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橋本徹馬(政治評論家・活動家・思想家「紫雲山地蔵寺」初代住職)の人生修養についての名言 [今週の防災格言668]

time 2020/10/12

橋本徹馬(政治評論家・活動家・思想家「紫雲山地蔵寺」初代住職)の人生修養についての名言 [今週の防災格言668]

『 人生を楽観的に見るか、悲観的に見るかと云ふことは、人の一生に取ってすこぶる重大なる問題である。 』

橋本徹馬(1890~1990 / 政治評論家・政治活動家・思想家・著述家 「紫雲山地蔵寺」初代住職で水子供養運動創唱者)

格言は、橋本43歳のときの随筆『紫雲荘閑話』(昭和7年10月)より。

曰く――――。

《 人生を楽観的に見るか、悲観的に見るかと云ふことは、人の一生に取って頗(すこぶ)る重大なる問題である。概括的に云へば順境にある者は多く人生を楽観し、逆境にある者は多く人生を悲観するのであるが、然(しか)し其楽観も悲観も確固たる人生観の上に立つのでなければ、境遇の変化と共に忽(たちま)ち楽観が悲観となり、悲観が楽観となるを免れない。 》

また、本書の自序で、自身のことを以下のように述べている。

《 人類の歩むべき道は永久に、正解と、協力と、創造の外に出ずと信ずる私は何の失望も、悲観も、憤慨も、不安も、行詰りも、惑乱も、感ずる必要はない。唯冷静に、沈着に、真面目に、世の人々と共に正解に努め、協力に努め、創造に努めればそれでよいのである。されど、この道は言わば大宇宙との調和の大道であるとは云え、この調和の道を進む私自身の一歩々々は、必ずしも平和の坦道(たんどう=平らな道の意)ではない。否寧ろ、それは私の不断の努力と、不断の闘争とによりて、開拓しなければならぬ境地であるが故に、その意味に於て私の前途は、決して世の所謂謹厳なる道徳家などの生涯とは同一でないのである。 》…と。

橋本徹馬(はしもと てつま)は、帝国議会外の“院外青年”らによる無産政党運動などが盛んな日露戦後から大正期(1910年代~20年代)にかけて、これらの青年政治活動家の中心的人物として寺内内閣倒閣運動や普選運動などで名を成した後、思想団体「紫雲荘」を創設、社会改革を標榜し国家主義的な言論・出版活動を行ない、敗戦後は「紫雲山地蔵寺」(埼玉県秩父)を建立し初代住職となって自身が提唱した「水子供養」の普及に努めた人物。
政治評論から外交論、修養(自己研鑽)論、健康、人生、運勢、宗教論と、生涯にわたって著述活動を行ない著書多数。
戦前は、大隈重信(1838~1922)、田中義一(1864~1929)、原敬(1856~1921)ら首相経験者に気に入られ、尾崎行雄(1858~1954)やジャーナリストの茅原華山(1870~1952)、同志の加藤勘十(1892~1978)らと親交を結び、戦後は佐藤栄作(1901~1975)の私的相談役(ブレーン)も務めた。

明治23年(1890年)2月4日、愛媛県新居郡大町村(現・西条市)に生まれる。実家の宗派は浄土宗であった。
明治40年(1907年)西条中学校を卒業後、海軍兵学校を3回受験するも失敗。上京して芝琴平町に暮らし、明治43年(1910年)早稲田大学第一高等予科政治科に入学。後に早稲田大学専門部政治科に転科。大学では「雄弁会」に入り、雑誌『活青年』(後の『世界之日本』)記者となり、早稲田大学総長・大隈重信邸に通い厚遇を得て、政治的活動を行うようになり、明治45年(1912年)2月27日に早稲田大学を中退。
大正デモクラシーの最中、大隈重信や教育者の山田三七郎(1871~1932)の後援を受け、明治45年(1912年)23歳で「立憲青年党」を主宰し、雑誌社「世界之日本社」を立ち上げて機関紙『世界之日本』を発行、大正5年(1916年)には雑誌『一大帝国』(後に『労働世界』と改題)を創刊するなど政党経営、雑誌経営に奔走。特に軍部の政治家・田中義一の求めによりブレーンとして立憲政友会の院外団的な活動を行なった。この頃、活動に疲れ果て、20代から精神的解脱を求めて、聖書や仏教書、論語などを読むようになり、宗教的教養を高めていった、という。
大正8年から9年(1919年~1920年)30歳から31歳頃にかけて、学生らと共に「青年改造連盟」による普選運動(普通選挙法の施行を求めた運動)を敢行したが、当時の原内閣が「普選の是非を国民に問う」という名目で内閣解散を断行すると、運動を主導した橋本は「解散の口実を与えるために政府と画策した」という疑いをかけられ、マスコミや政界からいっせいに非難を浴びることになった。橋本には新聞各紙にも知り合いが多かったものの誰も取材せずに勝手な憶測で悪評を流布されたことから、親しかったほとんど全ての者たちからもバッシングを受けることになった、という。
困った橋本は、首相官邸に赴き、多年の政敵だった原敬(橋本の恩師の大隈重信候の政敵)に直談判した。この事件を契機に原敬、後藤新平(1857~1929)の知遇を得ることになった。
あまりの悪評のため海外へ外遊をするが「弁解一つしないで外遊するとは図々しい奴」とかえって不人気が酷くなったという。
大正13年(1924年)思想団体「紫雲荘」を設立し、主幹となり言論活動を行った。翌年、35歳で代議士選挙に初出馬するが落選。これらの経験から「世評というのは、誉めるのも、けなすのも、上辺ばかりのものである」と考えるようになったという。
昭和16年(1941年)、軍部の弾圧により紫雲荘は解散するが、戦後の昭和21年(1946年)に再建し、機関紙『紫雲』を通じて政治評論などを発表。
昭和46年(1971年)、大衆の救済祈願をもって埼玉県秩父の山中に「紫雲山地蔵寺」を創建させ、初代住職となって、「水子供養」を提唱し、1970年代に水子供養運動を全国へと普及させた。平成2年(1990年)5月19日死去。100歳。

橋本徹馬 23歳

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<防災格言編集主幹 平井 拝>

 

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