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ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881~1938 / トルコ共和国の初代大統領 オスマン帝国軍将軍 トルコ建国の父)の戦争の名言 [今週の防災格言768]

time 2022/09/26

ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881~1938 / トルコ共和国の初代大統領 オスマン帝国軍将軍 トルコ建国の父)の戦争の名言 [今週の防災格言768]

『 国家の命運が危機に瀕しない限り、戦争は殺人である。 』

“Milletin hayatı tehlikeye maruz kalmadıkça, savaş bir cinayettir.”

 

ムスタファ・ケマル・アタチュルク(1881~1938 / トルコ共和国の初代大統領 オスマン帝国軍将軍 トルコ建国の父)

 

格言は1923年3月16日の演説「アダマ農民に語る(Adana Çiftçileriyle Konuşma)」より。

ケマル・アタチュルク(Mustafa Kemal Atatürk)は、トルコ共和国を樹立させ初代大統領(在任1923~1938)となりトルコを近代国家へと導いた人物。現代トルコの国父(建国の父)で、アタチュルクとは「トルコ人の父」の意味で国民議会によって贈られた姓となる。本名のケマル・パシャの名でも知られる。

1881年5月19日、オスマン帝国領サロニカ(現ギリシャ領テッサロニキ)で税関吏の子として生まれる。1895年セサロニキ軍中学校、1899年モナスティル軍高等学校、1902年陸軍士官学校を卒業。イスタンブール陸軍大学へと進学し、1905年参謀大尉として同大学を卒業。
在学中からオスマン帝国第34代皇帝・アブデュルハミト2世(1842~1918)の専制に反感を抱き、1908年の青年トルコ人革命に参加し、イタリア=トルコ戦争(1911年)、バルカン戦争(1912年~1914年)で活躍。第一次世界大戦(1914年~1918年)ではガリポリ半島に上陸したイギリス・フランス連合軍を撃退し名指揮官として名を轟かせた(ガリポリの戦い)。1918年当時皇太子だった後のメフメト6世(オスマン帝国最後の皇帝(第36代))の訪独に随行し信任を得るが、1918年10月のムドロス休戦協定でオスマン帝国は連合国に降伏、首都イスタンブールは連合国に占領された。
1919年アナトリア支配を目論んだギリシャ軍がトルコ領イズミルに出兵し希土戦争(ギリシャ=トルコ戦争)が勃発すると、アタチュルクは祖国解放戦争を指導し徹底抗戦を行い、東方諸州会議で「国民盟約」を作り、1920年アンカラに第1回トルコ大国民議会を招集させ首班となってトルコ大国民議会政府(アンカラ政府)を結成した。しかしメフメト6世はこれを承認せずアタチュルクを逆賊として死刑宣告する。1922年アナトリアのギリシャ軍を撃退し、イズミル奪還を果たしたアタチュルクは、オスマン帝国の帝政を廃止(スルタン・カリフ制度の廃止)させ、廃帝となったメフメト6世はイギリス軍によりマルタへと亡命することになり、623年間続いたオスマン帝国はこれにより滅亡する。
1923年7月にはセーブル条約(オスマン帝国と連合国の第一次大戦講和条約)を破棄し新たにローザンヌ条約(トルコ共和国と連合国の第一次大戦講和条約)の締結に成功し、治外法権を撤廃、1923年11月にトルコ共和国の建国宣言(トルコ革命)を行い初代大統領に就任。以降大統領に3選し、一党独裁政権のもとで脱イスラム国家化の推進、新民法の採用、アラビア文字の廃止とトルコ文字の制定、民族教育の普及、イスラム諸国初の女性参政権の実現、国家資本主義に基づく経済建設など一連の改革を断行。1934年国民議会によりアタチュルク(トルコ人の父)の称号が贈られた。
1938年11月10日、大統領在職中に肝硬変によりドルマバフチェ宮殿で死去。57歳。トルコでは毎年11月10日午前9時5分のアタチュルクの亡くなった時刻に全ての車両や人々が追悼のために1分間一時停止する。


ケマル・アタチュルク(1881~1938)





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著者:平井敬也(週刊防災格言編集主幹)

 

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