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宮本常一「春一番」の由来と歴史と名言(1907~1981 / 「春一番」を最初に報告した民俗学者 離島研究の創始者)[今週の防災格言777]

time 2023/02/20

宮本常一「春一番」の由来と歴史と名言(1907~1981 / 「春一番」を最初に報告した民俗学者 離島研究の創始者)[今週の防災格言777]

『 三月中旬に入ると、突然として、暗雲が南から北へ狂奔し、西南風が吹きすぎる。之を春一番という。漁夫はこの風を恐れる。 』

 

宮本常一(1907~1981 / 民俗学者 離島研究の創始者 文学博士 代表作「忘れられた日本人」など)

 

春は北風と南風が入れかわる季節にあたり、2月から3月にかけて冬の北風がしだいに減少して行き、代わって春の南風が増え始めます。

このときに吹く「春一番(はるいちばん)」は、立春のあと、冬から春へと季節が移るときに初めて吹く南よりの暖かくて強い風のことを言います。

気象庁の定義では、2月4日ごろの立春から3月21日ごろの春分までの間に、広い範囲で初めて吹く暖かく(やや)強い南風(秒速8メートル以上)のこととされています。また、「春一番」は出現しない年もあるため、気象庁では平年日が算出されていません。

元気象庁天気相談所長の宮澤清治氏によると、関東から九州南部までの地域の平年日(1961~1990)は、おおよそ2月21日~26日ころになるのだそうです。 (参考書籍:「近・現代 日本気象災害史」(1999年 イカロス出版))

 

さて、

春の訪れを告げる風物詩ともいえる「春一番」ですが、春の強風は災害を伴うことが多く、時にはフェーン現象によって乾燥した暖かく強い南風が吹くことで大火事や雪どけ洪水、雪崩を引き起こします。また、日本海で急速に発達する低気圧の影響から、竜巻など突風を伴った強い雷雨となることもあります。

 

この「春一番」の語源となったと言われる災害がありました。

それは、今から約160年ほど昔にあった春の強風による漁師の大量海難事故死の話として今も語り継がれています。

… … …

九州と対馬の間にある長崎県の離島、壱岐島(いきのしま)の郷ノ浦元居(もとい)集落は、当時の人口60戸余りの小さな漁港でした。

安政6年2月13日(新暦1859年3月17日)、元居の漁師53名は五島沖にある喜三郎曽根(きさぶろうそね)へと鯛(タイ)の延縄(はえなわ)漁に出漁しました。

出港時、天気は晴朗でしたが、五島沖で突如、強い突風に襲われたため全船が遭難し、53人全員が水死しました。

以来、郷ノ浦の漁師らは、春の初めの突風を「春一番」と呼ぶようになりました。
そして命日となったこの日は全員漁を休み、遭難者たちの供養を行なうようになりました。

… … …

 

昭和11年(1936年)、民俗学者の宮本常一(みやもと つねいち)は、 処女作『周防大島を中心としたる海の生活誌』を発表します。

このなかに、

三月中旬に入ると、突然として、暗雲が南から北へ狂奔し、西南風が吹きすぎる。之を春一番という。漁夫はこの風を恐れる。春一番が吹けば、すべてのものが春の色によみがえって来る。それから半月たつかたたぬ頃に、もう一度豪雨を伴った風が来る。之を春二番という。之で桜花がひらく。それから三月梅雨と言って雨が続く。

…と記しました。

気象研究家の根本順吉(1919~2009 / 元気象庁予報官)によると、これが文献に登場した最初の「春一番」の記述だそうです。

その後、宮本常一(1907~1981)は自ら各地を訪ね歩き、「春一番」という言葉は、能登、志摩以西の漁師らが肌で感じとって一様に言い始めた言葉であったことを確かめます。

ただ、この頃はまだ「春一番」という言葉を知る人はほとんどいませ んでした。

昭和34年(1959年)、宮本常一は平凡社の人気書籍「俳句歳時記(春の部)」に「春一番」という語句の解説(及び参考)を記すことになります。

壱岐で春に入り最初に吹く南風をいう。この風が吹き通らぬ間は漁夫たちは海上を恐れるという。――

 

「春一番」が俳句歳時記に掲載されたことで、当時、気象庁で天気相談所の相談を担当していた倉嶋厚(1924~2017)、平塚和夫(1928~)らは、様々な報道関係者らにこの言葉を普及させていきました。

昭和37年(1962年)2月、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の記者らがこぞって新聞紙面の天気解説でこの言葉を使い始めました。これを契機にその後「春一番」という言葉が広く一般に普及し始めます。

昭和41年(1966年)芝木好子の小説「女家族」を原作に割烹旅館を舞台にした市村泰一監督の松竹映画「春一番」が上映され、昭和43年(1968年)1月~2月には、京マチ子主演、北村篤子脚本で割烹料亭を舞台にしたフジテレビの連続テレビドラマ「土曜劇場・春一番」が放送されこれが人気番組となります。
京マチ子と北村篤子のタッグはフジテレビでシリーズ化され、その後4年連続で昭和46年(1971年)まで毎年春に「春一番(のれん)シリーズ」としてテレビ放送されました。

昭和40年代後半には、街中に「春一番」をキャッチコピーにした新春セールなどの広告があふれるようになり、昭和51年(1976年)にはキャンディーズの「春一番」という歌謡曲が49万枚の大ヒットとなります。

「春一番」は“春の到来を告げる”といった意味合いで、知らない人はいないほどの有名なフレーズとして定着することになりました。

 

…ですが、実はこの時代にはまだ気象庁で「春一番」という気象用語の定義は定められていませんでした。

昭和41年(1966年)4月号の気象庁機関紙「気象」(1966-4 No.108,日本気象協会)に気象庁の平塚和夫が「春一番」というコラム記事を寄せており、この当時の“春一番の定義にまつわる混乱”の一端をみることができます。

この年(1966年)の「春一番」は、立春の日の前となる2月3日節分 の日に吹いたそうで、市井である議論が湧き起ったのだそうです。

記事によると、

ことしは「春一番」をめぐって新らしい議論がおこった。“春”というからには「立春」のあとの風をさすべきではないか、というのである。民俗学的にこの言葉のもとをただすことが必要で、それをおこたっていうのはおこがましいのではあるが、もしもコヨミだけにこだわるならば、「入梅」の前に“ツユ入り”をいうのはいけないことになるだろうし、「立冬」の前に“冬の季節風第一陣”(ことによったら“木枯らし第一号”も)というのもよくないことになりはしないだろうか。

とあります。

明確な定義がないまま「春一番」がメディアで報道されると余計な混乱を招く恐れがあることを危惧した気象庁では、昭和62年(1987年)3月に気象用語として南風の「春一番」を改めて定義することになりました。

いろいろと議論が湧き起ってから再定義されるまでにずいぶんと時間がかかっていますが、もともとの言葉の発祥が気象用語というよりも一地方で伝承されてきた民俗学的な言葉であったことにも理由があるのでしょうね。

この昭和62年(1987年)以降は、気象庁の予報用語にも「春一番」が掲載されるようになりました。
今では「春一番は吹きました」というお知らせが、北日本と沖縄を除く全国で発表されることになりました。

 

さて、気象庁で定義を決めていたときとちょうど同じころです。

「春一番」のルーツとなった壱岐の郷ノ浦町では、海と共生する島の民として自然の怖さを忘れないようにとの願いから、長崎県の「新活力あるまちづくり推進事業」の補助金の適用を受けて、「春一番」で亡くなった53人の遭難者慰霊碑のある郷ノ浦港入口の元居公園に船の形をした高さ13メートルの「春一番の塔」を建立しました。
塔の左側には「春一番の碑」と刻まれた石碑があり、「春一番の海難記」という銅板の碑文がはめ込まれています。
昭和62年(1987年)3月12日の除幕式の模様は、テレビやラジオを通じて全国に放送されたそうです。

銅板の碑文には以下の言葉が刻まれています。

春一番の海難記

漁民達は早春に吹く「春一番」「春一」「カラシ花落し」と呼ばれる南の暴風を恐れた。
この風が吹き通らぬうちは、落ち着いて沖に出られなかったからである。
元居浦は延縄漁を主とし、漁船は四、五人乗組みの小型であった。五島沖の喜三郎曽根は鯛の好漁場といわれ、月に一度か二度、天候を見定めて出漁していた。
安政六年(一八五九)旧二月十三日は快晴で、格好の出漁日和であった。殆どの漁船が喜三郎曽根に出漁、各船は順風に恵まれ予定の時間に到着した。直ちに延縄をはえ始めたが、一船が南の水平線に黒雲の湧き昇るのを発見、「春一だ」と叫んだ。それを聞くや、ことごとくの船が、今仕掛けたばかりの延縄を切り捨て、帰帆の用意にかかったが、強烈な南風は海上を吹き荒れ、小山のような怒涛が漁船に覆いかぶさってきた。
漁民達はなすすべもなく、船もろとも海中に消えて行ったのである。遭難者の数は五十三名であった。
元居浦では、その後「五十三霊淂脱(得脱)の塔」を建立し、毎年、旧二月十三日は、どんなに天候が良くても沖止めとし、漁民等一同が集り、海難者の冥福を祈念することを行事とし、今日に及んでいる。

昭和六十二年三月十二日(旧二月十三日)
郷ノ浦町文化調査委員 日本民俗学会員 目良亀久



写真:壱岐観光ナビ「春一番の塔」(一般社団法人壱岐市観光連盟)

… … …

 

宮本常一(みやもと・つねいち)は、瀬戸内海の貧しい離島に生まれ、離島を愛し、生涯にわたって日本全国各地をくまなく旅しては、埋もれた日本民族を発掘して回ってそれを文章に遺した民族学者。
「春一番」を最初に報告した民俗学者としても知られ、離島研究を創始し、他にも民具学、旅学(たびがく)、島嶼学(とうしょがく)を提唱した。

1907年(明治40年)山口県の周防大島生まれ。
大阪府天王寺師範学校を卒業後、大阪で小学校の教員を務めるかたわら民俗学に関心を深め、柳田國男の民俗学に影響を受けた。1939年(昭和14年)に財界人の渋沢敬三(渋沢子爵家当主で多くの民族学者を支援した人物)に見込まれてその食客となり、渋沢が主宰するアチック・ミューゼアム(現・神奈川大学日本常民文化研究所)の研究員となった。
以後、生涯にわたって全国を旅して歩き、膨大なフィールドワークを通じ日本各地の民俗文化を研究し「宮本民俗学」という独特な民俗学を確立した。
特に、離島や山村に暮らす人々、定住しない漂泊民や被差別民などの研究を行い、離島・島嶼(とうしょ)部の振興に尽力、昭和28年(1953年)の「離島振興法」制定に大きく関与した。
1981年(昭和56年)1月30日、胃癌により死去。73歳。
勲三等瑞宝章受章(1981年)、山口県東和町名誉町民(1986年)


写真:財団法人日本離島センター広報誌「しま 第27巻 第1号(No.106)」(昭和56年7月)









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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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