『 国家の大害にして
井上甚太郎(1845~1905 / 実業家 政治家・衆議院議員(政友会))
格言は著書「治水論」(明治33年)自序より。
曰く―――。
《
井上甚太郎(いのうえ じんたろう)は、明治期の瀬戸内の塩業家(塩田地主)で、塩業改良論者として活躍した人物。
甥で養子に千葉大学医学部初代内科教授となった井上善次郎(1862~1941)がいる。
弘化2(1845)年3月、讃岐高松藩(香川県高松市)に生まれる。
高松藩の御用掛として砂糖の専売に従事。明治8(1875)年から塩業界に入り、高松商法会議所副会頭、十州塩田組合東讃岐支部長、十州塩田同業組合本部会議員を歴任。初めは瀬戸内の十州塩田の生産調整を進めたが、明治10(1877)年頃になると、国内製塩業の発展と改善の必要性を覚え、江戸時代から続く塩価維持を目的とした組合の生産調節協定「休浜法(やすみはまほう)」に反対し生産拡大論を繰り広げた。明治20(1887)年の国(農商務省)による塩の生産規制ではこれに反対し十州塩田組合紛争を起こした。同年2月に著書『日本塩業改良の始末』を上梓するが無届出版による公務侮辱罪にあたるとして松山軽罪裁判所高松支庁で有罪判決となり後に十州塩田組合を脱退し、以降は独自の製塩業界活動を行った。
この間、板垣退助の自由民権説に共鳴して塩谷町(香川県高松市)に政治結社「高松立志社」を設立させ、以後は讃岐の自由民権運動のリーダーとなって運動を推進。明治19(1886)年には逮捕投獄された。
明治20年代は、板垣退助の自由党で政務調査局に所属し、日本国内や台湾など各地で殖産興業調査を行った。明治28(1895)年、政府の農商務省商工会議員として塩業調査で清国(中国)に派遣され、明治31(1898)年に塩業調査会委員となった。明治35(1902)年には衆議院議員(立憲政友会)に初当選、以降当選3回。政治家として明治37(1904)年に塩専売法案が上程されると同法案委員会委員となって審議で活躍、明治38(1905)年6月の塩専売法の公布に尽力するが、直後に病気となり明治38(1905)年8月22日に61歳で亡くなった。
塩田
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