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出口王仁三郎の随筆「天災と人災」からの名言(1871~1948 / 宗教家・芸術家 新宗教「大本」教祖)[今週の防災格言671]

time 2020/11/02

出口王仁三郎の随筆「天災と人災」からの名言(1871~1948 / 宗教家・芸術家 新宗教「大本」教祖)[今週の防災格言671]

我国わがくにの文化そのものは全く地震から咲き出した花の様にも思われる。 』

 

出口王仁三郎(1871~1948 / 宗教家・芸術家 新宗教「大本」教祖の一人)

 

格言は、随筆『天災と人災』より。所謂、天譴論について述べている。
(著書「惟神の道」(天声社 昭和10年12月)収録)

曰く――――。

我国(わがくに)の記録に存するもののみにても大小一千有余の震災を数えることが出来る。その中で最も大地震と称されているものが、百二十三回、鎌倉時代の如きは平均五年目毎に大地震があったのである。
覇府時代には、大小三十六回の震災があった。しかも我国の発展がいつもこれらの地震に負うところが多いのも不思議な現象であるのだ。奈良が滅び、京都が衰え、そして江戸が発展した歴史の過程を辿って見れば、その間の消息がよく窺われるのである。

全体我国の文化そのものは全く地震から咲き出した花の様にも思われる。
天祖、国祖の大神の我国を見捨て給わぬ限り、国民の生活が固定して、腐敗堕落の極(きょく)に達した度毎に地震の浄化が忽焉(こつえん)と見舞って来て一切の汚穢(おえ)を洗滌(せんでき)するのは、神国の神国たる所以である。

古語に『小人をして転化を治めしむれば天禄(てんろく)永く絶えむ、国家混乱すれば、天災地妖臻(いた)る』とあるのは、自然と人生の一体たることを語ったものである。人間が堕落して奢侈淫逸(しゃしいんいつ)に流れた時は、自然なる母は、その覚醒を促す為に諸種(しょしゅ)の災害を降(くだ)し給(たま)うのであった。しかも地震はその極罰(きょくばつ)である。

我国に地震の多いのも、神の寵児なるなるが故である。自然(しぜん)否(いな)天神地祇(てんしんちぎ)の恩寵を被ることの多いだけ、それだけにその恩寵に背いたときの懲罰は、一層烈しい道理である。若し地震が起らなければ人震(じんしん)が起ってその忿怒(ふんど)を漏らすに至る。近くは天草四郎や油井民部之介、大塩平八郎乃至(ないし)西郷隆盛の如き、皆この人震に属するものである。

… … …

第一次世界大戦(1914年~1918年)、ロシア革命(1917年)、スペイン風邪(1918年)、関東大震災(1923年)、世界大恐慌(1929年)、満州事変(1931年)、五・一五事件(1932年)などと、社会不安が増大していた時代に活躍した宗教指導者が出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)である。
明治(1892年)に興った神道系新宗教「大本(おおもと・大本教)」の指導者で、今東光には「大怪物」、吉川英治は「千年に一人」、大宅壮一から「巨人」と評された人物で、宗教・芸術一元論を提唱し、自身も絵画・陶芸・短歌に通じ、生涯に10万首を超える短歌を詠み、83冊にわたる膨大な『霊界物語』を著した。
義侠心に厚く、大顔に大声の愛嬌ある大男で、無邪気であけ広げな人柄に、多才で冗談を交じえた話術、さらに大陸へ渡ってモンゴル独立運動計画を実行する行動力と破天荒な冒険譚など、天才的な人心収攬術によって時代の寵児となり、戦前に知識人や軍士官、政治家などを含め急激に信奉者を増やした。
しかし、その拡大を恐れた政府から二度にわたる弾圧(第一次、第二次大本事件)を受け、教団本部の建物の全てをダイナマイトで破壊されつくす徹底的な迫害を受けた末に教団は解散(戦後に再建)した。
岡田茂吉(世界救世教)、谷口雅春(生長の家)、友清歓真(神道天行居)、中野與之助(三五教)、峰村恭平(璽宇教)らは教団から分派・派生した宗教となる。主な信奉者に、植芝盛平(合気道創設者)、石原莞爾(陸軍中将)や板垣征四郎(陸軍大将)、久原房之助(政治家)、平塚らいてう(作家)、柳原白蓮(歌人)、小山内薫(劇作家)らがいた。

1871年8月27日(明治4年7月12日)、丹波国(京都府亀岡市穴太)の農業を営む上田家の五男三女の長男として生まれる。本名は上田喜三郎。
幼少時は虚弱体質児で、家で祖母(日本言霊学の中村孝道の妹と言われる)に教わり、9歳の頃に小学校を一度辞め、金剛寺住職の栗山禅味の弟子となり「日本外史」を読み覚え、半年後に下等四級の等級で復学したという。
27歳のときに郷里で修行をして救世の使命を悟り、「霊学会」を発足させ布教を開始するなか「出口なお(大本開祖)」と出会い、1898年(明治31年)出口なおを教主、王仁三郎を会長として「金明(こんめい)会」を発足させ「金明霊学会」を創設。翌年、なおの娘(五女)「すみ」と結婚し、なおの養子となった。その後、なおと仲違いし、いったん教団を離れるが、数年後、衰退した教団を立て直すため教団へと戻り、以降は、教団運営の中心的人物となった。1914年(大正3年)、教団は「皇道(こうどう)大本(おおもと)」と改称、1918年(大正7年)に開祖・なおが死亡すると「すみ」が第二代教主に就任、王仁三郎は開祖・なおと同等の「聖師」となる。1920年(大正9年)には大阪の「大正日日新聞社」を買収し、メディアを積極的に利用・活用して布教を拡大したが、政府による弾圧「大本事件(1921年、1935年)」で教団は壊滅的打撃を受けた。戦後、1946年(昭和21年)に活動を再建するなか脳出血で倒れ、1948年(昭和23年)1月19日逝去。満76歳没。



出口王仁三郎

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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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