『
加々美武夫(1890~1936 / 警察官僚・内務省内務書記官 大阪市長(第8代))
格言は「大阪市風水害誌」(昭和10年5月)序より。
曰く―――。
《 惟(おも)うに古来天災地殃(てんさいちおう)尠(すくな)からずと雖(いえど)も、今回突如として関西一帯を襲いたる台風の如きは未だ曾(かつ)てその類を見ざる所にして、殊に本市はその中心圏内にあり、加ふるに西部沿岸地域は不測の大高潮を伴い、海に陸に激烈なる惨禍をもたらし、人命の損傷、住家・工場・店舗の浸水・倒壊、公営物の損害等算なく、通信・運輸・電力等の諸機関も忽(たちま)ち全活動を停止し、産業文化の大都市も一瞬にして修羅場と化し、その惨状洵(まこと)に言語に絶するものありき。
然りと雖(いえど)もこの大風水禍に直面し、市民は克(よ)く秩序と統制を保ち、或は避難に或は救護に協力一致、最善を尽して苦難を克服したるは共に深く欣(よろこ)びとする所なり。本市又災後直ちにあらゆる機開(機械)を動員して、衣食の配給と医療救護に全力を注ぐと共に、各種公営物の復旧に努力し、以て災害の善後応急措置に遺憾なきを期したり。
事、天聴に達するや畏くも、聖上陛下には罹災民の苦痛を殊のほか御軫念(しんねん)あらせられ、・・・《中略》・・・
夫(そ)れ既往(きおう)を懐(おも)うは将来を警(いま)しむるの喩(たと)え、今回の風水禍により都市の文化的施設は天災に対し如何に無力なるものなりしかを如実に痛感せしめ、我等都市行政に携わるものをして災害に対する防衛の強化を示唆して余りあり。本市深く茲(ここ)に思いを致し、今次の幾多尊き試練を活用し各専門家の意見を徴(め)し、以て本市復興の大計を樹立することに努力したり。
この間、寝食を忘れて東奔西走、救護に復旧に将又(はたまた)復興計画に日夜心血を注ぎて奮闘せられたる我關市長は、新春忽々(こつこつ)不幸二豎(にじゅ)の侵す所となり遂に不帰の客とならる。洵(まこと)に痛恨の至りというべし。不肖乏しきをその後に承(う)く、故市長の意圖を體し砕身粉骨本市復興の実を挙げんとす。
茲(ここ)に今回の風水禍に基く被害の実情と救護の顛末を録し、復旧復興計画の大要を記して一書を編したり。是れ一は以て、聖恩(※天皇家から)の宏大を感銘し、各方面の温情を記念すると共に、他面今回の災禍を永久に伝えて、将来の参考に供せんとするの微意に外ならず、敢て本書の発刊に際し一言以て序とす。昭和十年三月 》
加々美武夫(かがみ たけお)は、歴史的な高潮と暴風で大阪府下だけで二千人近い犠牲者をだした「室戸台風(昭和9(1934)年9月21日)」の際に大阪市第一助役を務めた人物。災害復旧の陣頭指揮の最中に關一(せき はじめ)大阪市長が急死したため、その遺志を継いで大阪市長(第8代)となって後の復興市政をまとめあげたことで知られる。
急逝した關市長に代わって市長に昇格した際には少なからず難色の声も挙がり、室戸台風からの大阪市の復興について「一大試練」と揶揄もされたが、その後の災害復興で常に先頭に立ち全市へと号令を発したことで高い評価を受けた。加々美は、室戸台風災害の被害状況や救護の顛末の詳細、復旧・復興計画の大要についてのつぶさな記録を残し、後世のための貴重な資料とすることを目的に昭和10(1935)年5月に千二百ページにわたる「大阪市風水害誌」を編纂させている。
明治23(1890)年8月9日、山梨県東山梨郡西保村北原(現山梨市)生まれ。海城中学(旧制)、東京高等商業学校(後の一橋大学)を経て大正4(1915)年京都帝国大学法学部を卒業。警視庁に入庁し、警視、保安課長、小石川大塚警察署長、赤坂表町警察署長、大阪府警視、特別高等課長、京都府理事官、内務部社会課長、内務省警保局内務事務官、内務省内務書記官を歴任。大正12(1923)年1月より大阪市助役に就任し「大阪の父」と呼ばれた關一大阪市長の右腕として長きにわたって市政を支えた。
室戸台風直後の昭和10(1935)年1月26日に關市長が病死したため、同年2月12日に第8代大阪市長となったが、翌昭和11年(1936年)7月20日に病気となり在任わずか1年5ヶ月で辞任することとなった。辞任から2ヶ月後の9月18日に死去。47歳だった。
加々美武夫
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