『 雷災は毎年四月に始まり、月々増加し七月に至り最大に達し、九月に至って俄かに減少し、十月に至って皆無となり、十一月に至って又再発するものゝ如し 』
神田選吉(1856~1909 / 電気工学者・雷災史家 東京郵便電信学校校長)
先週末(2022年6月2日~3日にかけて)関東地方北部でひょう(雹)による被害が相次いだ。家のガラスが割れたり、太陽光パネルが損傷したり、雨どいやカーポートや車に傷がついたりした。
ひょうやあられによる被害は、一般的に火災保険や車両保険の補償の対象となる。
さて、 ひょうは一年を通じて初夏となる五月・六月頃がもっとも降りやすく、特に農作物に大きな被害を与える。
この夏の季節の強い日差しが地表を熱したところに、上空に大陸からの寒気が流れてくると、大気の状態が不安定となって積乱雲を発達させ、激しい雷雨を伴ってひょうが降ることが多いのである。
俳句においては、空から降る氷の粒を意味する「氷雨(ひさめ)」は夏の季語となる。
1992年(平成4年)5月20日から27日にかけて、上空の寒気が日本海に南下し、その寒気が日本列島を通り過ぎるまでのあいだ、連日のように日本各地をひょうが襲った。
埼玉、群馬、茨木、長野、奈良、和歌山で小豆大からピンポン玉大のひょうが降り、ナシやウメ、カキ、ブドウ、イチジク、小麦、ネギ、カボチャなどの収穫前の農作物に六十億円を超える被害が生じた。このとき「多目的防災ネット(防ひょうネット)」を使用していた農家では被害を免れており、こうした対策の有無が大きく明暗を分けることが広く知られるようになった。近年では、ひょうの恐れがある時には、ナシやリンゴ、ブドウなどの果樹園では「多目的防災ネット」という網をかけて、ひょうや強風・霜などの災害を防ぐようになってきている。
夏に雷が発生すると三日、四日ほど続く、という意味の「雷三日(かみなりみっか)」ということわざが古来ある。
これは、上空の寒気の動きが遅いため、その寒気が日本列島を通り過ぎるまでの数日間は、連日のように大気が不安定となり、雷、ひょう、突風が発生しやすい状態が続くことを意味した古人の知恵なのである。
明治時代に、現代でもあまり注目されることがない、この「ひょう(雹)」について真面目に調べた学者がいた。
電気工学者の神田選吉(かんだ せんきち)である。
1908年(明治41年)6月8日、東京麻布に7.5センチ(二寸五分)~10センチ(三寸五分)のひょうが降った際、神田選吉は、それらを採集し、梅花、菊花、桜花のような花々の形から、鶏卵、弾丸、曲玉、梨、蜜柑、牡蠣などのようなものまで300以上もの様々な形があることを突き止め《 天然の妙功もここにいたって極まれり 》と感嘆したという。
(引用・出典:宮沢清治著「日本気象災害史」(1999年 イカロス出版)、初出:気象集誌27巻8号(1908年8月26日))
ひょうにはとがったもの、丸いもの、透明なもの、白っぽいもの、色々な形や種類がみられ、大きさも様々で、時には直径50ミリ以上もの大きな塊となり、30センチも地上に降り積もることもあるという。
ちなみに、日本一の巨大なひょうの記録は、1917年(大正6年)6月29日に埼玉県熊谷市(北埼玉郡中条村大字今井、小曽根、大里郡長井村)で降ったカボチャ大のひょうで、直径29.6センチ(七寸八分)、重さ3.4キロ(九百匁)のものだという。
落下速度は塊が大きいほど速くなるが、野球ボールサイズ(70ミリ)の氷塊となると、プロ野球のピッチャーの剛速球と同じくらいの時速140キロメートルの落下速度ではるか上空から落ちて来る。もちろん直撃すれば、家や自動車のガラスは割れ、家畜や人が亡くなることもある。1933年(昭和8年)6月14日、兵庫県中部に直径4~5センチのひょうが降り、死者10人、重軽傷者164人を数える被害が日本最大のひょう害とされている。
凧をつかった画期的な電気実験を行って雷よけの防災グッズである「避雷針を発明(1749年)」したアメリカ合衆国の気象学者ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)。彼の生誕200年となる1906年(明治39年)に神田選吉は『雷の話』という本を書いた。
神田選吉は、1887年(明治20年)~1894年(明治27年)の八年間の月ごとの日本の雷災害の発生数を調べあげ、以下のように記している。
本邦においては雷災は毎年四月に始まり月々増加し七月に至り最大に達し九月に至って俄かに減少し十月に至って皆無となり十一月に至って又再発するものゝ如し
雷は夏の災害で、初夏は雷を伴うひょう(雹)の季節だと覚えておくと良いだろう。
神田選吉(かんだ せんきち)は、1856年(安政2年12月)尾張国名古屋の尾張藩士・神田梅精の息子として生まれた。
1870年(明治3年)尾張藩立の洋学校に学び、1877年(明治10年)工部大学校電信科(東京大学工学部の前身)に入学。1883年(明治16年)に卒業すると、工部省に入り工部省通信技師として松山、熊本、大阪などの赴任を経て、1895年(明治28年)東京郵便電信学校(日本郵政の郵政大学・中央郵政研修センターなどの前身)教授に任命され、1905年(明治38年)東京郵便電信学校校長となった。電信学校が廃止されると逓信局工務課に転じ、逓信官吏練習所教官を務め1909年(明治42年)9月4日に54歳で没した。墓所は青山霊園立山墓地にある。贈従五位勲五等。
息子の神田茂(1894~1974 / 横浜国大教授)、神田清はともに天文学者となった。
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