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松前重義のソ連・中国・東欧視察記「ソ連・中共の現状を語る(1954年)」の名言(1901~1991 / 電気工学者・技術官僚・政治家 東海大学創立者)[今週の防災格言719]

time 2021/10/04

松前重義のソ連・中国・東欧視察記「ソ連・中共の現状を語る(1954年)」の名言(1901~1991 / 電気工学者・技術官僚・政治家 東海大学創立者)[今週の防災格言719]

『 歴史はいまや原子力時代に入った。いわば人類の最後の時代に入ったともいえる。 』

 

松前重義(1901~1991 / 電気工学者・技術官僚 政治家・衆議院議員(6期) 東海大学創立者)

 

ソ連の独裁者スターリンが死去し、朝鮮戦争の休戦協定が結ばれ、インドシナ戦争終結を経た1954年(昭和29年)を境に、米ソの核開発競争はより激しさを増し、その後の二大国の冷戦は本格化していく。
この年、世界初の原子力潜水艦ノーチラスが就航し、ビキニ環礁で水爆実験が強行され、水爆反対を訴えた原子爆弾の父・オッペンハイマー博士がレッド・パージで公職追放された。
サンフランシスコ講和条約の発効から二年、日本は主権回復後初の首相・吉田茂内閣(第5次内閣)の時代であった。

1954年(昭和29年)7月、松前重義は、貿易や経済状況など国際関係を調査するため、国会議員視察団の一人として、東南アジア(ビルマ、インド、パキスタン)をはじめ、西欧(フランス、西ドイツ、デンマーク、スウェーデン、フィンランド)、ソビエト連邦、中国を視察して回った。視察を終え帰国した松前は以下の感想を述べた。

 

曰く―――。

歴史はいまや原子力時代に入った。いわば人類の最後の時代に入ったともいえる。 アインシュタイン博士は、第三次大戦が起ればそれは人類の滅亡をもたらすといったが、ア博士ならずとも、原子力の恐威の前には、もう戦争はできなくなったと考えられる。
かつては、宗教が世界の秩序の維持を受け持ったが、中世の宗教改革と文芸復興(ルネッサンス)以後は法律がそれにかわったが、時代は、米のニューディールやソ連の連邦計画等の経済時代に移り、さらに今日の原子力時代となり、いわゆる政治の手練手管の範囲はきわめてせまくなった。この時代に処する政治家としての考えはどうあるべきか。私個人としてはこの点も究めたい。 …(中略)… いまや、世界をあげて平和時代に入ろうとしている。これは、アメリカの強硬政策だけでは世界が動かないことを現実が示しているのである。その意味からもわれわれは考えなくてはならないと思う。

格言は「ソ連・中共の現状を語る――松前重義氏の視察談を聴く(電気協会雑誌 1954年10月号)」より。

… … …

松前重義(まつまえ しげよし)は昭和初期に逓信省技官として電話回線の無装荷ケーブル方式を発明し通信技術の進歩に貢献、戦後は逓信院総裁(戦前の逓信大臣)などを務めた技術官僚政治家で、東海大学の創立者として知られる人物。

1901年(明治34年)10月24日、熊本県上益城郡嘉島町に生まれる。祖父や曽祖父は代々熊本藩士の家系であった。旧制熊本県立熊本中学校、熊本高等工業学校を経て、東北帝国大学工学部電気工学科に入学。1925年(大正14年)東北帝国大学を卒業し、逓信省に入省し、技官として日朝直通電話回線に取り組み、1932年(昭和7年)無装荷ケーブル方式を発明し、1937年(昭和12年)「無装荷ケーブルによる長距離通信方式の研究」論文で工学博士(東北帝国大学)。
近衛文麿らの新体制運動に傾倒し、近代デンマークを代表する思想家であるN.F.S.グルントヴィ(1783~1872)の教育システム「フォルケホイスコーレ(国民高等学校)」を知り、1934年(昭和9年)にデンマークを視察。1936年(昭和11年)に東京・武蔵野にフォルケホイスコーレを模した私塾「望星学塾(東海大学の前身)」を開設する。
1940年(昭和15年)に発足した大政翼賛会では総務局総務部長に就任するが間もなく辞任し、翌1941年(昭和16年)に逓信省工務局長に就任。1942年(昭和17年)静岡県清水市(現・静岡市清水区)に「財団法人・国防理工学園(東海大学の前身)」を開設し「航空科学専門学校」と「電波科学専門学校」を創立した。
太平洋戦争がはじまると、松前は技術者らを集め、日米の国力差に圧倒的な差があることを調査させ、この結果を軍令部や近衛文麿らに広める倒閣工作を行ったことから、時の総理大臣・東条英機に怨まれ懲罰召集されることになった。松前は当時42歳の高齢であり、また勅任官となる逓信省局長にもかかわらず二等兵として南方戦線に飛ばされた。幸いマニラで南方軍総司令官・寺内寿一陸軍大将(1879~1946)らに守られ無事に復員することができ、技術院参技官として終戦を迎えた。
戦後1945年(昭和20)逓信院総裁に就任するが、翌1946年(昭和21年)に辞任し公職追放。公職追放解除を受け、1952年(昭和27年)の総選挙で衆議院議員に初当選。以降、日本社会党に属し衆議院議員に6期当選。設立した電波科学専門学校などが戦後の学制改革に伴い東海大学となり、東海大学総長を務めた。ソビエト連邦との交流促進に尽力し、1966年(昭和41年)ソ連・東欧との交流組織「日本対外文化協会」を設立させ会長を務めたほか、1969年(昭和44年)全日本柔道連盟理事、1979年(昭和54年)国際柔道連盟会長を務めた。
1991年(平成3年)8月25日に89歳で死去。


松前重義




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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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