『 全く不思議なことだが、よく知られているように、大きな戦争の後には、集中して大きな気象災害が頻発する。 』
四手井綱英(1911~2009 / 森林生態学者 京都大学農学部名誉教授 京都府立大学長)
格言は随筆『気象災害について』(初出「砂防法」1993年9月)より。
(出典:エッセイ集「森林 3」(2000年 法政大学出版局))
曰く―――。
全く不思議なことだが、よく知られているように、大きな戦争の後には、集中して大きな気象災害が頻発する。
日露戦争後の明治末期から大正初期にかけても、気象災害が多発し、結果的に森林の荒廃が災害を助長しているというので、官民をあげて造林にはげんだ。同じようなことが第二次大戦後も起こり、やはり同じように戦時中に荒れた森林地帯の造林が極力推奨された。植樹祭も造林推進のために始まったのだ。戦後の気象災害の多発は、試験場(※当時の山林局林業試験場)でも対応にいとまがなく、私たちの風・雪害研究室からも、しばしば応援にかり出された。おかげで山地の山崩れや地すべり跡を全国規模で視察し調査することができたのは、私にとっては大きな経験の蓄積をもたらしてくれた。
その間に得た結果を大きくまとめてみると、如何に記すようなものだった。a 谷沿いの崩壊は、同時に両岸に生じることはまれだ。これは地層や基岩の成層や節理の傾斜角が主に関係しているらしい。元来、谷は断層に沿って生じるもので、ほとんど常に一方の岸が順層になっていれば、他方は逆層だ。逆走斜面は急峻だから、絶えず表土は崩落しているが、豪雨災害時に大きな崩壊は生じない。大きな崩壊の起こるのは順層面で、平時はびくともしないが、豪雨や長雨で、表層の全土層が水で飽和されると、支持力が激減し、長年にわたって蓄えられていた位置エネルギーが一挙に放出され、大きな地すべりや大崩壊が生じる。
b 豪雨が続くと、地すべりや大崩壊の生じる山腹は、土層が厚いせいもあって、造林地に変わっている所が多く、その植林木も一般には生長が良い。つまり優秀な造林地になっている所が多い。造林地のほとんどすべてが、二、三の有用針葉樹の一斉単純林だから、根の層の厚さはせいぜい五、六〇センチにすぎない。しかも面的には互いに細根が網の目のように複雑にからみあっているので、豪雨により表土層が飽和状態になると、面としての広い範囲が、立木もろともすべってしまい、植林のない個所より広い地すべりが生じるようだ。この点、天然生の広葉樹林は比較的杭根(※くいね)が発達しているらしく、植林地に比べ地すべりなどを起こしにくいようだ。
さらに古い地すべり跡地には、優良造林地が多い。これは地すべりにより、土層が動いて破砕されるため、多孔質になり、水の浸透も保留も良くなるからだろう。c 太平洋側の山地では、前線性の豪雨も台風性の豪雨も生じ、時には双方が重なったり、相前後したりして生じるが、ごく大ざっぱに見ると、前線性の豪雨の時には東西に流れる河川に水害が生じ、台風性の豪雨の時には南北に流れる河川が危険だ。
四手井綱英(しでい つなひで)は、京都生まれ京都育ちの森林生態学者。日本の原風景であり、人と自然が共生し、薪炭や堆肥などの供給源となる「里地里山」の有機物の生産・消費・分解・再生という循環システムを研究し「里山」の生態学的な概念を定義付けた人物。「里山の名づけ親」「里山の発案者」とも呼ばれ、 早くから、林業政策上で木材生産を第一の目的とする森づくりは環境破壊に直結すると主張し、定年退職後は森林の保護問題に心をそそぎ、97歳で亡くなるまで、森林と人、雪、山に関する数多くの著述を遺した。
四手井家は戦国時代の武士の流れを汲む旧家で、長兄・綱正(1895~1945)は帝国陸軍中将(台北で戦死)、次兄の綱彦(1905~1979)は物理学者(京都大学教授)がいる。
また、妻の四手井淑子(よしこ / 1917~2020)も、主婦業の傍ら在野のキノコ研究家として知られた。
1911年(明治44年)11月30日、京都山科村厨子奥尾上町(現・京都市山科区)の教員・四手井彦四郎の五人兄姉の末子で三男に生まれる。地元山科の小学校、京都市の京都一中(後の府立洛北中学・高校)、京都一中補習科、第三高等学校(後の京都大学)を経て、1937年(昭和12年)京都帝国大学農学部林学科を卒業。
1937年(昭和12年)山林局(現・林野庁)秋田営林局本荘営林署で造林の主査(現・課長)を勤め、間もなく、山林局秋田営林局造林課に転出。
戦時中は2回召集され6年間を軍で過ごした。前半は農林省山林局(本省)で内地勤務、後半は中国大陸に従軍し、米軍の空爆で重傷を負い入院、最後1年間は30万人の復員兵の仕事に従事したという。
敗戦後の1946年(昭和21年)農林省林業試験場(現・森林総合研究所)に移り、雪害研究室長として山形県北端の多雪地である釜淵分場長として赴任し雪害研究を担当。その後、気象災害科長を勤めたのち、1954年(昭和29年)12月、京都大学農学部林学科教授に転じ森林生態学講座を受け持った。以降20年間教授を務め、1975年(昭和50年)京都大学を定年退官し名誉教授となる。
1976年(昭和51年)日本モンキーセンター所長を5年勤め、1980年(昭和55年)京都府立大学学長を6年間勤務。定年退職後は森林の保護問題に心をそそぎ、文化庁審議員や、京都府、京都市の自然環境委員を25年にわたって務めた。
2009年(平成21年)11月26日、肺炎により死去。97歳。叙正四位追贈。勲二等瑞宝章受章(1986年)、南方熊楠賞受賞(1998年)。
趣味は登山で、幼少期から近隣の山野をめぐり、中学1年生から登山好きとなり、高校も大学も山岳部に所属、大学では探検部部長、京大学士山岳会で会長を務め、教授時代には探検部の顧問となった。
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