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『英雄偉人を出した学校と父母の教訓』に記された廣田弘毅の格言(第32代内閣総理大臣)[今週の防災格言283]

time 2013/05/13

『英雄偉人を出した学校と父母の教訓』に記された廣田弘毅の格言(第32代内閣総理大臣)[今週の防災格言283]


『 どんなことがあっても、人の厄介になるな、自分のことは自分でせよ。 』

廣田弘毅(1878〜1948 / 外交官 第32代内閣総理大臣 勲一等旭日大綬章)

格言は母の訓戒より。出典は岩崎高敏著『英雄偉人を出した学校と父母の教訓(二松堂書店 1935年)』。

広田弘毅(ひろた こうき)は福岡県那珂郡鍛冶町(現福岡市中央区天神)で石材店を営む家に生まれ、外交官を経て総理大臣となった人物。戦中は「石屋の倅から総理大臣へ」と揶揄される程の立身出世の人として知られた。第二次世界大戦期に外相・首相を務め、戦争に反対の立場でありながら強硬な軍部に対抗できずに、敗戦後の極東軍事裁判では、文官として唯一のA級戦犯として死刑を宣告。「高位の官職にあった期間に起こった事件に対しては喜んで全責任を負うつもりである」と述べ1948(昭和23)年12月23日に巣鴨プリズン内で絞首刑。享年70。

福岡県立修猷館(現県立修猷館高等学校)を経て上京し旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部政治学科に学ぶ。大学卒業後の1906(明治39)年に外交官試験を首席合格し外務省に入省。同期に吉田茂、武者小路公共、林久治郎らがいた。北京、ロンドン、ワシントンD.C.などへの赴任を経て、1923(大正12)年より欧州局長となり、オランダ公使、満州事変の際には駐ソビエト連邦特命全権大使を務めた。1933(昭和8)年に斎藤内閣の外務大臣に就任。1936(昭和11)年に二・二六事件が発生すると総辞職した岡田内閣に代わり第32代内閣総理大臣に任命されたが、軍部の抵抗により組閣が難航、1937(昭和12)年に閣内不統一を理由に内閣総辞職となった。その後の第一次近衛内閣では外務大臣となるが、間もなく中華民国で盧溝橋事件が発生。戦況が悪化の一途をたどる中、1944(昭和19)年の小磯内閣では和平仲介の特使に任命されるも既にソ連では対日参戦の方針が決定されていたという。 敗戦後は連合国軍によりA級戦争犯罪人容疑者として逮捕され収監。妻静子も東京裁判開廷前に自殺している。

■「廣田弘毅」氏に関連する防災格言内の記事
吉田茂(2007.07.01 防災格言)
W・チャーチル(2008.08.18 防災格言)
毛沢東(2012.09.24 防災格言)

 

<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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