「長期予報の回顧」(1977年11月 雑誌「天気」vol.24,No.11)で以下のように述懐している。
(父島観測所へと赴任する)その途中たまたま梅雨の低気圧を乗り切り、海上の時化(シケ)の物凄さを初めて体験した。同時に低気圧の北側から南側へと、風と気温の急変に遭い、当時新しい気象用語となっていた不連続線(現在の前線)という現象を直感した。着任後慣習上の措置をすませ、平常勤務にも慣れてきた頃、海上で遭遇した現象を思い出し、梅雨の低気圧と言われているが、むしろ不連続線と見た方がよいのではないだろうか、という疑問が湧いてきた。さっそく在庫の文献を調べて岡田先生の梅雨論(中央気象台欧文報告)を見付け出し、繰り返し熟読玩味(がんみ)した。学術論文というものを本格的に読んだのはこれが初めてであったので、その味わいの深さを堪能した。その結果、梅雨という天気現象に関する記述は十分納得できたが、その原因とされている低気圧の発生、消長などについての説明には物足りないものを感じた。
…(中略)…
この論文は種々な反響を呼び、半旬平均値などというものは、単に誤差を消去するための統計的意味だけのものであるという片寄った批判もあったが、私としては短周期変動を除く操作で、この論文の主眼とするところであるという自信を持っていた。しかし、すでに周知の通り、思わぬわずらわしい雰囲気を醸し出すことになったために、あえて沈黙したのであった。現象の正体をつきとめたら、それ以上の興味が失せたからでもあった。
※消長(しょうちょう)とは、勢いが衰えたり盛んになったりすることの意味。
“思わぬわずらわしい雰囲気を醸し出すことになったために、あえて沈黙した”というところも、なかなか面白いドラマである。
中田良雄(なかた よしお)は、梅雨谷線(現在の梅雨前線)という言葉を最初に導入した気象学者・理学博士で、太平洋戦争中は海軍第五気象隊(海軍第五艦隊所属)に従軍し「キス力撤収作戦(全滅目前のキスカ島守備隊兵員5000人の救出作戦)」における霧の発生についての気象予報を行い、作戦を成功に導いた功労者の一人でもある。
1941年(昭和16年)の論文「気温の2年周期について」で『来年の天候は昨年の天候に似る』という法則性を発表するなど、主に気象予報・気象観測で活躍した。
1905年(明治38年)9月、埼玉県幸手町関宿(現幸手市)生まれ。
1927年(昭和2年)測候技術官養成所本科(気象大学校の前身)を卒業後、中央気象台予報掛予報室に入り、上司だった藤原咲平(当時の予報掛主任、後の第5代中央気象台長)に師事。
1928年(昭和3年)父島観測所赴任、1931年(昭和6年)中央気象台大阪支台予報主任、1932年(昭和7年)石川県の輪島観測所を経て、1934年(昭和9年)より岩手県の盛岡地方測候所所長に赴任。
昭和三陸地震(1933年)以降の東北の凶作・冷害予測などに活躍し、また小山知一(当時の岩手県経済部長、後の高知県知事)、石黒英彦(当時の岩手県知事、後の文部次官)、岡田武松(当時の気象台長)らとともに気象事業のあり方について政府に陳情し、その後の宮古測候所、岩手山測候所、盛岡測候所(盛岡支台)の国営化や、東北ブロックをまとめる気象機関「仙台管区気象台」の設立に深く関った。
1943年(昭和18年)海軍第五気象隊(海軍第五艦隊所属)に従軍しアリューシャン方面の戦いの天気予報、台湾補給航路の天気予報担当として活躍。とくにキス力撤収作戦における霧の予報を的中させた。内地帰還後の1945年(昭和20年)からは中央気象台長期予報課長となり、戦後も長期予報課が廃止される1949年(昭和24年)まで務めた。その後、新潟地方気象台長(1957~1964年)、高層気象台長(1964~1966年)を歴任し、1966年(昭和41年)退官。1985年(昭和60年)千葉県で没。80歳。
気象庁 天気図(2022年6月18日)
参考資料:
中田良雄著「長期予報の回顧」(1977年11月 雑誌「天気」vol.24,No.11, p.635-644)
二宮洸三著「1900−1930年代の梅雨の調査研究史」(2015年04月 雑誌「天気」vol.62,No.4,p307-311)
日本地学史編纂委員会著「日本地学の展開(大正13年~昭和20年)その3 「日本地学史」稿抄」(2003 東京地学協会「地学雑誌」112)
宮澤清治著「近・現代 日本気象災害史」(1999 イカロス出版, p96-100)
NHK放送文化研究所編「NHK 気象・災害ハンドブック」(2005 NHK出版)
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