防災意識を育てるWEBマガジン「思則有備(しそくゆうび)」

口永良部島噴火の時、中央気象台鹿児島測候所の報告書に書かれた格言[今週の防災格言389]

time 2015/06/01

口永良部島噴火の時、中央気象台鹿児島測候所の報告書に書かれた格言[今週の防災格言389]

『 噴火には遠き前兆と直接の前兆とがある。 』

 

中央気象台 鹿児島測候所 報告書『口永良部島新岳の噴火(1931年)』より

 

格言は圓岡平太郎・鹿児島測候所長の報告書『口永良部島新岳の噴火 昭和6年4月2日(鹿児島測候所 1931年)』より。

曰く―――。

元来、噴火には遠き前兆と直接の前兆とがある。即ち、遠き前兆とは破裂より数年、若しくは、数十年前より既に発生するものにして、火孔池の減水細煙の発生、噴孔底鎔岩面の隆起等の現象にして、又、直接の前兆と称するは、破裂より数日若しく数時間前の間際に及びて発生せるものにして、地震鳴動温泉の増量、熱水の湧出、白煙の噴出等にして直接の前兆、例えば三宅島、有珠山、桜島等の如き変動のものは数時間乃至数日にして現われ、又、霧島、浅間山の如きは、数ヶ月、或は、一年も以前より前兆と見るべき現象を現わすを例とせり。

各火山には固有の習俗、即ち、前兆諸現象、或は、噴火の順序とも見るべきものありて、多くは其習性をたどるものなるが故に、先ず歴史的の研究を遂げ、而(しか)して火山性微動の験測並前兆たるべき事項を平素注意して居る事は噴火に対して最も必要なる事柄である。

然るに、今回爆発せし口永良部島は絶海の孤島にして、現今に於てさえ交通最も不便なる所なるが故に、火山に対する旧記に乏しく、日本噴火誌等にも年代不明として漠然たる記事あるのみにして、随って此の山の習性等、全く明らかならざれども、今回土地の古老の言によれば、最近爆発年代は天保十二年六月十五日(※1841年5月23日)午前十一時頃であることは明らかである。
…(中略)…
此度の爆発が此の山としては可なり強いものであるから、先ず当分は終息するではないと考えられども、過去の歴史に乏しく習性等が明らかでないから、今後如何に変動するかは断定することは出来難い。
又、古岳より西及南方山麓海岸まで一帯雑木林となっているが、古岳の過去の熔岩地帯であると思わる。

何れにしても、同地域には微動計の如き鋭敏なる器械を据付け、当分の内微動観測をすることは島民の為めにも、又、学術上にも最も必要なる事である。
尚又、今回爆発崩壊せし面積は約百町歩(※約100ヘクタール)にして、樹木は埋没され、殊に傾斡急峻なる地勢なるが故に、今後大雨の際は此付近一帯より流出せる雨量のため洪水を起こし易く、向江浜部落(むかえはま ※屋久島町)は特に注意を要する事と思わる。(昭和六年四月十六日記す)

 

1931(昭和6)年4月2日午後7時過ぎ、鹿児島県の口永良部島(くちのえらぶじま)新岳火口西縁が噴火した。噴火直後に大雨が降り、向江浜(むかえはま)集落に土石流が襲った。民家6棟が流失し2名の負傷者が発生する。翌3日、全島民1,097人が48艘の救助船に分乗し屋久島へと一時避難することになった。
その後、4月15日、5月15日にも再び噴火するも、翌年(1932年)には、ときどき小さな噴煙があがるだけの状態になっていった。住民たちは帰島する。
そして、最初の噴火から2年半後の1933(昭和8)年12月24日午前4時20分、新岳火口が大音響とともに突如大爆発した。焼けた噴石が島東部の七釜(ななかま)集落に降り注ぎ、死者8人、重傷者8人、軽傷者17人、焼失家屋36戸、集落全体に被害が及ぶ大惨事となった。更に、翌1934(昭和9)年1月11日の再噴火により、幕末から硫黄採掘で賑わった七釜集落は壊滅(消滅)することになる。
また、その1年後の1935(昭和10)年4月4日、島に大雨が降った。午後6時半頃、山麓に降り積もっていた火山灰や噴石が山津波となって向江浜(むかえはま)を襲い、5人の命が失われた。住民は、向江浜集落を捨て前田の地へと集落ごと移転することを余儀なくされる。
これが昭和初期に4年間続いた口永良部島新岳噴火災害である。
この記録からは、噴火後の土石流(山津波)にも注意すべき、という教訓を読み取ることができる。

その後も口永良部島は、数年おきに小噴火を繰り返している。近年では、2014(平成26)年8月3日に、1980(昭和50)年9月以来34年ぶりの小噴火が発生。2015(平成27)年5月29日午前には爆発的噴火が起こり噴煙は上空9,000メートルまで上がった。現在(2015年4月)、島内には82世帯137人が暮らしている。


■「火山学者」「火山噴火」に関連する防災格言内の記事
寺田寅彦(1935年の浅間山噴火)の名言「正しく怖がる」(2009.03.02 防災格言)
大正3年(1914年)1月12日の桜島大噴火石碑「桜島爆発記念碑(通称「科学不信の碑」)」より(2023.01.16 防災格言)
大プリニウス(AD23~AD79 / 古代ローマ帝国の博物学者・政治家・軍人)(2021.03.15 防災格言)
小プリニウス(AD61~AD112 / 古代ローマ帝国の文人・政治家)(2009.07.01 防災格言)
イタリア トーレ・デル・グレコ市モットー(Torre del Greco’s motto)(2013.03.11 防災格言)
チャールズ・ダーウィン(1809~1882 / イギリスの自然科学者)(2014.04.21 防災格言)
ポール・クローデル(1868~1955 / フランスの劇作家 詩人 外交官)(2012.12.17 防災格言)
アルフレッド・ウェゲナー(1880~1930 / ドイツの気象学者・地球物理学者 「大陸移動説(1912年)」を提唱)(2021.10.25 防災格言)
幸田文(1904~1990 / 小説家・随筆家 幸田露伴の次女 富士山の「崩れ」の名言)(2015.05.11 防災格言)
水上武(1909~1985 / 火山物理学者・理学博士 東京大学名誉教授)(2014.10.13 防災格言)
岡村正吉(1922~2010 / 1977年有珠山噴火時の北海道虻田郡虻田町長)(2012.07.16 防災格言)
下鶴大輔(1924~2014 / 火山学者 火山噴火予知連会長 東京大学名誉教授)(2015.08.10 防災格言)
三島由紀夫(1925~1970 / 作家 『床の間には富士山を―私がいまおそれているもの(1965年)』の名言)(2014.07.07 防災格言)
久保寺章(1926~2004 / 地球物理学者 京都大学名誉教授 日本火山学会会長)(2022.01.24 防災格言)
圓岡平太郎 (中央気象台鹿児島測候所 口永良部島新岳噴火(1931年)報告書)(2015.06.01 防災格言)
石原慎太郎(1932~ / 小説家・政治家・東京都知事)(2013.07.22 防災格言)
津村建四朗(1933~ / 地震学者 元地震調査推進本部地震調査委員会委員長)(2013.07.08 防災格言)
横山卓雄[2](1937~ / 地質学者 理学博士 同志社大学名誉教授)(2022.01.17 防災格言)
大竹政和(1939~ / 地震学者 東北大学名誉教授 第4代地震予知連会長)(2014.01.13 防災格言)
『富士山噴火と東海大地震』(木村政昭(琉球大学名誉教授)監修、著者・安恒理(ジャーナリスト)ほか 2001年)「被災時のサバイバルとは」より(2021.11.08 防災格言)
岡田弘(1943~ / 地球物理学者 専門は火山学 北海道大学名誉教授)(2014.09.29 防災格言)
池谷浩(1943~ / 元建設省砂防部長 砂防地すべり技術センター理事長)(2009.08.03 防災格言)
藤井敏嗣(1946~ / 火山学者 東大地震研究所教授 火山噴火予知連会長)(2010.04.19 防災格言)
都司嘉宣(1947~ / 地震学者・専門は地震考古学 理学博士 元東京大学地震研究所准教授)(2013.03.25 防災格言)
立松和平(1947~2010 / 小説家 浅間山噴火の小説「浅間」より)(2010.02.15 防災格言)
菊地正幸(1948~2003 / 地震学者 東京大学教授 リアルタイム地震学を提唱)(2009.11.16 防災格言)
山岡耕春(1958~ / 地震学者 名古屋大学教授 地震火山・防災研究センター長)(2012.04.23 防災格言)
ドナルド・ディングウェル(1958~ / ドイツの火山学者・地球物理学者 ミュンヘン大教授)(2011.02.07 防災格言)
気象庁(2001年7月4日 火山噴火予知連絡会 富士山ワーキンググループ発表より)(2011.01.31 防災格言)
霧島山・新燃岳火山噴火(2011年)を考える(2011.01.28 店長コラム)

 

<防災格言編集主幹 平井敬也 拝>

 

[このブログのキーワード]
防災格言,格言集,名言集,格言,名言,諺,哲学,思想,人生,癒し,豆知識,防災,災害,火事,震災,地震,危機管理
みんなの防災対策を教えてアンケート募集中 非常食・防災グッズ 防災のセレクトショップ SEI SHOP セイショップ

メルマガを読む

メルマガ登録バナー
メールアドレス(PC用のみ)
お名前
※メールアドレスと名前を入力し読者登録ボタンで購読

アーカイブ

人気記事