『 過まれるを改むる善の、これより大きなる無し。 』
慈円(1155〜1225 / 鎌倉時代初期の天台宗僧侶 歌人)
口語訳『過失を認めてすぐに改めるという善にまさる善はない』の意。
格言は、後鳥羽上皇が時の執権・北条義時追討の声を上げ始まった争乱「承久の乱(じょうきゅうのらん)」の直前に慈円が著した史論書『愚管抄(ぐかんしょう 1220年)』巻四より。
慈円(じえん)。諡号は慈鎮和尚(じちんかしょう)、通称は吉水僧正(よしなが そうじょう)、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円(さきの だいそうじょう じえん)と紹介される平安末期から鎌倉時代に活躍した主要な歌人の一人で天台宗の僧侶。父は白河、鳥羽院政下で37年にわたって摂政関白という公卿(貴族)の頂点に立ち続けた藤原忠通(1097〜1164)、母は藤原仲光の娘。兄の近衛基実、松殿基房、九条兼実は摂政関白となり、藤原兼房は太政大臣となった。
永万元(1165)年、11歳で延暦寺「青蓮院」に入り、鳥羽天皇第7皇子の覚快法親王の下で出家して道快と名乗り、養和元(1181)年に慈円と改めた。混乱が続く貴族社会のなかで、関東の武家との協調を図る実兄の兼実の庇護下で活動し、建久3(1192)年に天台座主、建仁3(1203)年に大僧正に任ぜられ、後鳥羽上皇の護持僧となるも、政局に翻弄され天台座主の辞退と復帰を繰り返した。征夷大将軍・源頼朝の死後から次第に討幕へと傾く後鳥羽上皇の周囲との関係に苦慮し、国初以来の歴史をたどり、歴史のなかに流れている道理に基づいて日本国のあるべき姿を明らかにしようとして史論書『愚管抄』を著した。『新古今和歌集』に91首、百人一首に「おほけなくうき世のたみにおほふ哉 わかたつ杣にすみそめの袖」、家集『拾玉集』には4,300首の歌が収められている。比叡山東坂本にて没。
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